瀬戸内小話4
散髪
髪を切ろうとして、どうも上手くいかない。
鏡を前に小刀を使ってみても、己の満足する出来にならずに苦笑する。
別に、誰かがいなければ何も出来ないという訳ではない。髭を剃るのも風呂に入るのも、大抵は一人で済ませられる。船に乗れば、よほどのことがない限りは一人で済ますのが流儀だ。
だが、陸地においてはあれこれと所用を片付ける小姓の一人や二人、居ないと不便で仕方ない。
郡山すべてを要塞と化す元就の城には数多の小姓が仕えている筈なのだが、主の性格か、彼の周囲ではあまり人を見ることがない。
不便ではないかと一度聞いてみたが、別に、と判を押したような答えが返ってきただけだった。
確かに、彼は他人を嫌う。
それは、毛利の当主として、誰からも侮られぬ存在として君臨するために必要なことともいえたし、単に他人との接触で傷つくのを恐れているようにも思われる。
もっとも理由など、どうでもいいこと。今更、何が理由かなど聞いたところで、はっきりした答えが出るはずもないし、出たところで何がどう変わるわけでもない。
そう、いま当面の問題は、この髪剃りである。
「ああ、糞っ」
鏡を見ながら伸びた髪を切ろうにも、どうも逆手では狙い通りに行かない。
つい悪態が口を吐けば、いつから見ていたのか、隅よりで忍び笑いが聞こえた。
「……おい、見てんのなら手伝えよ」
「我に髪を切れ、と?」
恨みがましい視線を向ければ、男は足音もなく近づいて横に座る。この棟は当主・元就の居住だから彼が居るのは当たり前なのだが、日中からここに居るのは珍しい。
だからこそ、居ぬ間に身なりを整えようとしたのだが、間が悪かった。
「小姓に頼め」
「その小姓がいねぇんだよ。お前、自分が居ないときは暇やってんだろ?」
「……ああ、そういえば、そうだったかも知れぬな」
あまり興味がない口ぶりは、本当に興味がないのだろう。そんな、本人の興味の範疇外の情報は、食客の元親に伝わることがない。おかげで、元親は己の手で散髪するはめになったのだが。
「意外に鬼も、不器用なのだな」
貸してみよと差し出された白い掌に、小刀を渡す。銀刃をニ、三度眺めてから、彼は膝立ちで元親の背に回る。
「適当でよいのだな?」
「……格好良くやってくれ」
「無理を言う」
くすりと笑いの気配が首筋を撫でる。少し冷たい指先が肌を掠め、刃が滑る感覚が頭皮越しに伝わる。
「伸びたな」
零される感慨深げな一言。
毎日剃る髭と違い、髪は滅多に剃らぬものだから。この地で初めて散る、銀糸。
「またすぐ伸びるさ。そんときは、またやってくれるか?」
振り向かずに問い掛けると。
「考えておこう」
少し嬉しげな声が聞こえた気がした。