銀魂log...Vol.1
you'll never ever leave me(銀時とお妙)
「また、一人でいなくなるんですか」
「いや、散歩」
つうと気まずさが、背に走る。 鳥肌が立つような感覚がしたので、大げさに呼吸を繰り返すと、上下した身体ごと痛む。 先ほど、背中から聞こえた声の、感情は読み解けぬ。 他人の機微に、決して鈍感でない己である。 しかし、女の怒りとも悲しみとも取れぬ声を聞く度に、人間の奥深い有様に嘆息が漏れる。 片足だけ履いたブーツは、順調に冬へと向かう空気を孕み、僅かに冷えた。
「そうやって、私も新ちゃんも、神楽ちゃんも置いていくんですね」
「考えすぎじゃねえの」
「そうだといいのに」
ブーツを履き終え、立ち上がると、それにならって女が歩み寄る。 几帳面に並べられた草履に足を通す様は、鳴る程、何処からみても女に違いない。 こちらの顔を覗き込む様子さえない、女はこちらが進むのを止めるような素振りで、一向に口も手も出してこないので、可笑しい。 女は、粗暴なふるまいに反して、酷く心配症な人間である。 何時か、塞がり切らぬ傷をこさえた己を、命ごと押さえつけた女の凶暴さを思い出す。 あれは、酷く痛かった。 身体についた傷よりも、女が気丈そうに、あらゆる機微を抑えている様が、堪らなかった。 それは先刻のよう、思い出される梅雨時分のことである。
目覚めると、矢張り見慣れた天井だった。 腕を伸ばすと、痛みが至るところを駆け巡る。 それをぎゅうと無視して、起き上がると、腹にぐるぐると巻かれた包帯が見つかった。 白かった包帯が、赤く滲み、身体に張り付いている。 それを強引に剥ぐと、固まった血液と皮膚が悲鳴を上げた。 枯れ葉が崩れるような音が身から起きたが、構わぬ様子で頑丈に巻かれたそれを剥いで行く。 時計を見やれば、約束の時間は、とうに過ぎている。 慌てて、腰をあげれば、矢張り腹が痛む。 じわりと滲んだ血液から目を離し、用意された着流しを、纏う。 申し訳ないと思うことが出来たのは一瞬である。 いつぞやの、女が飲んだ苦渋を憂いながら、いつの間にか天秤は、最早唾棄されたやもしれぬ約束にばかり傾いていくので、堪らない。 欠伸を一つかくと、女がこちらに迫る気配がしたので、隠すことなく溜息を洩らした。
「お前が考えなきゃいけないのは、あのゴリラのことだろーよ」
「そうやって誤魔化すんですね」
「どっちが」
引き戸を引けば、止んだ雨の名残が街を照らしている。 頬に当たる風は、冷たく、寝起きの温かな身体には、乱暴すぎた。 が、緩く足を進めることしか、己の出来る女へのいたわりを知らぬ。
丈夫な身体を持った。 しかし、そこに健全な精神は宿らなかった。 銀時が思い出すのは、決まって片目を失った男との過去である。 それは、鋭敏に、こちらを殴り、終いには、折れた背ごと抱きかかえてしまう身勝手な優しさを手放さぬ。 誰かが、此方に心配を投げる度、思い出されるのはそういった男色と云ってしまえば早い、情欲である。 白い手の内には、いくつもの手放さぬと決めたものがあった。 気付けば、この身体に任された重みは、歳月と共に重力を増し、この身体を生を知らせる。 警鐘のよう、日ごと増す重みに、時折顔を顰めるようにして、身勝手な恋などというものを思慕するのは、最早身に馴染んだ悪癖である。
「私は、あの人に甘えるしか出来ないんです」
「いいんじゃねえの、女の特権ってやつで」
「それは、銀さん、あなたが男だから言えるのよ」
男になってみるか。 それは、口には出来ぬ皮肉であったが、常日頃自棄になった精神が抱く、世間一般の女に対する皮肉であった。 腕についた筋肉は、己や、かの男などを守ることには役だった。 が、一度その世界を抜けてしまえば、これほどに不自由な肉体は存在しない。 守ることを定められた血肉は、同様に守ることばかりで守られることをしなかった。 愛を注げば、同じだけ、男の身体から抜けていく。 無限回路を延々と歩かされているような心地は、怠惰が得意の性分から、時間だけが浪費されていくのだった。
粗暴を働く女が、あの男の前だけでは、繕うことを止めることを知っている。 穏やかそうな笑みをたたえるのは一瞬で、すぐさま男に落とされる拳を遠巻きに眺めれば、楽しげな声だけが洩れてくる。 男は、器量の大きな人間であった。 他人事ながら、関心して呟くと、女はそれに頷くこともしなかった。 ただ、小さな掌同士を絡め、ふうと溜息にしては甘い息を漏らす。
「甘える相手は、選べるほどいねえんだよ」
だから目の前にその相手がいるなら、離しちゃなるめえよ。 男の言葉を真似して云えば、女が瞠目する気配がした。 一度だけ、痛む腹に手をあて、古びた柵に手をかける。 あちらの方から、顔面に笑顔を彫った男が歩いてくるのが見えた。 ほうら、見てみろ。 声に出さず女に目をやれば、己より先に見つけていたらしい。 唇を僅かに持ち上げたまま、立っている。
「そうね、わかってるわ」
だから、あなたは行くんでしょう。 そう告げた女を振り返る。 すると、女は、泣きそうな顔さえ忘れて、笑んでいる。 きれいだなあと呟けば、当り前でしょうと返されたので、背を向けた。 明後日の方向で、不機嫌を隠さず待っている男の元へ行く足取りだけが、軽い。
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2010/10/21
作品名:銀魂log...Vol.1 作家名:べそ