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飛空都市の八月
飛空都市の八月
novelistID. 28776
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あなたと会える、八月に。

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◆10

 馬車の御者はジュリアスを見たとたん驚いたようだった。声をかけようとしていたようだったが、ジュリアスの表情に恐れをなしたのか、急いで扉を開けた。
 震えはいっこうに治まる気配がない。
 御者が何か喋っているようだ。
 「……お誕生日のお祝いを……」
 「……料理長がどのようなものをお召し上がりになるかと……」
 ずいぶんと遠くで言っているような気がするその言葉を聞きながらジュリアスは、馬車の中で増してくる吐き気に苛まれていた。
 何を言っているのだろう……この者は。
 ぐるぐると、否応なしに頭の中を巡る思いに振り回される。
 何でも……話によると、私は人から生まれたのではないらしいぞ?
 苦しい表情のままジュリアスは嗤う。
 そのような私の、生まれた日など存在しない。
 ましてや祝う者など……誰もいない。
 「そなたたちもご苦労なことだ」くく、とジュリアスは声を出して嗤う。「祝いたくもない主の誕生日のため、明日は土の曜日で休みだというのに出仕しなければならないとは!」
 呟くように言った以前に、馬の駆ける音、車の回転する音に紛れ、それは表の御者には聞こえていないようだった。
 馬車の中を見る。
 あまりの閉塞感に喘いでジュリアスは、馬車の外を見る。
 すっかり暗くなり、辺りは黒く塗り潰されている。
 相変わらず重苦しくて、息ができない。
 どこか。
 どこか、ひたすら明るく、何もない−−誰の、何の柵<しがらみ>もない−−所へ行きたい。
 そう思った瞬間、ジュリアスの脳裏で弾けるようにある光景が広がった。



 海!



 それまでは何故、ディアと−−女王が自分にあの場所と、そこで過ごす時間を義務化してまで自分にあてがったのか、わからなかった。わからないまま仕方なく過ごし、最近はすっかり命を反故<ほご>にして行っていなかった。
 けれどあの青い海、青い空の光景が思い浮かんだとたんもう、ジュリアスは我慢できなくなってしまった。
 馬車が館へ到着したらしい。御者が扉を開けるのと同時にジュリアスは、このまま待ってくれるよう言うと、服を着替え、ごくごくわずかな荷物を持っただけで取って返した。
 側仕えのひとりが取りすがるようにして声をかけようとしてきたが、ジュリアスは構わず馬車へ乗り込むと告げた。
 「……私は一日留守にするから、皆にも休めと伝えてくれ」
 「でも明日はジュリアス様の」
 「私の誕生日など、祝う必要はない」
 職務で祝ってもらっても仕方がない、と言いたいところをどうにか堪えることはできた。
 一刻も早く、誰も自分の知らない所へ行きたかった。
 行って、思い切り息を吸いたかった。
 行って、思い切り息を吐きたかった。
 そうして−−ただひたすら、眠りたかった。



 「音が聞こえた……とても楽しげな音が」
 ゆっくりとジュリアスはロザリアへ視線を戻す。
 「最初は何の音かわからなかった。けれどやがて」
 ヴァイオリンの音だと気づいた。
 誰かが弾いている−−なんて軽やかで清々しい音なのだろう。それに、楽しくてたまらないという気持ちに満ちている。
 「もっとしっかり聞きたい、とテラスに出ようとして気づいた」ふっと笑ってジュリアスは肩をすくめた。「到着したときの服装のまま着替えもせず、私はベッドに突っ伏して眠っていたらしい」
 快活なヴァイオリンの音を楽しみつつ、テラスでジュリアスは思い切り深呼吸をした。海の空気は癒しの力があるそうだが、とジュリアスは言う。
 本当にそのような気がした。
 「そうしたら急に」
 ロザリアは、急激にやってきた泣きたい衝動を懸命に抑えながら笑った。
 「お腹が空いた?」
 「……そうだ」
 くすくすと、声を出してジュリアスは笑う。
 「ちょうど今、このときのように、昼食までには間があるものの朝食の時間は過ぎていたから、フロントに連絡をして、何でも良いから食べさせてくれと言ったのだ」
 「わがままだこと」言葉の割には少しも悪意を含めず、微笑んでロザリアが言う。「あのとき、お父様やお母様まで、時間を過ぎてもどうにか言えばあのパンを食べられるのかって言い合っていたぐらいよ?」
 「酷く飢えていたのが、声だけでも感じられたのではないか?」ジュリアスは苦笑する。「哀れに思って特別に食堂を開けてくれたのであろう−−もっとも」
 テーブルの上の皿を片付ける給仕の様子を横目に見ながら、ジュリアスは続ける。
 「これほどの量はさすがに私も、食べてはおらぬがな?」
 「ま!」



 口をとがらせたに違いないロザリアにジュリアスは、いつもの『淑女たるもの』と言いかけて、はっとした。
 ロザリアは穏やかな笑みを浮かべ、ジュリアスを見つめている。
 「十二歳のわたくしは……あなたの『役に立てた』のね、嬉しいわ」
 「……ロザリア……?」
 真正面からジュリアスを見据えるとロザリアは、すっと背筋を伸ばしたかと思うと頭を下げた。
 「……なっ」
 「ありがとう……ジュリアス」
 まただ、とジュリアスは思う。
 「何を言う。そうだ、先程の海でも何故そなたから礼を言われたのか」
 わからない、と続けるより先にロザリアが言う。
 「あまりこういう自分の……経験談を話すのは気が進まないことだったでしょう?」
 その『経験談』には暗に『嫌な』『思い出したくない』という意味が含まれている。それはそのとおりだ。だからあえてロザリアの顔は見なかった。同情されるのは避けたいし、このような後ろ向きの出来事で妙な共感を得てほしくもなかった。
 「さっきの『ありがとう』は」ふっと笑ってロザリアは言う。「躰を張って海へ引っ張り出してくれたことへの感謝の気持ち。でも」
 一転してテーブルに身を乗り出し、ジュリアスの目を覗き込むようにしてロザリアは言う。
 「もうあんな無茶はしないで」
 そう言ったロザリアの、開いた襟から胸元が見えてしまってジュリアスは、思わず視線を逸らした。
 「……わかっている」仕方なく再び海へ目を向け、ジュリアスは言う。「そなたの言うとおり、海岸線に沿って泳ぐ練習をしよう」
 「ちゃんと、足のつく所でね?」
 くすくすと、明るく笑ってロザリアは言った。