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飛空都市の八月
飛空都市の八月
novelistID. 28776
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あなたと会える、八月に。

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◆14

ロザリアを起こしてジュリアスは、立ち上がるとランタンと鍵を持ち上げ、ランタンだけを元あった場所に戻すと、ロザリアと向かい合わせになるように座った。
 そして鍵は、膝掛けの空いている場所に置く。
 何をするのだろう、とロザリアが見つめる中ジュリアスは、着ているベストのポケットから取り出して並べた−−二本の鍵を。
 ロザリアの目が大きく開かれる。開かれ、ジュリアスを凝視する。
 「これが、そなたの父が聖地にいる私へ送ってきた鍵」
 並べられた三本の鍵の、中に置かれた鍵を指差してジュリアスが言う。そして端の、ロザリアのものでない鍵に指を滑らせる。
 「……これが、昨年ホテルでコラから直接渡された鍵」
 「な……ぜ?」
 驚きながらも辛うじて疑問を示す言葉を口にできたロザリアに、ジュリアスは苦笑しつつ話し始める。



 去年の八月。
 ホテルのロビーで、来年の部屋の予約はしませんと言ってジュリアスを驚愕させたコラは、手に持っていたポーチから何かを取り出すとそれをジュリアスに差し出した。
 「……これは」
 コラが説明しようとするのを遮り、ジュリアスが言う。
 「『美しい』花の咲く、庭への鍵」
 一瞬、訳がわからないような顔をしたもののコラは、はっとしてジュリアスを見つめた。
 「……先代の……主のものが見つからなかったのは……まさか」
 「今は、私の執務机の引き出しの中にある」
 あの、ぺらりとした紙片−−なのに人ひとりの人生がずっしりと重く載せられた、あの紙片と共に。
 「……そうでしたか……」コラは泣きそうな−−泣いていたかもしれない−−顔に笑みを浮かべて頷きながら言う。「もうとっくに先代は、あなたにロザリア様を託されていたのですね」



 父がジュリアスに送った紙片を見せられ、それをぎゅっと……決して傷めぬ程度に握り締めながらロザリアは、滂沱の涙を流している。ジュリアスは自分の目の前で、決して偽ることなく泣くロザリアに、改めて愛おしさを感じつつ話を続ける。



 コラは掌にある鍵を差し出したまま、ジュリアスを見据えて言う。
 「ロザリア様を……見捨てないとお約束願えませんか」
 「何を言う」
 「ロザリア様は年老いていく……来年同い年になって、あなたを追い抜いていく。それでも」
 真剣な表情で言い続けるコラに対しジュリアスは、ふっと笑って肩から力を抜いてみせた。その様子にコラが少しむっとしたような表情を見せたけれど、構わずジュリアスは言った。
 「……見捨てるのは、どちらだ?」
 「え?」
 いきなり問われて、コラが驚いている。
 「いや……見捨てるという言い方は違うな……」
 目を丸くしているコラに苦笑しつつ、ジュリアスは告げる。
 「コラ。たとえばそなたが逝ってしまっても、私はとても悲しく思うぞ」
 ましてや。



 「……ジュ……リアス」
 まだ涙を流したままでいるロザリアの、紙片を持つ手がぶるぶると震えている。
 「だからコラは、自分の死に様を私には見せないでおいてくれたのであろう……たぶんな」
 コラの死は、来るべきロザリアのそれをジュリアスに想起させる−−だから。
 少しだけ笑みを控えてジュリアスは、三本置かれたうちの、二本の鍵を指先で撫でつつ言う。
 「私の許に、二本の鍵−−二人からそなたを託された、という訳だ。ただし」
 顔をロザリアに向けて上げるとジュリアスは、泣いているロザリアをしり目に再びくく、と笑う。
 「そなたの父親と違ってコラは、実に手厳しい条件をつけてくれた、それは」



 「ロザリア様があなたの歳を越える前に、お決めください」
 泣きながら……すでに答えを知りながらもあえてコラは言い続ける。これだけは言わなければならないという気概を込めて。
 「この鍵を使って門を開き−−ロザリア様の一生ごと引き受けてくださるか、この鍵をロザリア様に返し、今後一切お会いにならないでくださるか」



 依然として涙を流しつつも呆然とした顔のロザリアに、とうとう堪え切れぬようにジュリアスは声を出して笑った。
 「全く……難儀なことを言ってくれる。コラは私が『家族』として存在することを拒否したのだぞ? ゼロか全てか。二者択一しかさせてくれない。けれど」
 一瞬にしてジュリアスは、笑みを消した。
 「コラにはわかっていたらしい。私自身が『家族』であることを願いつつ、『家族』ではない感情を持ち始めていたことに」
 たとえ八月の間だけでも、すっかり『家族』のような存在になったのだと思っていた。けれどロザリアから「関係ない」と言われ、初めてそれが勘違いであったことに気づき、『家族』ではない感情を持つことにも気づかされた。
 「ただし……それと同時に私は、『傍観者』であらねばならないことを思い出した」
 そのジュリアスの言葉にロザリアは、ぎょっとしてジュリアスを見る。
 「時の流れが異なりすぎる−−それはそなたを主星へ戻したときからわかっていたことだ。先ほど」
 掌を差し出してジュリアスは、あの中指と薬指だけを軽く持ち上げて見せる。
 「この二本の指ですら……そなたを抱くときですら……幾度となくそれを私に知らしめる」



 六歳だった少女が握った指で私は−−けれどこの二本の指は、やがて何に触れる?
 ……花の中、冷たいまま二度と温かくなることのない額にかかる髪でも払ってやるか?



 「あの……」小声で言いかけてロザリアは、堪えきれず鍵に目を落とす。「それはわたくしにこの鍵を……返す、という……こと?」
 胸から、紙片を握ったまま膝の上へ置かれた指先が激しく震えている。それを握ってジュリアスは、身を乗り出してロザリアの目尻に口づけ、涙を吸ってやった。そして唇をそこから離さないまま答える。
 「傍観者でいるのなら、『美しい』花を手折りはしない」
 そのとたんジュリアスの手の中の、指の震えは治まった。
 けれど新たにロザリアの目から涙があふれ、流れ落ちていく。海の水より塩辛いぞ、と笑いを含めて呟きつつジュリアスはそれをしばらくの間、舐め取ったり、吸い上げたりしていた。そしてそれが落ち着いたところを見計らって、ロザリアから離れるとジュリアスは、真正面からロザリアの顔を見据えて、告げる。
 「この『美しい』花を手折るなら、枯れ落ちるまで見届けなければならない。見届ける覚悟でなければ……手折るべきではない」
 またロザリアが涙の滴を膝掛けの上に落とす中、ジュリアスは、鍵へと手を伸ばし、二本、掴んだ。掴んで、先に入れていたベストのポケットにそれを戻した。
 「鍵を受け取る。そして」ランタンの光の届かぬ辺りまでも見通すように眺めてからジュリアスは、再び視線をロザリアへ戻して言う。「そなたの誕生日の頃には、ここへ来る」