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飛空都市の八月
飛空都市の八月
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あなたと会える、八月に。

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◆3

 気がついたのは、じりじりと焦がすような熱を感じたからだった。見れば、窓に掛けられたカーテンの隙間から強烈な陽射しが差し込み、それがわたくしの顔を直撃している。一瞬どこにいるのかわからないまま起き上がり、自分がスリップ姿のままベッドに横たわっていたことに驚いた。どうやら……疲れ果てて眠ってしまったらしい。
 「お目覚めのようでございますね」
 わたくしのいる部屋の向こうから声がした。はっとしてそちらを見ると、そこには乳母がいた。彼女はゆっくりとわたくしのいるベッドへ近づくと、小さな銀の盆に載せたグラスを差し出した。見れば赤く腫らした目でわたくしを見ている。心配させた。わたくしは申し訳なく思い、詫びようとしたがその前に彼女が諭すような口調で告げた。
 「お父様がお待ちですよ……彼の地からのお迎えが館へいらしていると」
 制限時間終了。
 わたくしは小さくため息をつきながら、グラスを取った。
 わたくしの奇行は、父や乳母の中に残るだろうか。そして……ジュリアスの中にも。
 せめてそれぐらい、わたくしの『居場所』を願っても良いでしょう?
 こくん、とグラスの中にある水を飲む。悲しみの詰まった喉と心にそれは、何事もなかったかのようにするすると通り抜けていく。
 「……参りましょう」
 グラスを盆に戻すとわたくしはそう自らに宣するように言って、ベッドから立ち上がった。



 ホテルの玄関には、乳母と共に来た父の専属運転手がエア・カーを止めて待っていた。昨夜の嵐が嘘のように晴れ渡り、突き抜けるような青空と青い海が目の前に広がる。わたくしはそちらへ戻りたい衝動を抑えながら、エア・カーに乗り込んだ。乗り込んで、ぎくりとした。
 わたくしのすぐ背後に来ていたらしい。ジュリアスがいた。
 長袖のシャツ。襟元のボタンと、袖口のカフスがきっちりと留められている。おおよそ海へ遊びに来たような風情ではないのは本当に相変わらず。可笑しいやら悲しいやらで、私の表情はかなり複雑なものになっていたことだろう。
 彼は小さな紙袋を持っていた。その包装紙には見覚えがある。ドアの窓越しにそれを突き出すようにして彼は差し出した。
 「気に入るかどうかわからぬが」
 やはり。毎年会うたび、誕生日の祝い返しにとくれる、髪をまとめるためのアクセサリーだ。海の中に浸かってしまうものだから、それほど上等なものではない。街中なら到底選ばないような代物ばかりだけれど、何故かこの明るい陽差しと潮の香りの中なら欲しくなるようなものがいっぱいある可愛い小物類の店のものだ。自分にはわからないから好きなものを選びなさいとジュリアスは言って、わたくしに買ってくれる。それがわたくしの夏の楽しみだった。もちろんわたくしは、この数十倍の値段はするであろうアクセサリを持っている。そしてたぶんジュリアスにしても金銭的には全く無理のない買い物だろう。けれどこれは、この海辺で買い、身につけることに意義がある。
 そこまで思って、はっとしてわたくしは袋を開く。そう、初めて選んでくれたのだ……わたくしのために、ジュリアスが!
 入っていたものは、太めのゴムにさまざまな青色のビーズのついた、あの店にしては少し大人びたデザインのものだった。わたくしの青い髪に溶け込んで色としては目立たないけれど、強い陽射しの中でこれは、きらきらと輝いて綺麗だろう。
 髪をまとめていたリボンを解くと、わたくしはその髪ゴムをつけてみせた。
 「……ありがとう。嬉しい……」
 「そうか」
 そう言って微笑む。やっと、ジュリアスの笑顔を見ることができた。
 「遅くなってしまったけれど……お誕生日おめでとう……ジュリアス」
 「ああ」
 「それと……ごめんなさい」
 どうにか、言えた。
 でも本当は。
 「……さようなら」
 絞り出すように発したその言葉に、ジュリアスが目を大きく開いた。昨夜、わたくしの言ったことが冗談だとでも思っていたのかしら。
 本当にもう、会えないのに。
 「ロザリア」
 「出してちょうだい」
 もう彼の声を聞きたくない。彼の姿も見たくない。何故なら彼は、わたくしを妹としてしか扱ってくれなかった。わたくしに何も残してくれなかった。わたくしの中に……入ってきてくれなかった……から。
 エア・カーがふわりと浮き上がる。
 前列に座った乳母が心配げに振り返ろうとしたけれど、わたくしはそれをきつく制した。潤んだ瞳を、もう決して誰にも見せないとわたくしは誓う。けれど今、この瞬間だけ、わたくしはわたくしを赦し、甘やかす。
 わたくしはたぶん十七歳ぐらいにはなれるだろう。けれど、十八になるのは随分後のことだろう。もうその頃にはジュリアス……あなた、いったい何歳になるかしら。
 だって。
 だって、あなたと会える八月に、わたくしはもう……存在しないのだから。
 膝の上で握りしめた手の甲に、ぽとりと涙が落ちた。