ユースティティア
「何事だ!」
叫ぶ男の声に重なるように、グッだのグエッだの息を押し殺した呻きが連発した。
「なっ?! そやつを逃すな!」
「遅いっ!」
暗闇での攻防は、集中しすぎていた男達には分が悪かった。
一瞬の暗闇に、拘束していた腕の力が抜け、その期を捉えたシャアはするりと足元へと身を滑らせた。
踵をずらして隠し持っていたナイフを取り出すと、素早く皮の手錠を断ち切り、傍に立つ男達の背中や後頭部を踵や拳で殴っていったのだ。
それ以外にも男達の胸元に入っていたであろう携帯端末がショートし、簡易スタンガンとなっていた。
バタバタと倒れていく音に、指示を出していた男は、胸元からスマートフォンを取り出し、管制室へと照明の点灯を指図しようとしたが、連絡が取れない。
そればかりでなく、ありえない現象が目の前に生じだした。
『即時解放を要求する』
己の持つスマートフォンから女性とも男性とも取れる声が流れたのだ。
液晶画面は白く光り、キラキラと金色の欠片が舞っている。
「何?」
『繰り返す。当方は、現在そちらが拉致拘束しているG−ON CEO。シャア・アズナブルの即時解放を要求する。不当な拘束には、それ相応の代価を支払ってもらう』
男は驚愕にスマートフォンを放り投げた。
床に転がった画面から白い光りの粒子が浮かび上がり、それは金色の欠片を纏って徐々に人形を取り出す。
長いすそを引く、女性の姿を
その手がスイッと持ち上がると、シャアと男の間にあったテーブルを示す。
ピッ
電子音が鳴り、直後にテーブルの一部が捲れ上がってPC画面に照明が灯った。
画面上には白い光が走り、青い閃光が周囲を縁取っている。
『この建物は完全に俺たちの管制下に置かれている。無駄な抵抗は止めとくんだな。痛い目をみるぜ』
「こ、これは・・・伝説の・・・ハッカー・・・」
悠然と構えていたはずの男の喉から、搾り出すような掠れた声が漏れた。
『我々の存在を知っているのなら現状が如何に危険な状態にあるか、理解しているな。最後通告だ。即時解放せよ』
「ハッ! この部屋に拘束されている男を解放するもしないも、私の一存で出来る事ではない。おまけに君達には武器は無いだろう? 何が出来ると?」
液晶画面から漏れる光に男の顔が映し出されているが、醜く引き攣った笑みが顔面を彩っている。
『何も出来ないとお思いか?』
その声と共にズシンッと腹に響く地鳴りが届いた。
途端に警報音が全館に鳴り響く。
天井に設置されているスピーカーから悲鳴のような報告が流された。
「当国軍事衛星からのレーザー攻撃が中庭に着弾! 次射準備がなされています。職員は至急シェルター内への避難を初めて下さい!! 繰り返します! 当国軍事衛星からのレーザー攻撃が中庭に着弾! 次射準備がなされています。職員は至急シェルター内への非難を初めて下さい!!」
「なんだと?」
『私は軍事衛星を完全に支配下に置いている。次射では貴方だけを射る事も可能。それだけの性能を有していることは認識していよう? それでも我が意に逆らうつもりか』
中性的な声は静かだが威厳と威圧感をもって指示者の精神を絡め取った。
「貴方は誰に喧嘩を売ったかお判りでない。我妻は私以上に怒らせると恐ろしい相手なのだよ」
シャアはそう言うと、床に転がったスマートフォンを掬い上げた。
光りの人形がシャアの頬を愛しげに撫でる動きをする。
それに笑みを返すと、シャアは男に向き直った。
「ITの平和的利用に人一倍積極的なのは、使い様によってはこの様な事が可能だと熟知しているから故だ。ハッカーとしてその世界では一世を風靡したからこそ、その恐ろしさを充分知っているのだ。彼女が正義だと思わない限り、我社の開発した製品の軍事転化は為しえん。諦めて私を解放するのだな。その方が貴様もそれに連なる依頼者も無事に過ごせると言うものだ」
『剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力。正義は常に秤と剣を携えて行う物。貴方達の為そうとした事柄に、正確な秤は存在したのか、よく考えてみよ』
光りの人形がそう言うと、部屋のロックが勝手に解除され、シャアはスマートフォンを片手にその部屋を後にした。
後にはへなへなと崩れ落ちる男と、床に這いつくばって呻く男達が残されただけだった。
2011/03/02