あなたと会える、八月に。
◆20
足音が聞こえた。
それは居間の近くまで来たものの、そこで止まってしまったので、ジュリアスとリュミエールは顔を見合わせた。
「どうされました、お嬢さん」
外で女の声がする。
リュミエールが声をかけるより先にジュリアスが、椅子から立ち上がって居間の扉を開いていた。
「どうし……」
ジュリアスの言葉が途切れた。リュミエールも気になってそちらを見た。
完全に髪が解かれた状態のロザリアを見ることは、今までリュミエールにはなかったが、いかにも湯上がりに着るのに良さげな、素朴なデザインの木綿のワンピース姿は珍しい姿だった。たぶん、ここの女のものを借りたのだろう。
「ごめんなさいね、そんな着古しぐらいしかなくて……」
心底すまなさそうに言う女にロザリアはあわてて叫んだ。
「いえ、いえ、そのようなことはありませんわ、ありがとうございます、あの……あの」ぺこり、とロザリアは『淑女』らしからぬやり方で頭を下げつつ続けた。「着慣れないので……少し気恥ずかしいだけで……」
なるほど、おおよそロザリアが着ないような−−むしろアンジェリークの方が好んで着そうなものではあった。だが長い髪をおろし、湯上がりの少し蒸気した頬には、十七歳の少女なりの艶があり、綺麗だとリュミエールは思った。
ジュリアスがすぐそばにいることに気づいたらしいロザリアは、ふっとジュリアスから視線を逸らしつつ言った。
「お先に。早く……お入りになって」
女の手前、多少丁寧な口調にはなっている。
「……ああ」
その声は少し掠れてはいたものの、気を取り直したように頷くとジュリアスは、案内をする女の後に従って居間から出ていった。
「……よく温まりましたか?」
「え、ええ……それはもう」はっとしたようにロザリアは振り返ってリュミエールを見た。「あがろうとしたところで、もっと温まるようにジュリアス様がおっしゃっていたからと、ここの奥様が言いにいらしたので、すっかり湯あたりしてしまいましたわ」
ぷっ、とリュミエールが吹いた。
「ま、何が可笑しいんですの?」
少し眉をつり上げたものの、それほど怒った様子もなくロザリアが尋ねる。
「すみません……あなたとジュリアス様の、それぞれおっしゃっていることが面白くてつい」
笑うのを慎もうとするものの上手くいかないリュミエールは、笑ったまま椅子を勧めた。
「さあ、こちらへ」
「はい」
そう言って座ったロザリアは、すっと顎をひくとリュミエールを見据えた。さすがにリュミエールも笑むのをやめた。
「リュミエール様」
「……はい?」
「申し訳ございません」
「……えっ?」
再び、唐突な詫びの言葉。
そして。
「今だけどうか、お許しください……ここを出る頃には元の女王候補に戻りますから」
リュミエールは目を伏せる。
もしもできるのであれば……この二人を、海へ行かせてあげたいと心底思った。
その、八月の海へと。
作品名:あなたと会える、八月に。 作家名:飛空都市の八月