小説インフィニットアンディスカバリー第二部
その効果は抜群だ。直後、どたどたと何かが崩れるような音が中から聞こえたかと思うと、勢いよくドアが押し広げられた。
中から出てきたのは、さらさらの金髪を翻らせた、少し目のきつい若い男だ。庵を結んだ研究者と言うくらいだからきっとおじいさんなのだろうと思っていたカペルは意表を突かれ、その顔をまじまじと見つめてしまう。
「ソ、ソレンスタム様!?」
「久しいですね」
「なるほど、それで結界が破られたわけか……。しかし、どうしてこのようなところに」
「シグムント殿が仰ったでしょう、用があって来たのです」
「シグムント? その胡散臭い連中のことですか」
「キリヤ、私の仲間たちです」
「仲間? 弟子ではなくて……仲間?」
訝しげな目が向けられる。敵意と言うほどでないにせよ、歓迎されているようにはとても思えなかった。
「あの、僕はシグムントと言います。今日はあなたにお願いしたいことがあって来ました」
「シグムント。どこかで……」
その場で思案を始めたキリヤに、ソレンスタムが言う。
「中で話しましょう。いいですか?」
「あっ、はい」
玄関先で始まったキリヤの思案を遮り、ソレンスタムはカペルに向けて微笑を浮かべると、一人先に中へと消えていった。対照的に、残されたキリヤは胡散臭そうにこちらへと詮索の目を向ける。
「入らないのか?」
口ではそう言いながら入れたくないという思いがにじみ出しているのが感じられると、カペルはその一歩を踏み出せない。それに、中に入ったら最後、何かの実験材料にされてしまいそうな雰囲気が彼にはある。要するに、少し怖いのだ。
「ちょっとカペル、さっさと入りなさいよ」
後ろからアーヤが押してくる。
「そ、そんなこと言ったって……」
「入らないなら鍵をかけるぞ。女、おまえも入るならさっさと入れ」
「は、はい!」
声を裏返らせて答えながら、アーヤはおずおずと中へと入っていった。
「自分だって怖かったんじゃないか」
「あんたもさっさと来なさい!」
「は、はい!」
悪意のない見下し方というものがあるとするなら、きっとこんな目のことを言うのだろう。キリヤのその視線を感じながら、カペルはアーヤの後を追って中へと入った。
大量に積まれた本と酒か薬かの空き瓶以外には、簡素な調度品があるだけの部屋。家主と同様、生活感の無い部屋に通された後、ソレンスタムがキリヤに話を通しているのをカペルたちは待たされていた。
「結論から言えば、おまえたちの仲間が患っているのは普通の病気じゃない」
ソレンスタムの話を聞き終わると、キリヤはこう話を切り出した。
「月印病、とでも言えばいいか」
「月印病?」
「ああ」
「それは治せるんですか?」
そう問うと、思案顔を浮かべたキリヤは、棚の中から一つの小さな革袋を取り出した。そして、それをカペルに放り投げる。
「それは、体内の月の力を抑制するための特別な薬だ」
「抑制? そんなことして……」
革袋を開け、そこに虹色に光るこぶし大の結晶体を見たカペルは、キリヤの言葉に一つの記憶をたぐり寄せる。
抑制されなければならないような、月の力の異様。
コバスナ大森林に入ったときに見た月の雨を飲む木の姿は、何か禍々しいもののように思えた。道案内が無ければ通れなくなるような異常な森の成長の原因が、月の雨にあるとすれば……。
「やっぱり、あの月の雨が何か関係あるんですか? 森の木、まるで雨を吸っているみたいに動いていた」
「……ただの馬鹿というわけでも無さそうだな。話してやろう、聞け」
「まずは忌々しいこいつについて話そう」
キリヤは自らの手の甲に光る月印に目を遣り、吐き捨てるように言った。
「おまえたちはこいつがどういう代物なのか、考えたことがあるか?」
「月印は月印でしょ?」
答えるアーヤをよそに、キリヤは話を続ける。
「……十五、六年くらい前だったか。ある方に月印を消すための術式を作る手伝いをしろと言われてな。当時まだ子供だったが、熱心に研究した」
「月印を消す? そんなことして何になるの?」
アーヤの疑問はもっともだ。得られぬ物を得ようとした人たちは大勢いるが、持っている者を捨てようとする人の話など、聞いたことがない。
「さあな。結局いろいろやった結果、月印を消すには、持ち主の身体をいったんまっさらな状態に戻すのが一番だということがわかった」
「まっさらな状態?」
「儀式を受ける直前の状態、つまり生まれたての赤ん坊にまで身体を回帰させる」
「そんなこと——」
「時間回帰。ハイネイルの中でもごく一部のものしか扱えないと言われる高等魔術ですね」
遮るようにしてソレンスタムが続けた。
時間回帰。月印の力は、そんなことまで出来るのか……。
「たとえば、右手に月印があるとする。その右手が事故で切断されたとしたらどうなると思う? 切られた右手の付け根に月印ができる。力は消えない」
突き出されたキリヤの手に光る月印が瞬き、消えた。
「つまり、こいつは肉体に刻み込まれたものじゃない、ということになる。言ってみれば、魂に刻み込まれた刻印だな。呪印と言ってもいい」
「呪印って……」
「体内の月の力を操作できるように身体を作り替えてしまう。それが月印の儀式の正体だ」
「作り替える!?」
「驚くこともないだろう。目の前にその最たる例がいるじゃないか」
そう言って、キリヤはソレンスタムの方を見遣った。
「月の力を全て制御できるように作り替えられた者。それがハイネイルだ」
「……」
ソレンスタムが無言の肯定をすると、キリヤの説明はさらに続いた。
「人間の身体の中には、器がある。大きさも形も人それぞれだが、そこには月の力が蓄積されていく。器の大きさはそのまま月印の力の大きさ、形はその現れ方だと思っていい。だが、人間はその力を操作するすべを知らずに生まれてくる。月印の儀式を受けるまでは、力はあれど使えない、という状態にあるわけだ。
月の力が蓄積されるのは、月の出ている夜。月光を浴びてもいいし、浴びなくてもいい。月の出ている夜になれば、体内の月の力は蓄積されていく。蓄積されると言っても、その量はたかがしれているがな。大多数にとっては、蓄積される量も、月印によって消費される量も、器の底の残滓みたいなものだ。普通の人間は、その器の底の残滓程度の力で生活を営み、生涯を終える」
「それとエドの病気とどういう関係があるの?」
「焦らずに聞け」
「……」
「大きな器を持ったやつは、当然月印の力も強い」
「でも、力の大きさは生まれた日の月齢で決まるんじゃ……」
「器の大きさは生まれ持ったものだ。月齢が影響を与えるのは、その力の取り出す効率、それと、蓄積される速度に対する制限だ。月の力を操作できるようになる代償として、月印の儀式は、力の器に蓋をする。そう想像しろ」
「蓋?」
「器には当然入り口がある。そこの酒瓶のように入り口の狭い者もいれば、皿のようにやたらと広いやつもいる。当然広い方が月の力を受け取る速度は速くなるし、溜まった力が大きければ行使される力も強くなる。だが、月の力を操作できるようになる代償として、月印はその器に蓋をしてしまう」
作品名:小説インフィニットアンディスカバリー第二部 作家名:らんぶーたん