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飛空都市の八月
飛空都市の八月
novelistID. 28776
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あなたと会える、八月に。

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◆4

 家に戻ると、もはや叱ることも忘れたように父が疲れた顔をして、わたくしにいくつかの書類を渡した。
 「聖地からのお迎えは、いったん出直すとは言っていたが」
 父には生気がなく、あたかも一気に年を取ってしまったかのようだった。昨年妻を亡くし、そしてまたわたくしをも−−『失う』のだから。
 わたくしは……この世界−−この宇宙の次期女王候補として召されることになっていた。現在の女王陛下の御力−−サクリアというのだと、女王を輩出してきたスモルニィ女学院の特待生としてわたくしはそれを学んでいた−−が弱まっていると。女王陛下と、陛下をお守りする九人の守護聖様方がおわす聖地を有するこの主星にあっても、天候の不順は密かに事情通によって取り沙汰されていたことは、スモルニィに居ても、主星の大貴族であり、政財界に深くつながっている父の周囲からも自然と耳に入ってきていた。けれど、まさかこのわたくしが次期女王候補になるとは……正直なことを言えば思わなかった。
 父は家の誉れだと言った。言いながら失意に沈む様子を隠せないほど……気落ちしていた。父と母の間にはわたくししか子どもがいない。当然わたくしもこのカタルヘナ家を継ぐつもりで、ここ最近は父の傍らで仕事を見て学びつつあった。女王としての教育を受けてはいても、それは遠い世界の話のようだと思っていた。
 詔はしかし事実であり、真実であった。
 わたくしも、父も、そして乳母も、同じ主星にありながら、聖地とこことでは時の流れが大きく異なることを知っていた。女王陛下も守護聖の方々も年を取らない−−正確に言えば年を取ることには変わりないが、聖地外のわたくしたちよりずっと緩やかに年を取る。わたくしが女王になれば、父の時間とは大きく隔たってしまう。
 乳母は迷わずわたくしについてくることを選んだ。彼女はここへ来る前に家族を失っていたせいもあり、後顧の憂いがないこともある。それにわたくしや父と母が家族のようなものだったし、わたくしもそう思ってきた。そしてそれは聖地でも認められた。
 だから、この家には父が残る。
 父だけが、残る。
 「言われていた主星での準備期間は設けないそうだ。時間が足りないと」
 やはり。
 あの嵐はまさにその前ぶれ。
 わたくしは緊張を隠さず、父に問う。
 「では……いつ」
 「明後日だ。それまでに、この書類に目を通しておくようにと仰せつかった」
 そう吐くように言うと父は私を抱き締めた。
 ただ黙って抱き締めてくれる。父も泣かないし、わたくしも泣かない。これはいわばカタルヘナ家に生まれた者の不文律のようなものだ。こうしてわたくしを抱き締めることすら、本来なら外れた行為かもしれないけれど、父はわたくしを深く愛してくれていたから、父のできる精一杯の行動なのだろう。
 精一杯。
 昨夜聞いた言葉が蘇る。
 彼も、そう言った。
 「……いるそうだ」
 父が何か言っている。わたくしはそれを聞き漏らした。
 「え?」
 「女王候補は、もう一人、いるそうだ」
 思わずわたくしは父の躰を押し退け、そう言った父の顔を見た。
 「……何ですって?」
 父は辛抱強く対応してくれた。
 「だから、女王候補はおまえの他にもう一人いると、お迎えの方はおっしゃっていた」
 別離の悲しみに満ちていたわたくしの顔にはきっと、怒気がにじみ出ていたに違いない。
 「……わたくしが女王になると決まったのではなくて?」
 「二人のうちのどちらかが女王になるとのことだ。そのための試験を行うと」
 「いったい誰が」
 「何でも、おまえと同じスモルニィに通う生徒だとおっしゃっていた。おまえと同い年の……庶出の生徒らしいが」
 「お父様」
 わたくしは顎を引き、父を真っ直ぐ見据えた。
 「わたくしが女王となることに変わりはありません」
 それだけ言って、わたくしは指先でスカートの裾をつまみ、お辞儀をしてみせる。ふっと微笑んで父は頷き、わたくしに書類を渡した。