学園小話
三年生 ……きり丸と乱太郎で2年後
三年生に進級して、土井先生は言った。
「お前たち、今年は大切な年だぞ。自分の進路をよーく考えるんだ」
そのときはみんな結構いい加減に聞いていたけど、 改めて思えば、夏休み明けのふるい落としの予告だったのかもしれない。
一昨晩、一足先に学園に向かうという土井先生は、進路相談には少し早いけれどと言いながら真面目な顔で問いかけて来た。
「きり丸、お前は本当にプロの忍者を目指すのか?」
夏休み中抱えていたわだかまりが、それで一瞬に氷解する。選別はもうとっくに始まっていたのだ。
地面が崩れる錯覚を覚えながら、笑って取り繕う。
「当たり前じゃないですか。そうじゃなきゃ、俺は食ってけませんよ」
頬が引きつらずに笑えたのは上出来だったと思う。
「……そうか。それならいいんだ。お前ならきっと大丈夫だ」
ほっとしたように笑って見えたのは、そう見ていたいからの錯覚だろうか。寝ようかといつもの明るい声に、はいと頷いて床を延べた。
「おはよー、きり丸。どうしたのさ、機嫌悪い顔して」
「なんでもない。さっさと行こうぜ」
新学期を前にして、いつものように待ち合わせして忍術学校へ戻る。
本当ならばしんべヱも一緒だけど、今回は家の手伝いがあるとかであとから遅れてくることになっている。
それすら何か作為的なことに思えて、苛立ちのあまり歩くスピードが速まっていく。
小走りの乱太郎が、ちょっとと袖を引いてようやく気づくんだから、これじゃ心配されても当然かもしれないと内心で舌を出す。
「やっぱり変だよ。休み中何かあった? もしかしてバイト失敗したとか……」
「そんなドジ、俺がするはずないだろ?」
「水臭いよ、きり丸。相談してくれたっていいじゃないか。私たちは友達だろう?」
裏表もない、心から発する好意。
だからこそ、言えない言葉があると知ったのはいつだっただろうか。
夏休み、土井先生が何度も家を留守にしていたとか。夜、寝静まった後でひとり考え込んでいたとか。そんな些細なことは、今までならば不満と共にぶちまけていただろう。
でも、山田先生とわざわざ町外れで落ち合って家庭訪問に向かっていると知ったとき、それをきり丸に隠していると知ったとき、誰かに話す言葉を失った。
誰よりも仲間思いの友人は、間違いなく心を痛める。そしてきっと言い出すのだ。「みんなで進級しよう」と。
今までならばそれで済んだ。でも、ここから先は仲良しごっこじゃ進めない。
しんべヱはいいとこのお坊ちゃんだし、武家出身の金吾は侍になるだろう。教室のみんなの顔を思い浮かべれば、どれだけみんなプロの忍者になるだろうか。きっとほんの一握りじゃないか。
だから、乱太郎には決して言えない。
「ちょっと、苛立ってるだけだよ。悪いな、乱太郎」
「それならいいけど……。溜め込んじゃ駄目だよ?」
「ああ、わかってる。それより、お前のほうこそ夏休みどうだった?」
仕方ないねと笑う乱太郎は、それ以上聞いてこない。
それに感謝してこちらも話題を切り替える。新学期になればいやおうなしに、きっと話題に出てくるだろうから、今は……。
忍術学園には、新学期を目前にして、もうかなりの生徒が戻ってきている。
耳を澄ませば、あちこちからざわめきが聞こえてくる。慣れた気配はささくれ立った心を、ひどく安心させてくれる。それでも、部屋の片隅に置かれた三つの文机を見れば、それだけでまた苦しくなる。
「ただいまー」
風呂に入りに行っていた乱太郎が、上機嫌で戻ってくる。おかえりと敷いた布団の上で応えれば、行儀悪いよと怒られる。
「せっかくお土産もらってきたのに」
「土産?」
「そ。川西左近先輩が、自宅から持ってきたっていう甘酒。きり丸も飲むでしょ?」
「当たり前だ」
身体を起こすと、虫が入らぬ用に片付けてある箱から盃を出す。ふたつの盃を満たす乳白色の色に、お互い顔を見合わせて笑う。
「しんべヱには悪いけど」
「だな。いただきまーす」
小さな徳利に入った甘酒は、二人で飲むとすぐになくなる量しかない。それをちびちびと飲んでいれば、相変わらずケチくさいんだからと笑われる。
変わらない、でも少しずつ変わっていく毎日。
不意に乱太郎が、笑った。
「ん、どうした?」
「うん、僕たちがこうして酒を一緒に飲むってすごいなと思って。甘酒だけど」
「俺たちも、もう十二歳だぜ? 酒のひとつやふたつ、経験してるのが当たり前だろ」
「そうなんだけどさ」
ぺろりと空になった盃を名残惜しそうに舐める。そのまま人の布団の上に寝転がった乱太郎は、天井を見上げたままぽつりと呟いた。
「来年は、私たちも二人部屋になるんだろうね。そうしてきっと、お酒を飲む回数も増えるんだ」
きり丸は案外お酒に弱そうだから、心配だよ。なんて、笑いを含んだ声音で語る。
「…………それで、いいのかよ」
なぜ、そんなことが笑って言えるんだ。
どうしてそんなことを思うんだ。
叫びたくなるのを必死で堪え、下を向く。
「…きり丸は、優しいね」
肘をついて、人の顔を覗き込んでくるそばかすの残る幼顔。そこに浮ぶ笑みは、いつもの乱太郎のそれじゃない。
「…………俺のどこが優しいんだ、バカ」
「優しいよ。だから、泣くなって」
乱太郎の声が響く。我慢できずに零れた嗚咽に、差し出されるのは温かい掌。
とんとんと背を叩かれながら、彼が何歩も先を歩いていることを知った。
「大丈夫。私たちはどんなことになっても、ずっと友達だよ――」