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銀魂log...Vol.1

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一番きれいなあなた(高杉と銀時)


まだ、私の息が白く濁らない頃です。 全てを語り尽くすには、秩序だった論理が必要なようにも思われました。 が、私にはそのような知恵を持ちえません。 そこで利口なあの人に言葉を借りようと考えたところで、あのような出来事は、私一人きりの精神を埋めることでしか、事実として続かないことに気付くのです。 私は、利口ではありませんが、溢れるような情愛によって、彼の人を、思いやることだけが出来ます。 そこには条理の明らかな、秩序よりも判然とした感情以外はありませぬ。

一人で暮らすには随分と広い家でした。 彼の人は、その隙間を、理解しないよう、努めて気だるげな雰囲気を纏うことに長けていました。 彼の人は、寂寞の念に駆られることのない日常に、額縁に収まった絵の如く、馴染んでいたので、私は、彼の人との生活に一切の不安を持ち合わせることがありません。 しかし、彼の人も、当然人間であった。 それだけのことだったのです。
ぽたぽたという音が聞こえたので、私は、ずぼらな家主がまた、締め忘れた蛇口があるのだろうと、内心に募る怒りを隠すことなく立ち上がりました。 広い部屋に敷き詰められたフローリングに、すうと伸びる、月光は美しく、薄く開いた襖に手をかけて、それきりです。 この家は、彼の人以外にも、温かである。 それは、彼の人に触れ合った全ての人間が同意するところで、私も一切抗議いたしません。 しかし彼の人がその全てに含まれているかどうかなど、始めから私は考える余地を持っておりませぬ。 彼の人は、私と出会うより前からこの部屋で、おそらく一人で暮らしていたのだろうなという、浅ましい常識のような観念が、そこらに蔓延っていました、私の中にも、誰彼の内にも。 その常識は、彼の人の首や手に巻き付き、何時の間にか、孤独と同居するには、広すぎる部屋の中央で、彼の人を、操り人形に仕立て上げてしまったわけである。 これは、なんとも皮肉なことであったが、私は、それでも構わないと思っていました。 彼の人が、望郷の目をする時、私は自然に、二つの目から追い出される不遇を味わいます。 それは、酷く味のない味噌汁のように、この舌や胃に違和感を与え続け、終いには、翌日まで残ってしまう。 居心地の悪い椅子に押し込まれたような心地と云えば、近いのでしょうか。 武家に生まれた私は、生まれてから少年に至るまで、あまり椅子に縁深かったわけではありませぬ。 けれども、四角い形を並べ、組み立てられたそれは、どこにも直線らしい線を持たぬ人間には、不自由であることは、幼い私の直観でも把握することが出来たのです。
話を、戻すとします。 そう、襖に手をかけたところです。 息は濁らずとも、広い家ですから、人の暮らさぬ場所は、どこも冷え切って、憤怒をこさえた身体も床から滲む寒さに、身を震わせるような、調子です。 広いといっても、人間が一人から二人、三人と増えるとその広さは、誤魔化され、ああ何と狭いのだと戯言を告げることが容易いほどになる。 私は、そんなよろず屋を、好いていました。 人生を、大きく踏み誤ったことのない私や、混沌とした街を包み込むような、温みが、この家の何処かしこに、生息しているような、感覚があったのです。 けれども、彼の人は、何時までも、濁り切って純然たる存在となった孤独を持っていた。 それを拭えるのは誰もいないのだと、同居人である少女と話し合ったことがあります。 彼の人も、その口に、事実を乗せないのが常でしたから、もしかしたらその孤独も何時の間にか、嘘として気化してしまったのかもしれぬ。 と、楽観的に捉えていたのです。
彼の人が愛す、少年漫画が、机上に置かれています。 その横には、彼の人専用であったグラスが倒れて、並んでいます。 私が聴いた水の滴る音は、これが原因である。 桃色の液体が、名残惜しむよう、グラスの淵から落ちていく度に、下に出来た溜まりから音が出てくるのです。 ぽた、ぽたと、秒針の具合に、狂うことなく進んでいきます。 ああ、と漏らしそうになった感嘆を私が呑み込んだのは、悲惨な有様の机上付近の様子ではありません。 彼の人は、ただ立っていました。 猫背気味に丸まっている、日常の背肉をすうと伸ばし、まるで天を乞うかのような姿勢で、立っています。 私から見えるのは、彼の人の、癖のある後ろ頭とその奥から覗く、満月の様子のみである。 これだけならば、私は深呼吸を、数度繰り返し、右手の冷たい襖を、勢いよく開いたに違いありません。 しかし、彼の人が、私にとっての非日常を纏うには、一人きりではいけなかった。 彼の人の頭や背を、私の持つ家族愛というものよりもずっと熱く、きっと触れてしまえば私が腐ってしまうような酷い感情の眼付で見つめる男が居たのです。 その男には見覚えがあります。 彼の人の、命を奪うような素振りを見せ、にたりと意地の悪い笑みを浮かべる男です。 浮遊する船でその横顔を見た時、私は、彼の人にこの男を近づけてはいけない。 そう心から嫌悪したものです。 が、現実とは皮肉なもので、彼の人が、男に近づいているのでした。
相変わらず、透明のグラスからは、ぽたぽたという水音は続いています。 しかし、私の耳はそのような事実などを押しのけて、彼の人の背が、僅かに上下し震える度に起こる、布切れの音ばかりを聞いていました。 彼の人は、泣いているに違いありません。 しかし、此方からは、彼の人の綺麗な銀髪が見えるばかりで、その顔は一向に見えることがない。 私が見えぬ顔を、あの男はじいと見ながら、右手にある煙管を加えたまま、動きません。 彼等が沈黙している間、私は彼の人の内にある孤独がするすると滑りだし、この部屋ごと棄ててしまいそうな勢いで、打ちひしがれていることに気付きました。 それは慟哭のよう、私の胸を叩き、最も残酷な現実を知らせるのです。 彼の人は、今、身体に結び付いた糸を切り裂かれ、一人で立つことさえ侭ならぬ、弱い人間として、あの男と並んでいるのだという現象です。 途端に、私は満足に呼吸さえ、続けることが出来なくなりました。 私や、同居人である少女、それからあらゆる人が、眼を背けたり、沈黙したりすることで、いたわっていたつもりの部位を、あの男だけがするりと取り出してしまったのです。 人間というものは、我が侭です。 全てを手に入れることが出来ないと知りながらも、全てを望んでしまうような、愚かさを持っている。 私も、そんな人間に違いありませんでした。 けれども、全てなど、無理なのだと改めて、眼前の風景が私に告げてくるのです。
作品名:銀魂log...Vol.1 作家名:べそ