猛獣の飼い方
6.無理に言う事を聞かせようとしてはいけません
ベッドの隅で身体を丸めた臨也に降ってきたのは、慣れ親しんだ、殺意一歩手前の声だった。
「おい、何寝てんだぁ?とっとと出ていけよ」
欠片の情も無く、ただその存在が邪魔だと言葉を発す静雄。臨也のよく知る話し方だ。
「…シズちゃん女の子に同じ事言ったら、即バイバイだよ?あっ、ごめん。そんな経験無いし、これからだって訪れないシズちゃんにこんなアドバイスしても無駄だったよね」
「うぜぇ」
一言で会話を拒絶して、静雄は臨也の小さい身体をひょいと持ち上げた。
そのふわふわの毛並みに、一瞬決意が揺らぐ。――が、喋る事で、この外見だけは満点の愛らしさを誇る生き物は、一気に苛立ちを掻き立てる存在に成り下がったのだ。世界で一番嫌いな男を前に、抱く譲歩など静雄は持ち合わせていなかった。
「シズちゃん、シズちゃん。その持ち方だと俺の首が伸びそう」
「勝手に伸びてろ!!」
文句を言う猫を一喝して、指の先からぶら下げたまま玄関へと向かう。
窓から放り投げないのは、静雄が猫という生き物自体へ抱く愛着からだったのだが、それを有難いと思う臨也ではない。
「えー。俺捨てられちゃうの?シズちゃんひっどぉい」
「うるせぇ。黙れノミ蟲」
ドアの外へ放り投げて、ひどいひどいと連呼する猫の前で扉を閉める。一応念の為に鍵までかけた。
部屋に訪れる静寂。
あの声が聞こえないだけでここまで気分が安らぐのか、と静雄は広く感じる部屋を見渡した。
煙いと(愛らしく鳴くオプション付きで)文句を言われるので、火を付ける事を躊躇っていた煙草を取り出す。肺まで紫煙を取りこんで、ようやく苛立った気持ちを落ち付ける事が出来た。
(…後は勝手に新羅の所にでも行きやがれ)
文句を言いながらも、扉の前からあっさり気配を消した臨也の行く先を思いながら、静雄は苦い煙を吐いた。
煙は、この部屋が広く思えれば思える程苦く感じる。
「くっそ…。ホント、忌々しい」
ギリ、と苛立ちを噛みしめれば、頭の奥で鈴のような鳴き声が聞こえた気がした。
その日の仕事は、最悪だった。
別段仕事が手間取ったわけではない。
「ああ、ここだ。このマンションの3階。改造モデルガンが趣味とかいう馬鹿だから、気は抜くなよ」
「なんか俺、銃と相性悪いんすよね」
「安心しろ。相性がいい人間なんていねぇから」
そもそも生身でその威力を味わったその日に回復している静雄が言う台詞ではないと、トムは苦笑いする。
「そっすか?」
相性が悪い、と言いながらも別段恐れを抱いていない様子の静雄が首をコキリと鳴らす。そんな静雄を見ながら、トムは思ったままに言葉を続ける。
「まぁ、お前が居れば俺は安心だけどな。…お、なんだ雨が降ってきたな」
「…………」
何気なく呟かれた言葉。
静雄の頭に過ったのは――過ってしまったのは、憎たらしい黒猫の事だった。
(…最悪だ)
いつも通り、往生際が悪い債務者を空へと投げて、それでも言い逃れをする相手に血管が切れそうになりつつ拳を振り上げた時、上司の言葉を思い出してしまったのは頬を打つ水の勢いが強まったからだろうか。
一瞬動きが止まった静雄を見て、追いつめられていた男はこの隙に、とばかりに走り出す。バカだなぁ、と呟いたのは静雄の心か、それとも上司か。
手の届く場所にあった自転車を思い切り投げつけながら、静雄は口元だけで笑ってみせた。
「おーい。静雄ー。それ以上やると金取れなくなるぞ」
「……ああ。そっすね」
血に濡れた拳を見つめ我に返る。
苦笑する上司と、それから完全に意識を失った男が一人。
雨は、ただ静かに三人を濡らしていた。
(くそっ、やっぱイライラする。最悪だ、あのノミ蟲如きに…)
アパートの階段を音を立てて昇りながら、どうにも崩された調子に舌打ちする。
(元に戻ったら殺す。ぜってぇ殺す)
嘲笑うような瞳を前にしていないのに、男の事を考える時間が静雄にとっては耐えがたい事だった。心中で呪詛のように同じ言葉を繰り返しながら、彼は見慣れたドアの前で足を止める。
「……………」
「おかえり、シズちゃん」
そこには、黒い猫が待っていた。
漆黒の毛並みを湿らせて、ふるりと首を振る仕草は果たして造られたものだろうか。
「とりあえず、寒いんだけど?」
ニャア、と可愛らしく鳴いた真意は分かっている。
けれど、隠しきれない身体のちいさな震えにも気付いてしまった静雄は――溜息と共に、ドアを開いた。
無理に言う事を聞かせようとしてはいけません
(ストレートな言葉は、お互いに逆効果です)