小説インフィニットアンディスカバリー第二部
<二>
「シグムント、やはり変わったな……」
「そ、そうかな」
「うむ。だが悪い変化ではない。物腰が柔らかくなったことに関しては、陛下も喜んでおられた」
カペルたちは再びコバスナ大森林を歩いていた。月の雨はやんでいるが、鬱蒼と茂る森の様子は変わらない。
キリヤという月印の研究者は、森の最奥部に庵を構えているらしく、その道案内のためにトウマとコマチが一緒に来てくれているのだが、シグムントの幼なじみであったというトウマがカペルに話しかけるのは自然の成り行きで、カペルはしどろもどろの会話を続けていた。
そんなカペルの様子を見て、トウマはシグムントが変わったと感じたらしい。ずいぶん鈍いというか、素直な人というか……。彼がそういう人なのだとわかると、騙していることに胸が痛みもする。それでも、今はまだばらすわけにはいかないのだ。
「トウマ、ちょっといいかい?」
その様子を見かねたのか、ユージンがトウマを連れて行ってくれた。
「た、助かった……」
「何が助かったんだ?」
そう声をかけてきたのはヴィーカだ。ハルギータへの道案内は済んだのだが、ついでだからと一緒に来てくれたのだ。
「べ、別になんでもないよ。それよりヴィーカ、一緒に来ても大丈夫なの? 他の仕事とかあるんじゃない?」
そう言うと、ヴィーカは少し寂しそうな顔を見せて言った。
「成り行きだからさ。……それに、エドアルドのことは他人事に思えないんだ」
「ん?」
「おいらには兄ちゃんがいたんだけど、エドアルドと同じような病気で死んじゃったんだ。月印が効かない奇病だってんで、みんな近寄りたがらなかった。半分盗賊みたいなこともやってたし、それで見捨てられちゃってさ。治せるのなら治してやりたいだろう? あんなの、もう見たくないから」
ヴィーカの抱いた思いは新月の民が持つ思いと似ている。みんなからつまはじきにされ、居場所を失う感覚。あんな思い、誰だってしたくないはずだ。それを憂うヴィーカの表情からは本気でエドアルドを心配してくれていることが感じられて、カペルにはそれがありがたかった。
「ありがと、ヴィーカ」
「へへ。でもちゃんと儲けさせてくれないと困るんだからな。兄貴、そこんところもしっかり頼むよ」
「それは保証できないなぁ」
ヴィーカは少し嬉しそうにして、先を行くアーヤたちを追いかけていった。ちらとこちらを見遣ったアーヤが「大丈夫でしょうね?」と視線を送ってきたが、カペルは笑って誤魔化しておいた。
「——だとすると、その失踪に封印軍が絡んでいるかもしれないってことかい?」
「ああ。だが、まだ確証はない。《影》を使って調べているところだ」
すると、後ろからトウマとユージンの会話が聞こえてきた。なにやら不穏な話らしい。
「どうしたんです?」
「ああ、実はね」
それは、コバスナ大森林の中にあった新月の民の村から、突如、住人がいなくなったという話だった。
「いなくなったって……村人全員ですか?」
「うん。連絡が途絶えたと思って調べてみたら、村はもぬけの殻だったらしい」
「封印軍が関係している、と我々は見ているのだが……」
特に争いの形跡もないらしく、襲撃があったわけでもなさそうだ。そもそも新月の民の村を襲う理由なんて無いはずで、だとすれば、村人全員でどこかへ移動しているのだろうか。わからないが、カペルはふとファイーナが言っていたことを思い出して首をひねった。
「ファイーナさんが取引相手が現れないって言っていたけど、関係あるのかな……」
「封印軍が絡んでいるのなら放ってはおけないけど、調査をするにしても、まずはエドくんの病気を治してからだね」
「そうですね」
言いしれぬ不安が胸を締め付ける。ファイーナたちは無事だろうか。まだケルンテンにいるであろう姉弟の姿を思い出し、カペルは心許無い気分を乗せた視線を、ケルンテンの方角へと向けた。
「おかしいな、そろそろ着くはずなのだが」
ふいに立ち止まったトウマがそう言う。
「コマチ、地図を」
「はっ」
コマチが取り出した地図を手に取り、二人してのぞき込み始めた。迷ったのだろうか、果てには地図の上下左右をひっくり返したりし出せば、カペルの不安は募るばかりだった。
「大丈夫なのかなぁ……」
景色はずっと変わらない。少し霧が濃くなったくらいか。光の胞子がたゆたうコバスナの風景は美しいが、さすがに見飽きてきた感もあった。それにおなかも減ってきている。迷ったら帰りはどうなるのだろう。夕食までには帰れるのだろうか。
そんなことをぼんやり考えていると、トウマが思案顔をこちらへ向けて言った。
「やはりこの先のはずなのだが……。見えてくるはずの渓流が見あたらない」
「先行して確認してまいりましょうか、殿下」
「ふむ……」
「殿下とともに拝命したこの任務。コマチ、一命を賭しましても遂行する所存です!」
コマチさんはずいぶん気合いが入っているみたいだけど、たかが道案内なのだから一命を賭す必要はないと思います。そう言いたかったが、彼女の様子を見ているとそれもかなわなかった。というか、以前の凛とした印象とはずいぶん違うような……。
カペルが首をかしげている間に、コマチはその場を離れようとした。が、後ろから聞こえてきた「待ってください」というソレンスタムの声がそれを止めた。
「どうされた、ソレンスタム殿」
「トウマ殿、ここで合っていますよ」
「しかし」
「結界です」
ソレンスタムがおもむろに手に持つ杖をトンと大地に突きつけると、そこに月印が浮かび上がる。すると、ゆっくりと揺れていた眼前の霧が凝結したように動きを止め、ガラスの割れるような音を立てて崩れ落ちると、すっかり消えてしまった。そこにあった代わり映えのしない森の風景は一転し、獣道の向こう側に、渓流が木漏れ日を乱反射させている姿が現れる。
唖然としていた皆を代表するようにトウマが言った。
「おお、結界とは気づかなかった。さすがはソレンスタム殿」
「いえ、よく知っている術法でしたから」
「知っている?」
「キリヤという研究者。私のよく知る者のようです」
見えた渓流を遡行していくと、そのほとりに木造の小屋が見えてきた。ようやく到着らしい。辺鄙にもほどがある上、人目から隠すために結界まで張ってあるとくれば、よほどの人間嫌いか、偏屈な人なのだろうことは想像に難くなかった。
カペルは入り口の前に立ち、二つノックをすると中へと声をかける。
「あのーすいませーん」
「誰だ」
反応があった。
「あの、僕はシグムントという者です。用事があってわざわざこんな森の奥深いところまで来たんですが」
「用事? 俺には無い」
「困った……」
こうもとりつく島のない返事をされると、どう返事していいものかわからなくなってしまう。「一言多いのよ」とアーヤに怒られながら首をひねってみても、解決策が思いつくはずもない。少し途方に暮れていたカペルだったが、ふいに後ろから肩をぽんとたたかれて振り返った。そこにいたのはソレンスタムで、彼はいつもの微笑を浮かべ、そして、ドアの前に立った。そう言えば、ソレンスタムさんの知り合いらしいんだっけ……。
「キリヤ、出てきなさい」
作品名:小説インフィニットアンディスカバリー第二部 作家名:らんぶーたん