シッポの行方
気づいたときには夜雀の屋台に来ていた。
いつから飲んでいるのか、もう何杯飲んだのか、はっきりと思い出せない。
ただ、酔いたかった。とにかく酔いたかった。そう思ったことだけは確かだ。
しかし、いくら飲んでもまったく酔えなかった。酔えないまま、それでも飲み続け、そしてまたコップが空になってしまった。
「おかみすちー、もう一杯くれ」
「おかみすちーって言うな。っていうか、いくら天狗が酒に強いからって、アンタもう飲み過ぎだよ」
「うるへー! もう一杯だ!」
女将はため息を吐いて、コップに酒を注ぐ。
「そんなに酔いたくなるようなことでもあったのかい?」
コップが酒で満たされる様を見つめながら、女将が問う。
私はそれには答えず、酒を呷った。酒が体に染みていく。
「ま、言いたくないならいいけど」
女将はそれ以上なにも言わず、黙って食材の仕込みを始めた。
もうとっくに日は暮れて、夜の静寂の中で女将が振るう包丁の音だけが響いた。トントントンと、包丁とまな板が奏でる、安らかな音。
それは、私にはもう戻ってこない日常を思い出させた。
「……椛は幼なじみなんだ」
「椛……ああ、ここ最近、人間たちに気に入られてる子だね」
「ちっちゃい頃からずっと一緒いて、そばにいるのが当然で、それがこれからも続くと思ってたんだ」
でも、違っていた。現実はそうじゃなかった。
「私は椛のそばにいるときが一番ほっとするし、椛だって私のことを好きでいてくれてると思ってた」
そうじゃなきゃ、毎日ウチに来るはずがない。毎朝起こしてくれるはずがない。
「なのに、どうして……」
どうして私を捨てた? どうしてはたての元へ行ってしまった?
……そんなこと、もうわかりきったことか。椛が私を好きかどうかなんて、私の勝手な思い込み。私が椛に甘えているだけでしかなかったんだ。それに気づかないまま、ただただ変わらぬ日常を繰り返していただけの、救いようがない愚か者、それが私。
夜のどこかでフクロウが鳴いている。まるで私をあざ笑うかのように。
ははっ、そりゃフクロウだって笑うよな。私の滑稽さを見れば。
しばし笑われたまま突っ伏していたら、女将が口を開いた。
「アンタ、その子のことは好きかい?」
私はもう一度酒を呷って、答えた。
「ええ、好きですよ。好きですとも、大好きですとも!」
悪いかよ! 今でも好きでいちゃ悪いかよ! どうしても諦めきれないんだよ!
「その気持ちはその子にちゃんと伝えたかい?」
「そんなの!」
伝えてない。伝える必要がない。
「だって……そんなこと言うまでもないと……椛だって……」
椛だってわかってると思ってた。結局、それは勘違いだったけど。
「なら、伝えてやんなよ」
「今更そんなこと言ったって……もう終わったことなのに……」
そう。もう終わったんだ。終わってしまったんだ……遅すぎたんだ……もう何もかも。
「終わってなんかないさ。だってアンタ、何も伝えてないってことはまだ何も始まってないってことじゃないか」
「え?」
……始まってすらいない?
「だからさ、これから始めればいいじゃない。まずは自分の気持ちを素直に伝えるところからさ」
女将の言っていることを、確かにそのとおりだと思う自分ともう何もかも無駄だ思う自分がせめぎ合って、頭の中がぐちゃぐちゃだ。もう何をすればいいのか全然わからない。だけど……自分が何をしたいのかはわかった。
私はコップに残った最後の一口を一息に飲み干した。喉の奥が熱くなって、涙が出そうになった。
「……おかみすちー」
「おかみすちーって言うな。なんだい?」
「本当に、まだ間に合うかな?」
「ああ、大丈夫さ」
女将は優しく微笑んだ。それはどこか椛に似ているような気がした。
「そっか……」
なら、始めてみよう。これからを。
「おかみすちー、私、頑張ってみるよ」
「おかみすちーって言うな。ま、やれるだけやってみなよ」
やらずに後悔するより、やって後悔した方がいい――女将はそんな内容の歌を即興で歌って、でもそれは調子が外れていて、私は思わず笑ってしまった。
なんだか久々に笑った気がする。