あなたと会える、八月に。
「良い。頭を上げよ」
そう言ったにも関わらず畏れのためか、まだ頭を下げ続けている大神官をジュリアスは、故意にそのままにしておいた。
たぶん粗悪なものではないにしろ、いたって普通の喪服を身を包んだ青年に、主星の民全員が敬意を表する大神官がほとんど這いつくばるようにして伏しているだけでも異様な光景なのに、その大神官に対しジュリアスが、明らかに目上の者として言葉をかけたとたん場は静まりかえり、誰一人として言葉を発しなくなった。
……さあ、ロザリア。
ジュリアスは大仰に嘆息する『ふり』をしながら、心の内側で呟く。
そなたは、どう出る?
そしてようやくジュリアスは動き出す。大神官の許へ歩み寄るとジュリアスは、片膝をついて言った。
「……上げよ」
その言葉に大神官は、おずおずと顔を上げる。
前に大神官と会ったのは、新女王陛下の即位を祝っての謁見を受けたときだから……この者にとっては二年ほど前か。
私の顔は、覚えているはずだな。
「ジュリアス様……!」
「そなたは息災で何よりだ」
その言葉に大神官は感極まったようにしてジュリアスの顔を仰いだけれど、やがてそれは困惑の表情へと変わっていく。
「どうして、首座の守護聖様ともあろう方が……こちらへ?」
極めて微かに笑むとジュリアスは、軽く唇に指を当てるような−−そなただけに話すのだぞ、というような−−実際には大神官の側近たちや、主星の政府高官たちも聞いているのだが−−格好をして見せた。少なくともそれで、大神官の表情から畏れは消えた。光の守護聖が、親しみを持って自分に接してくれているという虚栄心−−そのようなものが大神官にもあるかどうかはともかく−−を少しだけ煽って寛がせる。
「私は、『彼』の……長年のチェス仲間として来た」
「……は? チェス……ですか?」
思いも寄らないジュリアスの言葉に、大神官は目を丸くする。
「そうだ。夏の休暇時に、海辺の砂浜で毎年『彼』とチェスを楽しんでいた。だから」
そこで笑みを払拭してジュリアスは告げる。
「この悲報も先ほど海で知った。だから駆けつけて来たのだ」
「ですがジュリアス様」思わず大神官は声を上げたものの、慌てて低い声で続ける。「いくらカタルヘナ家が主星でも有力な貴族であり、『彼』が女王候補だったロザリアの父親だとはいえ、一介の民であることには変わりません。そのような所へジュリアス様が」
「だから」今度は苦笑してジュリアスは告げる。「私は、あくまでも友人として参列すると言っているのだ。ただ」
そのときジュリアスは背後から、こつ、と靴音を聞いた。
……来たか。
「そなたが葬儀に正客として出てくれるとロザリアの乳母から聞いたのでな、ありがたいことだと思い、ひとこと挨拶をしたくてそなたの許へ来たのだ」
言葉の端々にジュリアスは、守護聖としてではなく友人として、という意味合いを含め、一方で大神官を持ち上げてやりつつ言う。案の定、その言葉を聞いたとたん大神官は頬を紅潮させた。
「主星の大神官として、星の重要人物の葬儀に参列することは当然のことです。それに私も」さすがに再び声を落として大神官が言う。「彼とはよく、チェスを楽しみました」
「そうか」ふっと笑ってジュリアスは言う。「ならば、しっかり正客を務めてくれるよう」
ぎょっとして大神官は、顔を赤らめたまま首を横に振る。
「滅相もございません! ジュリアス様がいらっしゃるのであれば、私如きが正客など」
「いいえ」
凛とした声が聖堂に響いた。
「正客は大神官様にお願いしたのです。それを変えるつもりはありませんわ」
その声にジュリアスは立ち上がり、ゆっくりと、声のする方へ振り返る。
そこには、レースのヴェールを顔にかけ、たっぷりとしたドレープのある、裾の長いドレスを身にまとったロザリアがいた。ヴェールもドレスも、最初ジュリアスは黒だと思っていたが、聖堂正面のガラスを通して入ってくる光が差し込むあたりまでロザリアが近づいて来たときそれが、極めて黒に近い濃紺であることが見てとれた。確かに黒そのものよりもその方が、かき上げてまとめられたロザリアの髪の色にはよく合っていた。
喪服に着替えてこちらへ直行したので、ジュリアスは事前にロザリアとは会っていない。まさかこのようなかたちで八月に再会しようとは思わなかった。けれどロザリアの、悲しみを表す装いに身を包んでいてさえ毅然としてこちらを見据える姿をジュリアスは、心の底から美しい、と思った。
……さあ、ロザリア。
ジュリアスは目でロザリアに語りかける。
しっかり示すが良い−−カタルヘナ家主としての『器』を。その心意気を。
ここにいる者たちに。
そして……この私に。
作品名:あなたと会える、八月に。 作家名:飛空都市の八月