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飛空都市の八月
飛空都市の八月
novelistID. 28776
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あなたと会える、八月に。

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◆18

 「上手く浮けるようになりましたね、ジュリアス様」
 「だがまだ泳いでいるわけではないぞ」
 「浮くことさえできれば大丈夫、手足を動かせば泳げるのですから」
 プールの水の中、プールサイドの縁につかまっているジュリアスに、その側で、腰をその縁のあたりに降ろして足だけを水の中に浸けたリュミエールは言う。
 「入ります」とジュリアスに一声かけるとリュミエールは躰をすっ、と水の中へと潜らせる。そう、ここは長身のジュリアスですら、プールサイドの縁につかまっていないといられない、リュミエールのプールの中でも最も深い所なのだ。
 泳ぎの達者なリュミエールは立ち泳ぎのまま、水の中は怖くありませんかと、ようやく楽に浮き身のできるようになったジュリアスに尋ねた。
 「いや……」縁から少し躰を離し、ジュリアスは準備しつつ答える。「そなたがあまりにも気持ち良さげに水の中を進んでいくから、見ているこちらまで同じように行けそうな気になる……」
 「上手くいくイメージを持つのは良いことです」
 リュミエールは微笑むと、本当に何の前触れも感じさせず、小さな水音ひとつで水底へと潜る。そして、ジュリアスがそれを追う。まだ水の中に入って数日のジュリアスが、もちろんリュミエールほど奥底まで潜れるはずはないが、静かに潜水する呼気の使い方は思った以上に上手くこなせた。それに対して水面あたりでばしゃばしゃとまだ慣れない手足の動きの中、息つぎをする方がジュリアスには理解できないらしい。たぶんそれなりに泳法が身につけば、息つぎのタイミングもつかめるようになるだろうけれど。
 ある程度潜ったジュリアスのまわりを、リュミエールは両足を上下に揺らすだけの動きで泳いでみせる。するとジュリアスもゆっくりとリュミエールの後を追うように足だけを動かして進んだ。あちらこちらを動かさなくても良いこの泳ぎ方を、ジュリアスは短い日数でできるようになった。もちろん、息つぎができないし潜水泳法では体力もそれなりに消耗する。それでも蹴り足なしで十メートルほど進んだときリュミエールも嬉しくて、思わず弾んだ声でジュリアスを誉めた。すると、驚いたことにジュリアスも、リュミエールに満面の笑顔を見せて礼を言い、もっと練習をするぞ、とも言った。
 もっとも、それが度を越してしまったこともあったが、それはともかく−−
 「そなたの美しい泳ぎの手本があるからこそ、上手くいくのだ」
 プールサイドに上がってジュリアスは、臆面もなくリュミエールの泳ぎを褒め称えると、続けた。「『子ども』の母親も、遠目で見てもなかなか良い泳ぎっぷりだった。沖の海上に建っている小屋まで相当な距離があるようなのに、実に早くたどり着いてしまう」
 そこまで言ってジュリアスは、くく、と笑う。
 「彼女の夫は、それを双眼鏡で確認するのだ」
 「双眼鏡……ですか?」
 「ああ。しかも、どれほどチェスの勝負がこんでいても、それは必ずやっている」
 ジュリアスと『子ども』の父親はもっぱら砂浜のテントの下でチェスをしているという話は、海で育ったリュミエールを仰天させたけれど、ジュリアスはふっと鼻で笑った。
 「彼は……本当は水着をいつも着ていると言っていた」
 「泳がないのに?」
 「彼の妻や子どもに何かあったとき、いつでも助けられるように」
 「ああ……」同じくプールサイドに上がり、ジュリアスをデッキチェアの方へ案内しながらリュミエールは大きく頷いた。「なるほど……そうでしょうね」
 「海で泳ぐのがそれほど好きではないだけで」肩をすくめ、ジュリアスは言う。「海で泳ぐことに夢中になっている妻と子を見ているのが幸せなのだそうだ」
 「……楽しそうですね」
 リュミエールはそれらの話に、自分が故郷の星にいたときのことを重ねた。それで少しぼうっとしていたものの、ふと、ジュリアスが自分を見ているのに気づいた。
 「そなたにあまり……すべき話ではなかったか?」微かに浮かぶ落胆の色。「すまない。どうも私は、自分が故郷や親類縁者を思い出すということがないので」
 −−そう……でしたか。
 突然、今までジュリアスに対し思う心に沈殿していた澱<おり>のようなものが、溶けてしまったような気がした。
 彼は無情でも、ましてや無慈悲なのでもない−−知らない、わからないのだ。
 「い、いいえ!」思ったよりも大きな声になってしまって、リュミエールは恥ずかしくなったが、これはきちんと伝えなければと思った。「私は……楽しいし、嬉しいのです」
 「海で過ごす家族の話が?」
 「ええ……もちろん、それもありますけれど」
 最初のうちは、教えを乞う立場になったジュリアスが言い訳のように話していたけれど、日を重ねる毎に聞かされる海辺での様子は、リュミエールにもどこか懐かしく、微笑ましく思えて、執務後、ジュリアスがリュミエールの私邸へ訪問するのを心待ちにするようになったほどだ。
 リュミエールは、何か飲み物を用意しましょうかと尋ねにきた側仕えに、少し甘めの飲み物を頼んだ。ジュリアスはあまり甘い物は、と顔をしかめたが、疲れを取らなければなりませんよ、とリュミエールからやんわりとたしなめられて、仕方ないなという表情で頷いた。
 「私は……そのような話を、ジュリアス様が私にしてくださることが嬉しいのです」
 理解できない、といった表情をジュリアスがしてみせた。それはそうかもしれない、とリュミエールは思う。確かに……ジュリアスにはわからないかもしれない。
 あなたのように、強いと思っていた方に、たとえ泳ぎの指南といったことであっても頼られているということが嬉しいのですよ
−−ひっそりとリュミエールは、思うだけではあったがジュリアスに告げてみる−−何もかもご自分で引き受け、背負わてしまうのではなく。
 そうして、ジュリアスをそのように変えたのが、あの八月に行く海辺で会う『子ども』とその家族であることも、リュミエールにはわかってしまった。
 そう。私は知っている。
 だから本当に楽しみにされていたのだろう。その海辺での八月、その『子ども』と家族に会われることを。
 そしてそれこそが、ジュリアス様のおっしゃる『故郷』となり『親類縁者』としての思い出となる。和やかなお顔で、ひとつひとつ増えていった思い出を話してくださることが嬉しいのですよ。
 それなのに。
 ふぅ、とリュミエールは小さくため息をつく。
 その『子ども』がまさか、女王候補ロザリアだとは……思いもよらなかった。