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彗クロ 4

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4-11



 若々しい生命力に満ちた背中を見送りながら、『メリル』はくすくすと肩を揺らし、目尻に薄くこみ上げたものをそっとぬぐった。
「……いけませんわね。感傷的になってしまって」
 そうして、気配もつつましく傍らに進み出た人物に、にっこりとグラスを掲げて見せる。
 拳を作った手を腹部に回し、目立たず、しかし儀礼をわきまえた会釈をとったのは、ジョゼット・セシルだった。目に慣れた軍服姿ではなく、シンプルなパンツとジャケットを組み合わせた私服だ。動きやすさを重視しつつもラフになりすぎない、身綺麗でタイトなシルエットが実に彼女らしい。
 自己を押し殺す献身的な従者の振る舞いに、『メリル』は少し眉尻を落とした。
「貴重な休暇を浪費させてしまいましたわね。わたくしのわがままに付き合ってくださって、本当に申し訳ありませんでした、将軍」
「いいえ。これが我々の仕事です。どうかお気になさらぬよう」
「ありがとう。……貴女がここにいるということは、ガイはもう?」
「はい、本国の所用があるとのことで。闘技場にて護衛を交代しました」
「相変わらず余裕がおありですこと……」
「は……?」
「いえ、こちらの話ですわ」
 ごまかし笑いを返しながらも、『メリル』は実につまらなそうにワインを口に運んだ。
 ……この温度差は危険だ。『彼』に関する諸々は、やはりマルクト側に一日以上の長がある。口を挟める立場にないことは重々承知しているが、危機感を覚えずにはいられない。このまま蚊帳の外に甘んじ続けていては、いつか、取り返しのつかない取りこぼしをしてしまうのではないか……
「……『お嬢様』?」
「ああ、ごめんなさい、少し考え事を……」
「あの子供、ですか」
 図らずも言い当てられ、『メリル』は小さく息を呑んだ。
 セシルはわずかに忸怩とした様子で、眼差しを伏せた。
「口出しをすることではありませんでした。申し訳ありません」
「……いいえ。気をお使いにならないで。貴女だからこそ、今回の警護をお任せしたのです」
「それでは、やはり……」
 抑制された視線が少年の去った方角へと滑る。想定していた以上に、物思わしげな態度だった。よく見れば顔色もあまり芳しくない。……無理からぬことだろう。
 三年前、王都に帰還した英雄は、彼女の知己である同名の人物とは、明らかに似て非なる人間だ。それに気づかぬセシルではない。彼女にしてみれば、今回の件でむしろ腑に落ちた、というのが正味の実感であろう。
 抜き差しならない事情があるとはいえ、王室側が周辺関係者への因果関係の説明を怠ったことで、果たしてどれほどの人々の疑問を封じ、暗黙を強いてきたのか。『メリル』こそ忸怩とした思いで、小さくかぶりを振った。
「まだ、なんとも言えませんの。あの子がわたくしたちの探し求めていた希望なのかもしれませんし、あるいはまるで別の……ヴァンデスデルカやわたくしたちとはなんの因縁もない、ただの子供、かもしれませんわ」
「ですが、ガイラルディアも殿(でん)――『お嬢様』も、そうは思っていらっしゃらない……?」
 ずばりと切り込まれ、『メリル』は伏し目がちに微苦笑を浮かべた。
「……そうですわね。浅ましい、身勝手な期待なら、いくらでも。情けないことですが、わたくしたち皆、揃いも揃って己の願望に振り回されて、我を失っておりますの。都合の良い奇跡など起こらないと、一年前、いやというほど痛感したばかりですのに……」
「……」
「……ふふ、弱音が過ぎましたわね。愚痴に付き合わせてしまってごめんなさい」
「いえ。ですが、少しでも可能性があるのなら……よろしいのですか、彼をこのまま帰してしまって」
 尤もな意見に、ふと、『メリル』は口をつぐんだ。
 マルクトとの協定など棚に上げ、後先考えずにこのまま『レグル・フレッツェン』の身柄を押さえてしまいたい衝動は、確かにある。多少強引でも、大義名分はあとからいくらでもでっち上げられるだろう。国際的信用という代償を天秤にかけてなお、魅惑的な選択肢であることは否定できない。しかし……
「……実を言うとわたくし、今回の一件でのガイの態度が、とても納得いきませんでしたの」
「ガイラルディア、ですか?」
 唐突に従兄弟の名を出されたためか、セシルは戸惑ったように眉をひそめた。身内の落ち度を指摘されたように感じたのかもしれない。そうではないと、『メリル』は微笑む。
「わたくしの、子供じみたないものねだり、みたいなものでしょうか。ただ、彼がとんでもなく冷静なのが、なんとなく鼻につくというか、単純に、気に入らなかったのです」
「気に入らない……」
「本当なら頼もしいくらいに思っておけば良いのでしょうけど、感情はなかなかついていきません。……わたくしの知るガイはもっと、『ルーク』に対して誰より心を砕いて……誰が見捨てても、自分だけは絶対的な味方で居続ける、そう決めて実行もいとわない方でした。けれど今のガイは、そうしたかつての印象とズレがあるというか……」
 自分の言葉に欺瞞を感じて、『メリル』は吐息をこぼした。身勝手で未練がましい、薄汚い感情を、己が内に自覚する。
「……いいえ、違いますわね。ただ単に、ガイにも「堕ちて」欲しかっただけなのでしょうね。もっと必死に、みっともなくのたうち回って欲しかったのです。現実にうちのめされて、それでも諦めきれず、なりふり構わず一縷の希望にすがりつかずにはいられない……そうあってくれるものだと、勝手に期待していただけなのです。今のわたくしたちが、そうであるように」
 セシルは視線を低く落とし、沈黙を堅持している。その姿が好ましくも、裏を返せば目下の人間に発言を躊躇わせてしまっている事実が情けない。
 『メリル』は自虐を振り払うように肩から息を抜き、形だけでも晴れ晴れと天を仰いだ。澄み切った冬の空は好きだった。星々の輝きは見えずとも、なにものに遮られることもなく、そこにある星空と「つながっている」感覚が、なんとなく面白くて、心地良い。
「けれどこうして、あの子と逢って、言葉を交わして……なんだか、ガイの気持ちがわかってしまった気がしますの。ご覧になったでしょう? あの子は普通の子供ですわ。怒って、笑って、驚いて、照れて、呆れて、悔しがって。当たり前のことが当たり前にできる、本当に「普通の」子供でした」
「……ええ、わかります」
「あの子は、今この時、自分の人生を生き生きと謳歌しているように見えましたわ。誰に縛られることもなく、あらゆる陰謀や抑圧から自由で。わたくしたちのエゴの籠に追い込まなくとも……わたくしたちのことを忘れたまま、知らぬままでも……あの子がどこの誰であれ、ああして、世界のどこかであの子があの子らしく笑っていられるのなら……それで、いいのではないかしら」
 胸がちくりと痛み、視界一面の濃紺がかすかに波打った。『メリル』は眼球に膜を張った水分にあえて指を触れず、冷ややかな夜気の愛撫に任せる。
 後悔はある。不安も。共に同じ道を歩めないことへの寂しさはそれ以上。
作品名:彗クロ 4 作家名:朝脱走犯