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彗クロ 4

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 急速な変化は人の心を消耗させる――ふいに幼少の記憶が思索の海面に滲み出し、アゲイトは小さく苦笑した。若い頃には怠け者の現実逃避を慰める方便にしか聞こえなかった言葉だが、なるほど、年季の入った聖職者の含蓄は一筋縄ではなかったようだ。何事も受け取る者次第というわけか。
「ルーク」
 口元に微笑をたたえたまま、アゲイトは腰を落とした。恭しいほどの仕草で椅子の傍らに膝をつき、行儀よくそろえられた少年の膝の上に、そっと、一冊の本を献上した。
 ゆるりと少年の視線が膝元に落ちる。見覚えのない革表紙を映して、無心の眼差しに淡い疑問符が混ざりこむ。
「趣味で買ったもので申し訳ないけど、暇つぶしにどうぞ。文字を追うだけでも気が紛れるよ」
「……」
 呼吸がわずかに揺れて、ふらり、と翠色の瞳に何かが戻ったように見えた。厳重に下ろされたままの紗の向こう側で、確かに感情の動きがある。次いで浮かんだ不器用な微笑にも、神経反射以上の機微が感じられた。
「気、使わせて、悪いな」
「感謝の言葉は正しく使いましょう」
「え? ああ、ええと。……ありがとう?」
「よくできました。それではこちらもどうぞ」
「………………てづくり?」
「先ほどホテルの厨房を借りまして」
「い、意外な趣味……だな」
「子供たちを胃袋から懐柔してみようかと一念発起してみました。それはその余りですが、ぜひ召し上がってみてください」
「どう考えても懐柔される頭数に俺が入ってるとしか思えない……」
「あはは、どうでしょうねぇ。――さて、そろそろ出ないと。留守番よろしくね」
「ああ」
 切り替えるようにアゲイトは立ち上がった。入り口へと向かい、ドアの間近に置いてあった背負子を手に取る。
 ずっしりとした重量を背負いながら、ぶと、扉を開く前に一声言い置こうかと室内を振り向くと、遠い窓辺でルークは熱心に首を下に向け、すっかり文字の海の旅人になってしまっていた。アゲイトは口元に穏やかな笑みを刷き、極力物音を立てぬよう、優雅に室内を後にした。

作品名:彗クロ 4 作家名:朝脱走犯