そして、再開
とはいえ、そこは自分の管理が悪いと自覚はしていたからいっそ、頑張った後に充分休めばいいと思っていた。だから今は八尾が帰ってくるまでに掃除に専念する。何より教会内は神聖な場所であるからにして常に綺麗でないといけないから。
そう思いながら窓拭きをしていたその時。扉が開いた。おかしいな。八尾はさっき教会を出たばかりの筈だ。村中を回ってくると言っていたからこんな早くに帰ってくるなどまずないだろう。だとしたら、昼間に人が来ることは滅多にない。一体誰なのだろう。
しかし、振り返った瞬間慶は凍りついた。
相手は宮田だったのだ。心臓がばくばくする。冷や汗が滴る。足が震える。どうしよう、どうしよう。
しかし、と一旦思考を落ち着かせる。神代か何か村についての用事なのだろう。そう考えれば別におかしくはないし、耳を傾けないわけにもいかない。
何気ない振りを装って敢えて慶はやり過ごす事に決めた。
「ああっ、宮田さん。いらしてたんですね…これは失礼しました」
「…いえ、今来たところなので別に気にしないでください」
窓を拭く手を止めて軽く頭を下げる。
気付いてないのか敢えて気が付いていない振りをしているのかどちらにせよ宮田はいつもと変わらない表情で会釈をしてきた。
嫌悪していると思われたくなくて、代わりに宮田のもとへと歩いてゆき、様子を伺う。
「あれ? 病院の方はどうされたんですか?」
「丁度今は休憩時間なので」
「はぁ…何かご用でも?」
「いえ、特には。強いて言えば貴方に逢いに来た、ですかね」
「……」
予想外だった宮田の言葉に慶はただただ唖然とした。特にこれといった用事もなく自分に逢いたかったという理由でわざわざ来たのだから。
と、その瞬間、ふらっと目眩に襲われた。ただでさえ宮田を前にすると身体が硬直してしまうのに体調を崩しかけてるこの状態ではますます怪しまれるのではないか。
「……?」
現に一瞬、訝しげな顔をされた気もした。医者の彼の事だ。すぐに勘づかれてしまうだろう。
我に還った慶はすぐに気を取り直して立ちっぱなしの宮田をすぐ近くの長椅子に座るよう促した。
「あ、立ち話もなんですから、よければ座ってください」
宮田が腰掛けた後、慶も「隣、失礼します」と長椅子に腰を下ろした。
やはり気まずい。本当に、宮田は何がしたいのだろうか。そう思っていた時、丁度宮田本人が沈黙を破った。
「…掃除はどのくらいからされていたんですか」
「あっ…えっと、30分前くらいからです。八尾さんから、外出してくるので代わりにお願いしますって頼まれて」
「八尾さん…」と呟いている宮田の様子はどこか苛立たしげな気もしたが慶は敢えてあまり気にしない事にした。
それより、先程から体調の方が段々限界を訴えてきている方がまずいと思った。目眩がくらくらするうえ頭も靄がかったみたいにぼうっとする。ズキズキと痛む偏頭痛と一緒に体温まで上がっていってしまっているから困る。真隣の宮田に言えばいいのだろうけどそれすら怖くて言い出せなかった。
と、慶の異変に気づいたのか、隣から宮田の視線を恥ずかしいほどに感じる。緊張で顔そのものを見る事は出来なかったがを眉と眉の間にシワを寄せて此方を見つめている――そんな宮田の表情が真っ先に頭に浮かぶ。
「…もしかして熱あるんですか」
声をかけられハッとし肩を震わせる。案の定、宮田は眉間にシワを刻んでいた。それに慶は精一杯笑顔を努めて対応した。
「あ、まぁ…昨日辺りから少し体調を崩していたのですが。今は大丈夫ですよ」
頬が若干ひきつってるように感じる気もしなくないがなんとか誤魔化せているだろう。が、残念ながらそう上手くはいかなかったようで宮田は溜め息を吐くと椅子から立ち上がった。立ち上がった後、慶に手を差し伸ばした。
「全く、自分の体調管理も出来ないようでは困りますよ。ほら、手貸してください。どうせ俺も病院に戻るんだ。午後からすぐの予約は入ってなかったと思うので一緒に行って診察しますよ。お金は払わなくて結構です。心配しないでください、あの求導女にも念の為連絡はいれておきますから」
慶はその手を、握りかえそうかどうか迷った。なぜ迷ってしまうのだろう。体調が悪いのは本当だし自分が意地になってまでも病院に行きたくないという理由はない。そもそも宮田が単なる好意で診察してくれようとしているのは確かなのにも関わらず――いまだ彼に対する恐れが消えないから。
パシンッ
「いっ、いいんですっ! 本当に大丈夫ですから…」
消えなかった結果、慶は伸ばされた手を反射的に振り払ってしまった。
恐怖で顔は上げられなかったけど近くの雰囲気で明らかに宮田が気分を害したのは理解できた。
「牧野さん、俺の事避けてるでしょ」
低く、重たさを持つ声が頭上から降ってくる。その声に牧野はハッと顔を上げると「そっ、そんな事は…」と声を震わせながら弱々しく否定をした。しかし宮田は未だ、牧野に疑いの目を向けてくる。その自分を真っ直ぐと捕らえる鋭い視線。まるで獣が獲物を狩る時の瞳に似ていた。そんな視線に己の意思とは関わらず、慶は思わず目を逸らしてしまう。
「み、宮田さん? …もうそろそろ医院に戻られてはどうですか? その…きっと、次の患者さん達がお待ちになっていると思いますし、私もそろそろ掃除を再開しなきゃいけないので、」
さっき患者はいないと言ったのにもかかわらず矛盾丸出しの言い訳でその場から離れようとする。
卑怯だとは自分でも自覚していた。けれども、今の慶にはこうするしか他に手段は考えられなかった。長椅子から立ち上がり、逃げようとする慶の手首を宮田ががしりと掴む。
「逃げる気か」
先程とは比べ物にならないぐらいの剣幕で慶を睨み付ける。視線が宮田の方へと固まる。
「みやた、さ」
「貴方は俺をいつも避けていた。今だってそうだ。どうしてなんですか? 俺が宮田だからか。それとも俺のこの無感情な顔のせいか。態度か。答えろよっ!」
遂に宮田が大声を発し、慶の肩がビクンと上下した。どうしようどうしよう…宮田を怒らせてしまった。彼は本気だ。次はきっと自分を罵るに違いない。慶は覚悟の意できつく目を瞑った。
が、次に発せられる言葉は意外なものだった。
「俺は…あんたの事がこんなにも、好きなのに…っ!」
え…あの宮田が、自分の事を…? 慶はただひたすら目をぱちくりさせた。となると…宮田も自分と同じ気持ちだったのだろうか。 わかっていながらも微かに隠していた想いを今告げるべきか。
さっきまであれほど強く掴んでいた宮田の手が力をなくし、だらりと垂れ落ちていく。
震える両手で法衣を握りしめ、そして震えた声で牧野は言った。
「どう接していいかわからなかったんです」
今度は宮田が目を丸くする番だった。
「あっ、いえ。だからといって嫌いだったとか決してそういうわけではないんです! 寧ろ…」
言っているうちになんだか恥ずかしくなり、顔が火照っていくのを感じる。
「寧ろ、宮田さんとは仲良くなりたいと思ってたんです…元はといえば同じ血を分けあった双子だし…」