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飛空都市の八月
飛空都市の八月
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あなたと会える、八月に。

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◆7

 努力すれば、何でも叶えられると思っていた。
 だからヴァイオリンも毎日欠かさず練習したし、いつか母のようにあの海を突き進みたいと家のプールで泳ぎつつ思った。
 そのようにしてロザリアは、あらゆることをこなせるようになっていった。スモルニィでの優秀な成績は、何も彼女が天才だったからというわけではない。彼女がカタルヘナ家の娘として恥ずかしくないよう努力した賜物なのだ。
 けれど、努力しても、叶わぬこともあるのだと十五歳にしてはっきり思い知らされた。それが早いか遅いかと問われても、ロザリアには答えることはできない。ただ、わかっているのは、人の心はたとえそれが親であってもどうにもならないということだけだ。
 「私はもう二度と、あの海には行かないよ」
 ロザリアは黒のヴェール越しに、肩を落としてロザリアに向かい言う父を見た。
 「行きたくない」
 そう吐き捨てるように言うと彼はその場から立ち上がり、よろめいたところを側近の者たちに支えられて行ってしまい、後には、滑らかな冷たい石の側に跪<ひざまづ>いたままのロザリアと、乳母のコラが残った。
 石には、母の名前が刻まれていた。
 あれほど力強く美しい泳ぎを見せた人だったのに、実体が無くなるときはなんと呆気ないものなのだろう。横でコラは泣いていたけれど、涙など存外出ないものなのだと、どこか離れた場所から自分を眺めるような思いでロザリアは、彫られた文字を見つめていた。



 人前で泣かないようにすることは、既に物心ついた頃から叩き込まれていた。弱みを見せればすぐそれにつけ込まれるから用心するよう言い聞かされていた。だからたぶん、父も葬式で泣かなかったのだろうし、自分もそうだった。傍目から見ればそれは冷たいものに映ったかもしれないが、そのようなカタルヘナ家の者には実は密かな救済場所が設けられていた。
 それは永年乳母を務めたコラも、存在程度にしか知らない、カタルヘナ家の館の奥まったところにあるこじんまりとした庭だった。ただしそこには小さな門扉があり、ふだんは施錠されている。それを開く鍵は三本存在し、各々カタルヘナ家の三人が持っていた。だがそのうちの一本は現在コラが持っている−−正確にいえば、預かっている。コラもその鍵は自分が使うべきものではないと心得ている。譲り受けたときコラは病の床に伏せった女主人から「次の方がいらしたときに渡すように」と苦しい息の中から言われた。
 次の方。
 うっかりそれをロザリアは聞いてしまった。聞いてしまったが黙って通り抜け、まっすぐその庭に駆け込んだ。
 鬱蒼と草木が生い茂り、花が咲きたいように咲き乱れている。手入れ自体も家族のみが行うので、どこか素人っぽい。けれどここには庭師も入り込めない。その中でこっぽりとした小さな東屋の中のベンチに突っ伏して、初めてロザリアは声を上げる。
 わたくしを置いて逝ってしまわれるおつもりなのだ、お母様は。
 だから、コラがここの鍵を持っているのを知っている。けれど、決してそれを口にはしない。認めたとたん、母の存在が消え失せるような気がしたから。
 そうしてそのとおり、母が亡くなった後、外では泣かなくてもせめて父とここで共に悲しみを癒したいと思っていたけれど、彼はここには現れなかった。それどころか、あの墓地以降、彼はロザリアと顔を合わせるのを避けるようになった。
 春が過ぎ、夏を迎えようとした頃になっても館の中は冷え切っている。これほどの疎外感を今まで一度も経験したことのないロザリアにとってこれはとても堪えることだった。どれほど厳しくてもたくさんの思い出と愛情がここには満ちていたのに、瞬時にしてそれが消され、失われようとしている。もはやこの庭すら、何も癒してくれない。
 いつしかヴァイオリンのレッスンも休みがちになり、ましてやプールで泳ぐことすらしなくなってしまった。それどころか泳ぐ行為自体が酷く辛いもののように思えた。初めて成績が下がってしまっても、父はロザリアを見ず、ロザリアに話さない。だから、何とかして気を惹こうという思いが、ふだんなら自分でも滑稽だと思われるような行為へとつながってしまう。
 たとえば初めて無断で外泊もした。何のことはない、ただミレイユの家に泊まっただけなのだが、それでも本来のカタルヘナ家の娘としての行動からは外れきっていた。にも関わらず、ロザリアを叱ったのはコラであり、父ではなかった。
 幸いロザリアには、父のせいで自分が愚かになっていくことは許し難いと思い返せるだけのプライドと理性があったので、それ以上には至らなかったが、そのような思考は尾を引いた。
 わかっている。
 この水着だってそうだ。
 久しぶりということもあり、ときどき海水が喉に流れ込んでむせそうなるのを堪えながらロザリアは小屋を目指して泳ぐ。
 誰彼ともなく、自分に注目していてほしい。無邪気な賛辞が欲しかった。何でも良い、素敵だ、綺麗だ、可愛いと言って欲しかった。いつもの父のように、甘やかして欲しかった。父でそれが成らないので、ジュリアスに。そしてジュリアスにも否定されたから、他の人−−男に。
 わかっている。
 それが酷く虚しいことを。
 もう周囲には誰もいない。あの海岸でこんな沖まで泳ぐのはカタルヘナ家の女たちだけだとすでに有名になっているぐらいだから仕方ない。だがこれ幸いとロザリアは、自分でも酷い格好だろうと思いつつ荒く水を掻く。
 目がヒリヒリと滲みる。海水なのか、涙なのかわからない。潤んだ目と波間の向こうに小屋が見えた。まだ遠い。
 そのとき。
 『そなたの……母と共に泳いでいるつもりで、行って来い』
 ジュリアスの言った言葉が、空虚な心を満たしていく。
 そう、お母様の泳ぎを思い出そう。あの、力強くて美しい泳ぎ方を。
 そのとたん、肩に入った力がすぅっと抜け、ロザリアを取り巻く水しぶきが低くなった。そのような泳ぎ方に戻るまで、ずいぶんと体力を消耗してしまった。それでも小屋へ向かうことしか考えられなくなって、あれこれいろいろと悩んでいたことが消えつつあり、精神上はずいぶん楽になった。
 大丈夫、行き着ける。
 ああ……なんて、海の中は気持ちが良いのだろう。