ユースティティア
シャアの拉致監禁事件から3週間が経過した。
シャアは幾度と無く政府高官と会見をし、脳波感知キーボードの軍事利用に対して協力は出来ないし今後もするつもりは無い事を納得させた。
とは言え、今回のハッキングで、自国の防衛関連の外部干渉遮断機能が脆弱ではないかと言う不安を抱かせてしまった事に対しては、ガード機能の強化策をアムロに頼んで作成し、それを取引材料として提供したが・・・。
「アムロやカミーユほどのハッカーでもない限り、軍事衛星や偵察衛星にハッキングをかけられる者は居ないと断言できるのだがね」
『ハッキングの可能性を見せてしまった手前、対応をせざるを得ないでしょ。あれなら大丈夫だと思う』
カウチに横たわるアムロの頭を膝に乗せ、シャアは飽く事無く紅茶色の巻き毛を指に絡めては梳く動作を繰り返していた。
アムロは、あの神業的なハッキングの後から、無理をすると疲れ易くなっていた。
それでなくても産み月が近付いているせいで疲れ易いのに、心身ともに多大なストレスとなるハッキングをした為に、身体が休養を要求しているのだと産業医である女医から説明されたシャアである。
ならば何処でも身体を休められるようにとシャアは、館の廊下と言わずありとあらゆる所に椅子やらカウチを設置した。
今は、夫婦の居間である部屋に置かれたアールヌーボー調のデザインが施されたカウチで、シャアはアムロとの触れ合いを満喫している。
「で?身体の具合はどうなのかね?」
『もぅ。一日に何回訊ねたら気が済むの。元気になっているって返事しているでしょう』
「それは・・・聞いているが。・・・・・・心配でならないのだよ。お腹の嬰児も」
シャアはそう言うと、横にまで張り出し気味になっているお腹を愛しそうに撫でた。
『ああ。そう言えばここ数日、蹴ったり叩いたりが少ない・・・かな?』
「ようやく安心できる様になったのかもしれないな」
『かもね。・・・・・・さぁてと、そろそろ入浴して眠らない?明日は西海岸の支社に視察の予定があったでしょ?』
「ああ。3日ほど留守にする。代わりといってはなんだが、母上がこちらにお越しになるそうだ」
『えっ?お母様が?』
吃驚して飛び起きようとするアムロを制しながら、シャアはゆっくりと座らせた。
「ああ。事件の時は中東に福祉活動で出かけていて見舞いに来れなかったそうだ。ようやく身体が空いたので、出産までこちらでアムロの相手をして過ごすと父上とアルテイシアに言ったそうだよ」
『御迷惑にならないかな』
肩を抱かれて逞しい胸に身体を預けながらアムロが懸念を口にする。
その気遣いにシャアは微笑ましさを感じた。
「迷惑だなんて思わなくていい。母上は初孫の誕生を殊のほか楽しみにされていると父上から聞かされている。あの事件の後、アムロの活躍に感謝しながらも母体の負担を酷く気にしていたそうだから、親孝行の一環だと思って母上のしたいようにさせてあげたまえ」
親・・・孝行、かぁ
ぽつりと呟く淋しげな声は、音声変換器と声帯の両方から発せられた。
アムロの母親は行方が知れない。父親は既に他界している。
親孝行をしたいと思っても、それは無理な事だ。
肉親がいないという事は、思いのほか淋しいものなのだとシャアはアムロを見ていて感じた。
「きっと君の身の回りの一切合財を自分がやると言い出しかねない。迷惑だったらハッキリ言って構わないよ。あの人はやるとなったら際限がないから・・・・・・。ん?アムロと似てる・・・か?」
『私と似ているだなんて、お母様に失礼だわ。さぁ、入浴しましょう?』
アムロがシャアから身体を離し、立ち上がりかけて一瞬顔を顰めた。
「どうした?アムロ」
『う・・・ん。少し、お腹が張っただけ。・・・・大丈夫。直ぐに消えたから』
「そうか・・・。何かあったら、直ぐに知らせてくれたまえよ。君は我慢しすぎるきらいがあるからね」
『心配性なお父さんですねぇ』
そう言うと、アムロは苦笑しながら張り出したお腹を擦った。
「君のお母さんは無茶しますからね。しょうがないと思いませんか?」
シャアも同じ様に擦りながら子供に愚痴った。そして互いに微笑みあった。
翌日、日の出直後にアストライアが館を訪れ、家人一同を驚嘆させた。
「母上〜〜」
寝込みを襲われた感のあるシャアが困惑気味に言い募ろうとしたが、みなまで言わせるアストライアではなかった。
「もう待っていられなかったのですよ。一刻も早くアムロさんの顔が見たくて。ああ。貴方は出張でしたね。行ってらっしゃい。気を付けてね。アムロさんの事は万事任せて!気兼ねなく仕事に励みなさいな」
もはや息子などそっちのけで、可愛い嫁と生まれてくるであろう孫に夢中な母親を目の前にして、昨夜の自分の説明が的を得ていたと痛感したシャアだった。
「では、3日間。よろしくお願いします。何かあったら」
「ええ、ええ。直ぐに知らせますわ。さぁ、出かけなさいな」
「まだ迎えが来るまでに時間があるんですよ」
「あら、つまらないこと。ようやくアムロさんと二人っきりで色々と話したりしようと思っていたのに、貴方が居るのは邪魔ですわ」
「邪魔・・・・・・。実の息子にそこまで言いますか」
「男の子なんて、大きくなってしまえば、一人で大きくなったような顔をしているんですもの。可愛くないですわよ。その点、女の子は一緒に色々出来て姉妹みたいに過ごせますから、楽しいですわ。ねぇ?アムロさん」
「えっ?・・・ええ」
「アムロに無理やり同意させないで頂きたい。アムロは母上との接し方に慣れていないのですから、振り回さないで下さい」
「失礼ね〜。これだから男の子は・・・」
「お・・・かあ様。3日・・・間、よろしく、お願い、致し・・・ます」
就寝時にサークレットを外していた為に、アムロは懸命に発声をしてアストライアに挨拶をした。
「ああ〜。な〜んて可愛らしいのかしら。大丈夫よ!私に全て任せて下さいね」
ほ〜ら、と言わんばかりの表情でシャアが肩を竦めた。その動作にアムロがクスクスと笑う。
穏やかで優しい風景がそこにあった。
2011/03/10