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七十パーセントの悪意、あるいは

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 2.

 プールの飛び込み台からアストラルのつま先が軽やかに弾んだ。
 青い光の軌跡は、今しがた遊馬が派手な水柱を上げた名残へと一直線に舞い降りて、音もなく水の中へと消えて行った。

 一部始終をプールサイドから眺めていた真月の耳に、ぱちぱちと拍手の音が届いた。
「うわあ、アストラルすっごく綺麗ー」
 拍手の主は、プールの縁に腰かけていた小鳥だ。彼女の隣のキャッシーが、不思議そうな顔できょろきょろと辺りを見回す。
「私には見えないから、きゃっと残念……」
 遊馬の仲間には、アストラルが見える人間とそうでない人間がいる。真月は建前上、後者の方だ。アストラルとうっかり目を合わさないように、真月はそっと視線を逸らせた。
「どんなだったのかな。ボクも見たかったです」
 プールサイドから水際まで歩み寄る。真月が伸ばした足先で波打つプールの水を素早く引っ掻けば、飛沫とさざ波と共にいとも容易く水面は乱れる。
 水。普段は優しそうな顔をしておいて、一度油断するとすぐさま殺しにかかって来る物質。そんな得体も知れない代物に、アストラルは躊躇いもなく身を投げた。
 実体のない彼の物理的ダメージはゼロだから? あるいは飽くなき探究心?
 アストラルのひたむきな眼差しがどこに向いているかを観察し、真月は最大の理由がそのどちらでもないことを悟った。
 遊馬とアストラルは、まだプールの中だ。
「アストラル! お前いきなり人の頭の上に降ってくんじゃねえよ! びっくりすんだろ!」
〈飛び込みが終わったら速やかにその場から離れろと先生から指示があった。私の後ろにも次が控えていた。いつまでもそこにいた君が悪い〉
 穏やかに宙に浮かぶアストラルに対して、遊馬はとにかく騒々しい。オーバーな身振り手振りに時折激しい水飛沫さえ交えて、アストラルとの会話に興じている。
〈そんなことよりも遊馬。私は小鳥に褒められたぞ〉
「それってつまり、オレよりお前の方が上手ってことか?」
〈他に解釈の仕様があるのか?〉
「くっ、くっそぉ、こうなったらもう一回勝負だ! 今度という今度はどっちが飛び込み上手か証明してやる!」
〈ふ、よかろう〉
 肉をまとった柔らかな心臓が、さっきからずっと不快な速度で跳ね回っている。
 何故だろう。他人の会話でこれほどまでに苛立つのは。バリアンの感覚の鋭さが、真月にはただただ憎らしかった。

 遊馬の一定ラインの信頼を勝ち取り、真月は彼の仲間の座を手に入れた。
 あの日の愉快さときたら。思い返すだけで真月の口元に笑いがこみ上げる。バリアンの操り人形に我が身をいたぶらせてやった甲斐があったというものだ。そうでなければ誰が下等な人間如きに好きにされるものか。
 よかれと思ってを隠れ蓑に、真月は遊馬の仲間の絆を揺さぶる作戦を度々行った。遊馬を委員長に仕立て上げて前任者をお役御免にしたり。ナンバーズクラブのくだらないマスコット論争をさり気なく煽って一大事にしたり。残念ながら、それらは決定的な亀裂が入る前にことごとく遊馬に阻止されてしまった。それでも、一番肝心な絆は残されている。遊馬とアストラルの間に結ばれた強い絆。それは最後のとっておきだ。
 真月は楽しみに待っている。遊馬が自らアストラルを裏切る日を。アストラルの信頼に満ちた瞳が不信と憎悪に染まる日を。そのための手はずは整いつつある……。
「おーい、真月ー!」
 思いもしない近くから遊馬の声がした。はっとして、真月は声の方向を探るべくきょろきょろと辺りを見渡した。
「こっちだって、こっちこっちー」
「ゆ、遊馬くん! いつの間に、こんなところに!?」
 考えごとをしている間に、遊馬が足元にまで近づいて来ていたのだ。プールの縁に手を掛け、あの赤い瞳で見上げている。まさか、今のよからぬ企みが顔に出てしまったのではあるまいか、と真月は焦った。
「あれぇ? さっき飛び込み行ってたんじゃなかったんですか?」
「うん、行ったよ。行ったけど」
 どことなくふてくされている遊馬。その様子からして、アストラルとの勝負の結果は推して知るべしだった。
「お前まだ飛び込みやってないだろ? もうすぐ授業終わっちまうから一回くらいはやって来いよ」
「い、いや、ボクはいいですよ」
「そんな遠慮するなって。大丈夫、怖いんだったら前みたいにオレも付き合ってやるからさ」
「……」
「かっとビングだぜ、真月!」
 憎らしい。善意あふれるこの底抜けの笑顔が。
 真月は以前、遊馬に無理やり飛び込まされてアリト共々プールの底に沈められそうになったことがある。あの時のヘタレの演技に何割か混じった本気の涙は、バリアン態に口ができても言えない秘密だ。