彗クロ 4
4-12
「……で。結局なんなんだよオマエ」
港から中央広場への空中滑車に向かいながら、レグルは前を行く深緑色の後頭部にうんざりと投げかけた。
こちらの事情もお構いなしにお祭り気分をぶった斬ってくれやがった似非水兵ことフローリアンは、さっきから紙鳥とおぼしき紙片とにらめっこしつつ、あとで絶対問いつめてやるとかなんとか忌々しげに呟くばかり。とにもかくにもホテルに帰ろうの一点張りでレグルを根負けさせたきり、何度問いかけても理由の説明が一向にないのだ。港明かりも遠巻きになった物静かな通りまで来てようやく、ううーんと曖昧な反応があった。
「……なんかさぁ……上のほうで不審者が出たんだってぇ。被害は特になかったらしいけど、ちょこっとばかしルークが」
「――巻き込まれたのかッ!?」
「わぁ、いーリアクション。大丈夫、軽くニアミスしかけたってだけだから。犯人拘留済み」
「お、おう。無事か」
「まあそれで、ルークがレグルの心配してるからいったん合流しよーってさ。とっさの連絡手段がないとやっぱ不便だねぇ。バチカルでかすぎー」
「紙鳥があんじゃねーの?」
「無理無理無理っ、あれナニゲに高等技術なんだからね!? 街とか施設とか固定座標にならボクでも飛ばせなくはないけど、動き回る個人対象にピンポイントで送りつけるとかどんだけだよ!ってレベルだから。……あーあのおにーさん思った以上にクセモノだわ……」
「ふーん。ま、ルークが無事ならなんでもいいけどよ」
「ブレないのはいいけどさぁ……ま、いーや」
呆れ調子で首を振り向けたフローリアンは、一転、キランと鋭く目を光らせた。次の瞬間、レグルの両手を塞いでいた質量の片方がぱっと消える。
唖然とからっぽの右手をにぎにぎ動かして、数瞬。はっとして視線を上げれば、まだ旨そうな匂いを漂わせている鳥串が、フローリアンの口元にちゃっかりくわえられていた。
「あッ!? てめッ、そっちルークの土産――」
「ひーひゃん、ほーせへやひはえれはひふはへほ」
「何言ってっかわかんねっつの!! くっそー、せっかく吟味して上等そーなの持ってきたのに……」
「んぐんぐ。……んーなことよりさー」
歩みを再開しながら、早くも半分近くを消費した鳥串を口元から離し、フローリアンがトーンを落として呟いた。
「さっき一緒にいた女のヒト、あれ、知り合い?」
「あぁ? んなわけあるか。たまたまその辺で会って、闘技場のチケットとメシおごってくれただけだし」
「うっわ露骨……怪しいとか思わなかったワケ?」
「思ったけどよ、勢いに流されたっつーか――いや別に悪いヤツじゃなかったぜ!?」
「そりゃーそうだろうけどー。悪人とワルいオトナっていうのは、また別の話なんじゃなーい?」
「ハァ? 意味わかんねーぞソレ。どう違うんだ?」
「レグルくんはぁ、もーちょっと女のヒトにメンエキつけましょうねぇ〜ってハナシぃ」
「んなっ!!?」
途端、背後から瀑布のように浴びせられる文句と言い訳の雨あられを見事に全スルーしながら、フローリアンは二人目の不審者の姿をおぼろに思い描いて、眇気味に夜空を仰いだ。
「なーんか、妙なカン違いしてんじゃないかなぁ、あのヒトたち……」
***
一夜明けたバチカルの空は薄曇りだった。刷毛で一往復塗りつけた程度のあっさりとした灰色の向こうには、きちんと力強い太陽の気配が感じられる。明るすぎず、暗くもなく。昨夜の事後処理に思いのほか睡眠時間を削られた身には、ある意味ありがたい天気と言えるかもしれない。
「――そんなわけで、こちらの顛末は以上だ。いろいろと手落ちが多くて悪かったな。今日のところは横槍が入らない保証はできるから、まあ安心して発ってくれ」
目抜き通りから路地に入った角際に背を預け、対面の壁に向けて呟くガイの姿は、傍から見れば独り言にしか見えなかっただろう。しかし、程良く量を増した観光客の人波は、暗く落ち窪んだ路地裏にまではそうそう好奇心を振り分けない。かくて、後ろ暗い密談は誰に気付かれることなく成立するのである。
「了解しました。こちらは予定通り、一時間以内に出立します」
応答は視線の先ではなく、明るい横合いから返ってくる。大通り側の角際で壁を背に佇む人物は、やはりこちらを見返ることなく淡々と報告を終えると、いつも通りの穏やかな語尾に、らしくもない深々としたため息を繋いだ。
こちらの落ち度を責める響きのないその意図が汲み取れず、ガイが疑問符を差し向けると、かえって申し訳なさそうな声で彼は言う。
「まさか彼女がジョゼット嬢だったとは。昨日一番の地雷を踏んだのは自分だったわけですね……」
「いや、君と彼女に面識がないっていう事実のほうがまさかなんだが。確認しなかったこっちもうかつだったかもしれないけどなぁ、それにしても、婚約が決まった時点で挨拶ぐらいは済ませてると、普通は思うだろ」
「そこはまあ、単純に当時のスケジュールが合わなかっただけなんですが。……本件でなくても、実のところ、一生顔を合わせるつもりはなかったんですよ、彼女とは」
「そこまで!? なんだなんだ、何かモメてるのか?」
「いえ、何があったってわけでもないんですけど……レムの塔でのいざこざを聞く限り、ねぇ……」
「あ……あぁ〜……まあ、な」
「昨日の様子では、あちらに大人の対応は期待できそうもありませんし、今後の『おつかい』の際には人員の差配にご配慮いただければ何よりです」
「そういうのは俺じゃなくて君の上司に言ってくれたまえよ……」
「それはもちろんですが、むしろキムラスカ側の問題として、案外深刻なものを感じたので。『セシル卿』の影のフォローものちのち肝要になってくるかと」
「……はは。……肝に銘じとくよ」
ガイは眉尻を下げて嘆息と笑いの狭間の呼気を漏らした。人畜無害に見せて、痛いところを的確に突いてくれるものだ。
その通り、もう三年も経つというのに、メンタルヘルスに問題を抱える人間が多すぎる。周囲がフォローしろと言われても、現状でさえ、比較的軽度の罹患者がより重症な患者に気を遣っているような塩梅だ。今でこそこうして不思議と冷静を保っているガイ自身も、どんな些細な刺激でまたぞろ後悔の袋小路に迷い込むことになるかわかったものではない。恐るべきことに、これら無駄に行動力に恵まれた要治療人物たちが各国の執政に浅からず食い込んでいるわけで……全力で公権力から逃げたがるレグル・フレッツェンの判断力は、これだから馬鹿にできないのだ。
群衆の喧噪を割って、遠くから呼びかける声が届く。変声期過ぎとはわかるが脳漿に響く、奇妙に甲高い音調。報告書にあった「予定外の同行者」だろう。不意に押し寄せた懐かしさに、ガイの口元が緩む。
明るい場所に立つその男は素早く反応し、呼び声のする方へとにこやかに手を振ったようだった。結局一度もガイのことは見返らず、ただ、路地の入り口を横切る瞬間、囁くように助言を落としていった。
「――そこから顔を出すなら、二分後に」
ガイもまた、通り過ぎていく後ろ姿を見送ることはせず、ただ下方へと自嘲めいた笑いを落とした。
世にも得難いそのおせっかいを、ありがたく受け取るだけの余裕は、今の自分にはない。