猛獣の飼い方
13.猛獣の飼い方 番外編
中途半端に開いていた戸棚に前足をかけると、抵抗もなくそれは開いた。
さほど興味があったわけではない。シズちゃんが仕事に行くと暇なのだ。家探しくらいしたってバチは当たらないだろう。俺、正式にシズちゃんちの一員になったわけだし。
都合の良い理由を考えながら、開けた戸棚の中を覗き見た。
「………………」
瞬間、眩暈がした。
いや別に散らかりまくった室内のものを全部詰めこんであったわけでも、忘れられた食品が腐敗していたわけでも、黒光りするあの害虫が出たわけでもない。これら最悪トップ3に比べたらまぁ良い方だ(ちなみに後で述べたもの程、順位が高いのは分かってもらえると思う)
シーフード、シーフード、カレー、醤油、シーフード。
どうやらシズちゃんはシーフード味がお好みらしい。いや、他の味が好きでこれが残ったのかもしれないけど。カップ麺に手を置いて溜息をつく。おざなりに力を込めれば、間抜けな音と共に床に転がっていった。こんなジャンクフードでシズちゃんは動いてるのか…。そういやこの家にいる間、シズちゃんがカップ麺以外食べてるのを見た事が無い。戸棚に詰まっていた量から言って、保存食ってレベルじゃなかった。間違いなく、これが彼の主食なんだろう。
「…別に、どうでもいいけど」
シズちゃんが将来高血圧になろうが、メタボリックシンドロームに該当しようが、別に俺には関係ない。てか、シズちゃん煙草吸ってるし、血圧上昇因子だけじゃなくって肺ガンの疑いも濃厚じゃないか。俺が頑張らなくても、意外とシズちゃん自滅してくれそうだ。…いや、それはそれで複雑なんだけど。だって俺がこんなに努力して殺せないシズちゃんを、ジャンクフードや税金の塊が殺すなんて悔し過ぎる。
…うん、決めた。
すごく良い事思いついた。さすが俺。
戸棚から転がったカップ麺は、回収するのが面倒なのでベッドの下のスペースまで転がしてみた。別に、途中でちょっと楽しくなったりとか、断じてしてない。じゃれてなんか、いないから。
シズちゃんの帰宅は、午前1時を少し回った頃だった。
ウトウトとしていた所を、聞き馴染んだ靴音に起こされる。
「ただいま…って、なんでお前玄関に座ってんだよ。踏むとこだっただろ」
そこまで俺は間抜けじゃないんだけど。まぁ、お疲れモードで帰ってきたシズちゃんを多少労ってもいいだろう。ジっと上目遣いで見上げてから、おかえり、と言ってみた。
「……おお」
あ、嬉しそう。嬉しそう。
うん。こういうのも中々悪くないかもね。
「シズちゃん、ご飯は?」
「あ?猫缶まだあるだろ」
「いや、俺のじゃなくてシズちゃんのご飯ね」
シズちゃんは不思議そうに首を傾げて、閉じられている戸棚に視線を運ばせた。
「あー、めんどくせぇしカップ麺でいいよ。…手前も食うか?」
「何を?」
「シーフード味なら、猫も食えるんじゃねぇ?」
真顔で呟くシズちゃん。シズちゃん相手に、ここまで"ああ、バカなんだなぁ…"と切なく思った事は無かった。いや、バカなのは知ってたけどさ。仕方ないよね、シズちゃんの大部分は筋肉で構成されちゃってるからさ。
「……手前、なんかムカつく事考えてるだろ」
「まぁ、いいじゃない。俺はシズちゃんの不健全な食生活について今日一日考えていたんだよ。それを覆すような事を言うシズちゃんが悪い」
「あ?何言ってんだ手前」
猫好きシズちゃんは、猫である今の俺にはわりと気が長い。
けど、さすがにこれ以上言うと今夜の寝床が無くなりそうなので(物理的に、この部屋が消滅しそう)シズちゃんを言い負かすのは次の機会に先伸ばしする事にした。
「自炊しよう、シズちゃん」
「はぁ?」
「どうせシズちゃん料理出来ないんでしょ?大丈夫、俺が教えてあげるから。ほら、食材買いに行くよ。最近はコンビニでも野菜とか売ってるし」
呆然としているシズちゃんによじ登り、肩らへんで身体を落ちつける。
近くなった顔に向け、ほら、行こうよ。と囁けばようやくシズちゃんが我に返った。
「……めんどくせぇ」
「シズちゃんは俺の飼い主なんでしょ?長生きしてもらわないと困るナァ」
我ながら嘘臭い。
でも、最後に可愛らしくニャアと鳴けば、シズちゃんが折れる事を知っている。
「……くっ」
そうそう、シズちゃんはそうやって俺の言う事を聞いてればいいんだよ。
なるべく長生きして、そんで俺に殺されればいいんだ。
俺が殺すまでは、生きてればいいんだ。
俺の飼い主になるって、そういうコトでしょ?
「しーずちゃん」
「…んだよ」
おや、機嫌が悪いみたいだねぇ。原因は、間違いなく俺だけど。
「何が食べたい?こう見えて俺、結構料理上手なんだよ」
「作るの俺じゃねぇか。…あー、なんか美味いモンが食いたいな」
欲が無いようで、一番面倒なリクエストをしてくれた飼い主を連れ添い外を歩く。いや、歩いてるのは俺じゃないけどさ。夜風が頬に当たるのが気持ち良い。シズちゃんの体温があるから、寒いと思わない分すごく良い。
落ちそうになってシズちゃんの肩に爪を食い込ませると、ぶつぶつ言いながらも歩く速度を緩めてくれる。優しいシズちゃんってあれだね。気味が悪い。
「ふふっ…」
「きめぇ」
「失礼だなぁ。ていうか、シズちゃん傍から見たら一人で喋る怪しい人だよね。そう言えば」
猫を肩に乗せて、声色を変えながら一人会話を続ける池袋最強。
シュール過ぎて、都市伝説にもなれそうにない。
「別に」
「うん?」
「知らないヤツに、どう思われたって構わねぇよ」
そう言って俺を撫でる手が、やけに優しくて。
今度はなんでか、気味が悪い、なんて思えなかった。
「…………………」
「……臨也?」
シズちゃんの首に、自分のそれを擦り付ける。嬉しいって、伝わればいいのに。
シズちゃんが笑ったから、多分、伝わったと思うけど。
深夜、部屋を抜け出して
(ことさらゆっくり、歩いていく)