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飛空都市の八月
飛空都市の八月
novelistID. 28776
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あなたと会える、八月に。

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◆8

 笑われている。
 いや−−笑っているのだ。ずいぶん……そしてずっと。何がそんなに可笑しいのかと思うほど。
 「……何がそんなに可笑しいのかしら?」
 口に出して尋ねてみる。
 すると。
 「よく食べると思って」
 そう言いながらまだ、笑っている。
 この、カフェにいる他の客や給仕の者たち、そしてカフェの側を通り過ぎていく人々、皆がわたくしたち−−いえ、明るく笑うジュリアスを見ている。
 正直なところ、わたくしだって……見とれてしまっているもの。
 ただただ美しくて、そして、思ったよりもずっと−−無邪気なその笑顔を。
 けれど。
 聖地の人たちがこんな様子を見たら、卒倒するかもしれないわ、とロザリアは内心肩をすくめつつ思っている。その一方で複雑な気持ちに陥る。
 とにかくこの店に入って、注文し始めたころからずっと笑い続けているのだから。



 海から出た後はまだ中途半端な時間で、ホテルの食堂は夕食の準備のため閉まっている。ロザリアはジュリアスと、そして自分のためにゴーグルを買いに行きがてら、外で軽く食事をしようと提案して、ジュリアスもそれに乗ってきた。
 ゴーグルは、ロザリアが前回海で泳いだ十五歳のころ−−世間ではもう四半世紀経っていた−−と比べればずっと進化しており、それほど苦痛を強いるものでも、見映えを損なうものでもなくなっていた。飛空都市を出てから時の流れの違いは多々感じてはいたが、このようなささやかなことですら否応なしに思い知らされる。自分ですらそうなのだから、ジュリアスはなおさらだろう。
 そうしてゴーグルを買ったものの、ふと思い立ったロザリアが行こうとするより先にジュリアスが、ロザリアの思う方向へ歩き始めた。言った訳ではなかったのだが、二人がめざしていたのは同じ場所だった。
 そして互いに顔を合わせる。
 あの、髪ゴムを売っていた店はなくなっていた。もちろんあの店は面積自体小さいものだったから、周囲の店もない。その代わり、いかにも今風で小じゃれた雰囲気のカフェに変わっていた。
 落胆を口にするのは嫌だったので、そのままロザリアは通り過ぎようとしたけれど、ジュリアスが止めた。
 「ここにしよう」
 そうして、この店にいる。
 「……食べていてはいけない?」
 カフェであるが故にそれほど重い料理は出てこないものの、目の前のテーブル上に並べられた皿の上のものは全て綺麗に平らげられている。そして、そのような健啖ぶりを見せたのは他でもない、ロザリアなのだ。
 それというのも……とにかく空腹だったのだ。海で泳ぐ前とは雲泥の差で、ジュリアスにはそれが可笑しくてたまらないことはわかっている。
 だからと言って。
 軽くジュリアスは首を横に振る。けれど、振りながらまだ笑っている。
 「いや……しっかり食べるがよい、追加を頼むか?」
 「……もう!」
 また笑う。
 「淑女たるもの、そのように口をとがらせては」
 懐かしい、そのフレーズ。
 ひとつひとつの言葉や表情に、あの、十六歳以前に途切れてしまった『八月』が蘇ってくるようで−−もう、髪ゴムを買ってもらえないのは残念だけれど−−ロザリアは不満げな顔とは裏腹に嬉しくなってくる。 
 ぱくり、と料理に添えられたパンの最後の一口を、その口に放り込んでとがらせないようにするとロザリアは、ようやくほっと一息ついて、向かい側に座ったジュリアスを見つめた。
 「……どうした?」
 「これからホテルへ帰ったら、仕事の続きをするけれど……」
 ジュリアスは笑みを少し控えた。テーブルに両肘をつき、手を組むとそこに軽く顎を乗せて聞いている。
 「区切りの良いところで……放り出すわ」今度はロザリアが笑う。笑って言う。「弁護士に放り投げてしまうの。そしてしっかり休むわ」
 「それは結構」
 満足そうに頷くジュリアスに、ロザリアはとうとう吹き出した。
 「とても……執務に熱心な首座殿の仰り様とは思えませんわ」
 小声ではあったが、故意に敬語を使って言ってみるとジュリアスはふっ、と鼻で笑う。
 「メリハリをつけよ、ということだ。それに」
 そう言うとジュリアスは、顎を組んだ手の上に置いたまま、すっ、と一瞬、ロザリアから視線を逸らした。
 「……ジュリアス?」
 視線が、再びロザリアに戻る。
 切り込むようなまなざしに変わっている。
 真顔だ。
 はっとしてロザリアは、ジュリアスを見つめ返す。
 「たかだか二年ぐらいで、主稼業が完璧に務まるなどと思うな」
 その瞬間、ざっ、と躰から、血の気の引く音が聞こえたような気がした。
 その代わりカフェの中のざわめきや、海辺らしい爽やかな音楽、その他もろもろの音が、全て消え失せたかと思うぐらい遠のいていく。
 ジュリアスのまなざしはそのままだ。
 すぅ、と息を吸う。
 そして、吐く。
 「……良かったわね、ジュリアス」声が震えないように注意しながら、ロザリアは言う。「泳ぐ前だったら海水の代わりにこの水で、あなたの頭を冷やして差し上げたのに」
 グラスを持つとロザリアは、くっと中の水を飲み干してみせた。
 「そうならなくて幸いだ」
 ジュリアスは、ロザリアの嫌みをあっさり受け流して言った。
 「父親に心配をさせるな−−そなたがカタルヘナ家の主だと思うのであれば。そして」依然としてロザリアを見据え、ジュリアスは続ける。「せっかく良き先達がいるのだから……もっと側で学べ。直に見て、直に聞いて、もっと貪欲になって学べ」
 だがそこでジュリアスは、いきなり視線を−−顔ごとカフェの外から臨める海へと向けると、少しだけ声のトーンを落とし、ぽつりと言った。
 「……学ばせてくれる者のいる間は」
 どきり、とした。
 二つのことでだ。
 ひとつはジュリアスの言う先達−−父のこと。すっかり年老いてしまった父の躰はずいぶん弱っている。
 そして、もうひとつ。
 人に話をするときジュリアスは、必ず真正面から見る。その視線の強さに怖がられることもある。ところが今ジュリアスは、あからさまにロザリアから目を逸らしている。
 ……何を話そうとしているの?
 「先程までのそなたには……正直、肝を冷やした」
 変わらずこちらを見ないままジュリアスは言う。
 「……まるで一年前の私のようで」