猛獣の飼い方
5.背を向けてはいけません
(――すっごいよねぇ)
臨也は無言のまま、ふにふにとした手で静雄の頭を突いていた。時々髪に爪が絡み何本か髪の毛が犠牲になったが、男が目覚める兆しさえ現れない。
(ここまで熟睡出来たら気持ちいいだろうねぇ。そういやビール飲んでたけど…)
あれくらいで酔う事もないだろう。
跡形もなく潰された缶のなれの果てを視界に入れながら、臨也は相変わらず痛んだ金髪を弄んでいた。
「………ん、?」
鼻先を擽るように前足を伸ばせば、眠る静雄が眉を寄せた。臨也は瞳をにんまりと細め、同じ場所を擽っていく。
「ん、……む………」
そろそろ目を開けそうな気配を感じ、臨也はピタリと動きを止めた。けれど、暫くの後に聞こえてくるのは、変わらない安らかな呼吸音だけで――
(…寝過ぎでしょ)
パタリ、パタリとゆっくりと尻尾を揺らす臨也が居るのは――堅い、寝床の上だった。
***
「手前、なんでド真ん中で寝てるんだよ」
(何言ってんのシズちゃん?この俺が、こんな狭い部屋に居てあげるんだから、その位当たり前でしょ?)
にゃあ? にゃー にゃ?
「うるせぇ。どけ、ノミ蟲」
昨夜ベッドの真ん中で枕を使用して寝ていた臨也を、持ち主は軽々と放り投げた。これが人間だった時なら、壁にめり込んでも何ら不思議はなかったが、一応猫相手という事で手加減してくれたらしい。地面に着地しながら、臨也がそんな事を考えていると――ベッドに横になった男は、既に寝息を立てていた。
(…え、シズちゃん早くない?寝るのすっごく早いよね?)
嫌がらせを兼ねて、臨也は男の腹に登ってみる。けれど、男は眉一つ動かさなかった。突いてみても結果は変わらず、仕方なしに――正直に言うならば、その暖かさに惹かれ――臨也はその場で身体を丸める。
(…暖かいのはいいけど――シズちゃん堅過ぎ)
これなら、スプリングがいかれたベッドの方が余程快適だ。こんな寝にくい身体だからナイフも刺さらないんだよ、と理不尽な文句をにゃあにゃあと叩きつけてみても堅い寝床は、なんの反応も示さない。
(つまんない。シズちゃんのばーか)
にゃあ、にゃあにゃあ。
(…………ばーか)
にゃあ。
返ってくる反応がない事が、一番、つまらなかった。
***
文句と共に臨也が目を閉じてから数時間。…と少し。
つまりは太陽が真上から少々傾いた頃になっても、寝床…ではなく、静雄は目を覚まさなかった。
(――すっごいよねぇ)
突いてみても、擽ってみても反応は変わらず。
ただスヤスヤと気持ち良さそうに眠る静雄と、退屈を持て余し気味の臨也。
溜息を一つ零してから、臨也は静雄の身体の上――やや首に近い部分に陣取り、その寝顔をじっくりと観察する事にした。猫の身体の今はいくらでも眠れる自信があるが、これほどまで油断して眠る事は自分には出来無さそうだと思いながら。
(…マヌケな寝顔)
臨也の記憶にある平和島静雄という男の顔は、大抵怒りに染められている。
そもそもの怒りを提供しているのは臨也なのだが、そこら辺は気にしない。この男が穏やかに笑っているよりも、怒り一色に染まっている方が臨也は好きだ。
こんなに無防備な顔は、今日まで見た事がなかった。
出会いからして普通ではなかった自分達には、当たり前の事が抜けている。
(――まぁ、見たいとも思わないんだけどさ)
折原臨也は、平和島静雄が大キライだ。
人間を愛する臨也だが、彼の事は人間だと思っていない。だからこそ、愛する必要がない。
(シズちゃんは滅茶苦茶なんだよ。単純なクセして、俺の予想を何時だって裏切るからね君は)
つんつん、と頬を突く。
(ねぇ、起きてよ)
にゃあ、にゃあ。
(そんな人間みたいな顔、君には似合わないよシズちゃん。早く、シズちゃんの顔になってよ)
にゃあ、にゃあ、にゃあ。
(……俺に気付かない君なんて、許さないよ)
(―――シズちゃん、ねぇ)
返ってくる反応がない事が、一番、つまらない。
だから臨也は何度でも、にゃあ、にゃあと声をかける。
伝わらない言葉でも、繰り返し。
「―――シズちゃん、起きて」
ふと、誰よりも慣れ親しんだ声が聞こえた。
臨也は瞬間動きを止め、それから見知った感情を乗せた顔でこちらを睨みつけてくる男を見た。
「…寝起きから手前の声とか最悪なんだよ!てか手前なんで猫のまんまなんだよ?中途半端に喋ってんじゃねぇぞ、クソ臨也!!」
「誰かさんが間抜けに寝てるの見たらムカムカして話せちゃったんだから仕方ないでしょ?あーあ、シズちゃんが素直に起きてれば、俺超可愛い猫のままだったかもしれないのにねー。ごめんねー、シズちゃん?」
黒い猫の外見から、淀みなく紡がれる言葉。静雄の顔に、ピキリと血管が浮かぶのが臨也の位置からはよく見えた。
それでも、いつものように攻撃してこないのは――その理由を思いついた臨也は、にゃあ、と鳴き真似をしてみせた。
「シズちゃん。お腹減った。」
「…………………」
わざとらしくもう一度にゃあ、と鳴けば、暫くの沈黙の後、舌打ちが聞こえてくる。それが面白くて、臨也は暫くの間笑い続けた。
背を向けてはいけません
(この猫の中身は、初めっから毛色と同じでした)