manjusaka
「わぁ、どうしよう……おいら、またポカしちゃった……絶対、絶対、ムウさまに怒られる」
ぐすんと大きく鼻を啜った聞き貴鬼は暗闇の中をフワフワと彷徨うにして唯一感じた光の方角へと意識を集中させた。
―――必ず守らなくてはいけないことの一つ。
それは十二宮では決して瞬間移動の能力は使わないこと。
いいですね?貴鬼、絶対ですよ―――
そうムウに言い聞かせられていた。十二宮で下手に瞬間移動したら、次元の狭間まで飛ばされてしまうことがあるから、と。能力長けた黄金聖闘士ですら、一人では戻ってくることが困難なこともあると言っていた。
貴鬼も肝に命じていたので最初はきちんと十二宮の長い階段をきちんと通っていたけれども、だんだんと億劫になって、ついつい使ってしまったのだ。
「ここ、どこだろう……でも、とっても綺麗……」
立派な迷子状態であるにもかかわらず、心細さはあったけれども危機感はまったくなかった。ひとえに迷い出でた場所が暗闇の中でも淡く光を放ち、咲き乱れる百花繚乱の花がとても美しかったから。錆びた色合いに囲まれていた住処としたジャミールとはまったく違う豊かな色彩と生命が息づく場所だったからかもしれない。
きょろきょろと周囲を見渡していると少し小高い丘のようになっているところにスッと真っ直ぐに生えた双樹近くに人影を見つけて、嬉々として近寄ったが、しっかりと人影を捕らえた時、その歩みはゆっくりとなり、やがて止まった。
「きみは…誰?ううん…何?」
そう尋ね直した理由。人影は年の頃合いは貴鬼よりも幼く見える少年のような少女のような、どちらか判断するには難しい子供の姿をしていた。びっくりするくらい整った顔立ちをしていて、少し貴鬼の心臓が跳ねたくらいだ。肩よりも少し長い髪は真っ直ぐで綺麗な金色をしていて、時折優しく吹く風に揺れた。
ただそれだけならば貴鬼と同じ、普通の子供であろうと思えたけれども、まったくその子供は貴鬼とは違う、異質な存在なのだと疑うに足りる状況があった。
その子供は周囲の花々と同じような淡い光と、切り取られた空間のような闇を全身に纏っていたのだ。刻々とその輝きは揺らめきながら変化する。例えるならオーロラのようにとでもいえばいいだろうか。消えかけては光を強めてを繰り返す。悲しくなるぐらい綺麗だと、小さな胸がぎゅっと痛んだ。
「……」
「ねぇ、教えておくれよ。おいら、貴鬼っていうんだ。きみはなんていうの?」
双眸を閉じていたけれども、高く聳えるような樹をじっと見つめている風情で、貴鬼の言葉は届いていないのか、まったく振り返ろうともしない。それとも、人の言葉を理解できないのだろうか。ムウから伝え聞いた妖精のような存在なのだろうかと貴鬼が怪しんだその時。
「―――ここで何をしているのかね」
決して強い口調ではなかったにも関わらず、貴鬼の背後からかけられたその声は十分に戦慄し、魂を竦み上げるほどの冷徹な響きを伝えた。恐ろしいほどの重圧。気配だけで押し潰されそうな気になった。
「ふぇっ!?ごめんなさい!」
振り返ると同時にぎゅっと目を瞑り、大声で謝罪する。
「……何をしているのか、と私は訊いたのだが」
十分すぎるほどの威圧感にますます貴鬼の身体は小さく縮ませ、固く目を瞑ったままであったけれど、貴鬼にはその独特の言い回しと特徴的な声音に思い当たる人物の名が浮かんだ。そして「最悪だ」という思いも。ムウから守るように言われた約束事を二つも破ることになってしまったのだ。
―――必ず守らなくてはいけないことのもう一つ。
それは迂闊に処女宮に近づかないこと。
いえ、処女宮が問題というわけではないのです。
その守護者たるシャカが問題なのです。
彼に意味もなく話しかけたり、近づいたりしてはいけません。
とても恐ろしい人ですから。
いいですね?貴鬼、絶対ですよ―――
ムウには十二宮での瞬間移動のこと以上に言い含められたのに、と貴鬼は蒼褪めるしかなかった。