ユースティティア
「傷を付けたりしたら外交問題へと発展しかねない方なんですからね。手出しをしてはいけませんよ。・・・・・・まだ」
ここでの実質上のトップである男は、そう言って笑顔をシャアへと向けた。
張り付いた笑顔は見て気持ちの良いものではない。
“イタリアのマスカレードのようだな”
無機質めいたその顔を見ていたくなく、シャアは己の左薬指に視線を落とした。
そこには、蔦薔薇の柄が彫り込まれている白銀に輝くリングがはめられている。アムロのサークレットと同様に・・・
“アムロはさぞかし心配をしているだろうな。お腹の子供に障らなければ良いが・・・”
アムロの事を考えると、こんな時でもシャアは心が穏やかになる。
温かい笑顔や、その指が齎す人々の為の開発と自分の為の美味しい料理。発声は相変わらずたどたどしいものの、腹の子に子守唄を歌っている時もある。囁くような声だが、その優しさに自分も包まれて眠りに就く事もある。
“ああ。早く帰って元気な顔が見たい”
シャアは指輪をなぞりながら、つい表情を和らげた。
その変化を、真正面に座る男は見逃さなかった。
「奥様を危険に晒したくなかったら、こちらの条件を受諾なさい。もう直ぐ二世が生まれるのでしょう? そんな時にこんな不安を与えたりしたら、母子共に危険に晒される事になりかねませんよ」
「アムロに手を出してみろ! 貴様らを完膚なきまでに叩き潰して抹消してやるぞ!!」
シャアの纏う空気が一瞬で苛烈なものに変化した。
瞳が高熱の焔の様にぎらつき、陽炎のように揺らぐオーラが身を包んだ。
「やはり、奥様が逆鱗・・・ですか。脳波感知キーボードの開発も奥様でしたね。正直な所、交渉は奥様としたかったのですよ。しかし、身重だからと言うこと以外にも奥様が表に出る機会が極端に少なかったので、CEOである貴方と交渉をしていたのです。これでも随分と気を使っているのですよ?いい加減、色よい返事をいただけませんか」
言外に、本当の目的はアムロであると告げられ、シャアの片眉がピクリと上がった。
「たとえアムロを拉致したとしても、彼女は自分の開発したものの軍事転化を容認しないだろう。現状の利用で満足しておきたまえ」
「国を守る為には現状の反応速度では足りないのですよ」
「自分達で変更や開発をしてみてはどうなんだ」
「既にトライはしてみました。その結果を御存知でしょう?」
「・・・システムが破壊されてしまったのだろう?」
「そうです。変更しようとすれば機能低下どころか壊滅してしまうのですよ。新たに開発しようにも、細部のノウハウが解らないので手の打ちようが無い。ですから何としても協力をしてもらわねばならないのです」
男の纏う空気が変わった。
「これが最後通告です。こちらの要求に従いなさい」
「ことわる!・・・と言ったら?」
「貴方であって貴方でない存在になってもらう・・・そうなっても構いませんか?」
「洗脳・・・か」
「我々の人形になってもらいます」
男がシャアの周囲の男達に顎をしゃくった。
抗おうとしたシャアに無数の手が伸ばされ、動きが止められた。そしてその手の奥から白衣の腕がシャアへと伸ばされた。
その手には注射器が納まっている。
“くそっ! ここまでか・・・・・・アムロ・・・君を守りきれないのか。私は・・・”
何とか逃げようと動かぬ身体に力を入れるが、注射器はシャアの腕に当てられた。
“アムロ!!”
シャアが心の中でアムロを呼んだ時
明かりが一斉に消え、一瞬にして室内は暗闇に包まれた。
2011/02/21