あなたと会える、八月に。
◆36
「これはどういうこと? ばあや」ロザリアは部屋を見るなり戸口で叫んだ。「全然荷造りができていないじゃないの! いったい何をして……」
そこまで言ってロザリアは、コラが俯いたまま肩を震わせていることに気づいた。
「……ばあや?」
「私……」ぐい、と顔を上げるとコラは、意を決したように告げる。「今すぐジュリアス様へお詫びに参ります」
「……え?」
唐突な言い様にロザリアは目を見開いた。だが事はそれだけでは収まらなかった。
「そして聖地で……ロザリア様の身が立つようお願いを……」
思わずロザリアはつかつかと部屋の中へ踏み込むと、腰に手を当て、仁王立ちになって小柄なコラを見下ろした。
「何を……言っているの?」静かに、けれど低い声でロザリアは言う。「わたくしは、荷物をまとめておくよう言ったはずよ。聞いていなかったのかしら?」
「主星へは……私が今すぐ戻ります」再び俯いてコラが言う。「ですからロザリア様は聖地へお残りになるよう」
「あなたの指示は受けないわ」冷たくロザリアは言い放つ。「わたくしが、決めたことなのよ」
「でも」顔を上げ、コラは懸命に続ける。「私は……ロザリア様がむざむざ不幸になるのを見たくないんですっ!」
「な……っ」
「ロザリア様は女王候補なんです、ディア様みたいに女王補佐官になるとか、女官とか……王立研究院でも、きっとロザリア様の暮らしていける場所が」
言っている間にも声がどんどん小さくなっていく。ばあやは本当にわかりやすい、とロザリアはため息をついた。
「ばあや」ロザリアは宥<なだ>めるように声をかけると言った。「お父様に……何があったの?」
びくっとしてコラは顔を上げた。上げて勢いよく首を横に振る。けれどロザリアにはわかっている。
当たりも外れもない。それしか、ないのだ。
ロザリアはコラの腕を引き、側にあった椅子に座らせると、自分も向かい側の椅子に座った。
「あなた、あんなにジュリアスを責めたのよ?」膝の上に手を置いて、スカートの布を掴んでいるコラの様子を見つめつつ、ロザリアは言う。「アンジェリークが女王になったことで、わたくしの人生が台無しになったとまで言ってジュリアスを罵<ののし>ったあなたが、何故急にそんな宗旨替えを?」
躰を前傾させてロザリアは、コラに向かい、諭すように続ける。
「わたくしにはもう、聖地でできることは何もないの。それよりもわたくしは」
椅子から立ち上がるとロザリアは、コラの足元で膝をつき、顔を覗き込んだ。
「お父様を助けたいの……少しでも早く」
コラもロザリアを見る。ロザリアの中の何かを推し量るかのようにじっと見つめている。だが嘆息すると小さく首を横に振った。
「私……やはりジュリアス様のもとへ行ってきます。ジュリアス様はロザリア様をずっと……六歳の頃からご存知です、だからきっと、ロザリア様の悪くないようにしてくださいま……」
「ジュリアスは関係ないわ!」立ち上がり、ロザリアは自分の胸に手を当てて叫ぶ。「わたくし! このわたくしが選んだことよ! それにジュリアスがいったい、わたくしをどうしてくれると言うの?」
自分でも取り乱しているのがわかる。だが、ことジュリアスに関してもうこれ以上誰にも何も言われたくない。今し方、別れの辛さに必死の思いで堪えてきたところなのに、こうしてコラが何度もその名を口にするたびロザリアは、胸を深くえぐられるような悲しみに苛まれる。
「それは……」
コラもさすがに口ごもり、言葉を続けることができない。その少しの間合いでロザリアは息を継ぐ。
……落ち着くのよ、ロザリア。肝心なことをばあやは、まだひと言もわたくしに伝えてはいない。
「ばあや」コラを見据えロザリアは、毅然として言った。「そんなことより、お父様がどうされたのか、きちんとわたくしに……わたくしの目を見て話しなさい」
コラの肩が大きく揺れる。
「ばあや! 言いなさい!」
「……どうにか……」話し出したものの、コラはロザリアの目を見ないままだ。「命だけは……取り留められた……と」
「……えっ」
コラが言うには、ロザリアの父である主は、ここしばらくはずっと伏せっていたらしい。食事も満足に取らないまま、それでも執事が毎食用意して寝室へ訪れていたのだが、その日の朝は、いくらノックをしても返事すらなかった。
もしかしたらまだお休みかもしれないと、執事はいったん下がったものの、妙な胸騒ぎに引き返し、失礼しますと言って部屋へ入り寝台を覗き込んだときには−−
「呼吸が止まっていらしたという……ことです……」
がくん、とロザリアの膝の力が抜ける。それでも咄嗟に足を踏ん張って躰を支えることができた。
「私もさっきそれを知って……ですから」とうとうコラは、堪えきれず躰を折り曲げ、膝に突っ伏さんばかりに泣き崩れた。「今、ロザリア様がご実家へお戻りになっても、苦労なさるばかり……!」
作品名:あなたと会える、八月に。 作家名:飛空都市の八月