小説インフィニットアンディスカバリー第二部
ファイーナの背中を見送りながら、アーヤは凪いだ心の内に語りかけた。
彼女の姿を隠すように、ケルンテンの街には雪が降り始めていた。
昨夜の雪も夜明け前にはやんでいたが、街並みにうっすらと白化粧を残していた。それもコンテストが終わる頃には溶けていたが。
コンテストはエレノアさんの優勝だった。
アーヤの「激レア・バターケーキ」もおいしかったし、ファイーナさんの「フルーツの祭典」も舌がとろけそうなほどおいしかった。でもエレノアさんの「ウエディングスペシャル」は、なんというか、別格だった。気合の入り方が違う。なんせ「ウエディングスペシャル」なのだから。
残念だと言いながらも、アーヤの表情はどこか晴れているようにカペルには思えた。ファイーナさんもそう。二人は同点だったわけで勝負はついていないのだが、それが良かったのかもしれない。
表彰式が終わった。
会場から人が引いていく中で、エレノアは師匠と二人、まだ舞台の上で話している。
名前は呼んでもらえたのだろうか。
彼女の表情をうかがってみるかぎりでは、どうやらまだのようだった。
「なにやってるの、カペル。私たちも帰るわよ」
「あ、うん」
アーヤに促されたが、カペルは舞台の上を見続けた。エレノアが大きく一つ頷いて気合いを入れるのが見えたからだ。直後、「私、エレノアです!」という彼女の声が会場いっぱいに響き渡り、カペルだけでなく、会場に残っていたみんなが舞台に注目することになった。
師匠に名前を呼ばれたいとエレノアが言っていたのを知っているのは、カペルだけ。他のみんなはぽかんとしている中で、カペルは一人、彼女にエールを送った。
だが……、
「そうか、エクレアもいいかもしれんな、二番弟子よ。はっはっはー」
お師匠さんは豪快に笑って厨房に消えていってしまった。
審査員として参加したカペルは、アーヤでもファイーナでもなくエレノアに投票したのだったが、どうやら無駄に終わったようだ。
「もう二番弟子でいいや……」
とぼとぼと舞台を降りてきてそう呟いたエレノアさんの肩をポンと叩くと、カペルはみんなと会場を後にしたのだった。
宿への帰り道。雪の解けたケルンテンの町並みを染めているのは夕日だ。
「カペル、誰に投票したのよ。もちろん私よね?」と言うアーヤの笑顔が怖い。
「私の『フルーツの祭典』、どうでした?」と笑うファイーナさんの表情も怖い。
「はっきりいいなさい。怒らないから、ね?」とアーヤは言っているが、信用してはいけないことをカペルは知っている。
だからエレノアに投票したことを彼女の思いとあわせて説明してみたが、「他人のことには気が回るのね……」「ほんと、そうですよね」と二人は顔を見合わせて苦笑していた。
仲が良いのか悪いのか、女の子というのは本当によくわからない。二人で何か密談のご様子で、カペルは一人取り残される格好だ。
そんなとき、ふいに金色の雨が降り始めた。
「あっ、月の雨……」
アーヤが手のひらでそれを受け止めながら、気持ちよさそうに天を仰ぎ見る。カペルもつられて空を見上げてみたが、身体への影響はやはり感じなかった。
ファイーナも空を見上げていたが、顔から表情が消えているようにカペルには見えた。視線に気づいたファイーナが慌てて取り繕うように笑っているが、彼女の気持ちがカペルにはよくわかる。
「どうしたの、カペル?」
「ん、なんでもない」
「変なの……」
二人にもいつか話さないといけないとは思う。
それがいつになるかと考えていると、ファイーナは帰り道が別だからとレイムを連れて行ってしまった。
赤く焼けた街並みにゆっくりと闇が降りてくる。
「……ファイーナさんって、いい人ね」
「どうしたの? いきなり改まっちゃって」
「ふふふ、別になんでもない」
少し嬉しそうなアーヤ。月の雨の中をふわりと舞うように歩く彼女の足取りは軽い。
宿が見えてきた。
入り口に人影が見える。エドアルドだ。
建物の壁にもたれるようにして腕を組んでいたエドアルドは、カペルたちを見つけると険しい視線を振り向けてくる。
「暢気にデートとは良いご身分だな」
「デ、デートなわけないでしょ、何言ってるのよ!」
アーヤの抗議を鼻で笑い、エドアルドは続けた。
「明日にはここを発つ。待ってもあの透明の騎士は現れなかった。もういいだろう」
確かにあの騎士は現れなかった。それがケルンテンの街の安全を保証するわけではないが、先を急がねばならないというエドアルドの言い分ももっともだとも思えたカペルは、エドアルドに答えた。
「はーい」
「おまえな……くっ」
気軽なカペルの返事に腹を立てたのか、エドアルドが歩み寄ろうとしたが、とつぜん彼は手を押さえてその場にうずくまった。
「大丈夫?」
「う、うるさい。おまえに心配されるようなおれ……じゃ……」
「エドアルド!」
エドアルドがその場に昏倒する。名前を呼びながら身体を揺すってみても、彼は呻き声を漏らすだけだ。
月の雨の中、それは突然の出来事だった。
エドアルドの容態はいっこうに良くならない。それどころか原因さえもはっきりしないのだ。ミルシェやユージンが治療を試みるも、月印による治癒術を受けるたびにエドアルドは苦しみだしてしまう。エドアルドの月印が鈍く光っていて、どうもそれが原因なのだろうことは想像できるのだが。
「カペルくん、どうだった?」
カペルはケルンテンの医者を手当たり次第に回って、エドアルドの症状について尋ねてきた。だが、
「どのお医者さんも『わからない』の一点張りですね」
「そうか……」
結局、詳しいことは何もわからなかった。すでに日は暮れてしまっていて、最後の方は露骨に嫌な顔をされたものだ。
そこに、バンと派手な音を立てながらドアを開けて、アーヤが帰ってきた。彼女はフェイエールの王族なので、ケルンテンの王城に協力を願いに行ってくれたのだが、
「なによ、あの態度!」
「どうしたの?」
「『我々けるんてん政府ハ解放軍ノ協力ヲ必要トシテイナイ。ヨッテ、我々ハ解放軍ニ協力スルツモリハナイ』ですって! 私はフェイエールの王族よ。それを門前払いって……もっと上に照会するくらいしなさいよね、あのハイネイル!」
どうやら断られたらしい。
「そうなると、手がかりをケルンテンで見つけるのは難しそうだね」
ユージンの一言に場の空気が沈む。
治療できないためにミルシェさんが落ち込んでいる。ドミニカさんは黙ってエドアルドの様子を見ているが、今回はいつものように助言をしてくれない。やはり彼女にもわからないことはあるらしい。
「どうしたんだ、兄貴?」
ヴィーカがやってきた。だが、入って来るなり重い空気を感じ取ったのだろう。心配そうにカペルに問いかけてくる。
「エドアルドがね」
そう言ってエドアルドを指差すと、ヴィーカはその姿を見てはっとしたようだった。カペルが状況を説明してあげたが、エドアルドのことが心配なのか、いつもの得意げな表情はなりを潜めてしまっている。
だが、説明が終わるとヴィーカの表情はいつものように変わり、そして、彼らしい表情を浮かべながら人差し指をピンと立てて言った。
作品名:小説インフィニットアンディスカバリー第二部 作家名:らんぶーたん