あなたと会える、八月に。
◆5
それにしても……私は二十四なのだが……。
軽くこめかみを指で押さえていると、横から初めて、小さくではあったが笑い声が聞こえた。
笑った顔で改めて私は、この少女がかなり幼いのだと実感した。
「わたくしのお父様は三十六歳。お母様は三十四歳」
「ならば私はそなたの母の十歳年下だ。ではロザリアは?」
尋ねながら差し出したジュースの入ったグラスを受け取り「飲んでもいいの?」と聞く。頷くと「ありがとう」と言ってストローに唇をつけようとして、慌てて答えた。
「六歳です」
予想がそうそう外れていたものではなかったが、どうやら迷子であることは確かなようだ。本人は決してそれを認めようとしないだろうけれど。
「なんというホテルに泊まっている?」
自分の名前、年齢、親の年齢をすらすらと言うことのできたこの少女も、宿泊しているホテルの名前を言うことはできなかった。それが酷く口惜しいようで、一気に表情が曇り、目を伏せる。
「どのような建物であったか、覚えてはおらぬか?」
私自体、昨日初めてこの地に来たばかりだから、尋ねたからと言ってすぐにあの建物と判断することはできないが、人に問うことはできる。
「玄関に……馬に乗った人の像が……」ロザリアは記憶を手繰り寄せるようにぽつりぽつりと言う。「馬の……右足がぴかぴか光っていたような……」
それを聞くと私は、ベンチの下にあった小さなサンダルを拾い上げ、ジュースを飲み終えたロザリアに渡した。やはり暑さにやられていたのだろう。小さい躰でありながらジュースをこうも早く飲んでしまうとは。
「落とさぬよう、しっかり持っていよ」
そう言うと私は彼女の前に跪き、腕を広げた。だが、ロザリアは小さく首を横に振る。
「抱っこなんて、いや」
「何を言う、そのような足で歩かせる訳にはいかぬ」
「だ、大丈夫ですもん!」
むっとしてロザリアは、サンダルを足元に置くとそれを履こうとする。なんて強情な、と思った瞬間、ふと私は思い出す。
私も同じような行動を取ったことがある。
ロザリアより一つ下のとき、私は守護聖となって聖地に住まうことになった。幼い私を、側仕えや女官、当時の守護聖や女王補佐官までもが、事ある毎にすぐ私を抱き上げようとするので、断固として私はそれを拒んでいた。何故なら、あのころはとにかく守護聖になったばかりで気が張り、子どものように接してほしくなかったからだ。
「では」私はロザリアを真正面から見た。「そなたの宿泊している場所がわかるまで。わかれば行き先も定まるから、きちんとサンダルを履いて自分で歩くがよい。それならどうだ?」
再び、青紫の瞳が私をじっと見つめた。
幼いなりに、判断しようとしている。それこそ私が、嘘をつかぬかどうか。たいていは笑ってなだめすかし、ごまかして大人の都合で片付けられる。そのようなことがないかどうか、裁断を下そうとしているのだ。
私も目を反らすことなくロザリアを見た。
やがて、ロザリアは少しだけ口をすぼめると、ベンチの下に置いた自分のサンダルの紐を躰を傾けて取り上げ、もう片方の空いた手を私の首に巻き付けた。そして私の顔を見ないまま、「お願いします」と小声で言った。
私はたぶん……微かに笑ってしまったかもしれない。彼女なりに恥ずかしいのだ。だからこのような笑い顔を見ればきっと彼女はへそを曲げて怒るだろう。私は、どうにか笑んでしまうのを抑えた。
今ごろになってわかる。
懸命な抵抗。
心細く思い、泣かないことを他人は強情で冷たいと言うだろう。一瞬ロザリアに対しそう思ってしまった私は、私自身のことを思う。本当は泣きたいのだ。だがそれを表に出せないし、出してはいけないと自ら律している。何故なら自分は、そういう立場にいるのだから。それを、可愛げのない、とあからさまに言われたことも少なくない。
けれど……そう言われた私が傷つかないとでも?
そしてこの少女もまた。
作品名:あなたと会える、八月に。 作家名:飛空都市の八月