ケンカした
教師が話す言葉が頭の中をすり抜けていく、授業が退屈なのはいつもの事だが、今日はそれ以上に頭に入ってこない。獄寺は大欠伸を何度も繰り返して、机の上に突っ伏す。
うとうとしてきたところで背中を軽く突かれた。「おい、見られてんぞ」とクラスメイトの小さな声。顔を上げると、壇上の教師が眉間に皺を寄せてこちらを見ていた。
仕方なく、顔を起こして教師を睨みつける。それに怯んだのか、教師はぱっと目を逸らして黒板に公式を書き始めた。
頬杖を付いてそれをノートに写す。その間に、獄寺は何度も背後に目をやる。
普段だったら、授業中でも後ろを見ると必ずと言っていい程山本と目が合う。バカなんだから授業に集中しろ、と毎回思うのだが、本人は止める様子がない。目が合わない時は、山本は大体寝ている。
だが今日は、一度も目が合っていなかった。
珍しく寝ている様子は見られなかった。顔を上げてはいるが、ぼんやりと廊下を見ているか、真面目な振りをして黒板を見ている。
「……わざとらしいんだよ」
誰にも聞こえないような小さな声で、ぽつりと呟く。
その時、不意に山本がこちらを見た。目が合う。
しまった、と思った。獄寺が目を離そうとする。だがそれより先に、山本が露骨に嫌そうな顔をして目を逸らした。
「何なんだよ、一体……」
目線を前に戻して、獄寺は苛立たしげに舌打ちを一つする。
怒っているのは分かった。だが、随分と露骨に態度に表してくれるではないか。あんな態度に出られたら、謝りたくても謝れない。
時計の針が昼休みの時間へと近づいていく。今日の昼食はさぞかし重苦しいものに違いない。せめて、ツナには、自分が山本を怒らせた事に気付いてほしくない。どうやって誤魔化すかを考えている内に、いつの間にか授業は終わっていた。
クラスメイトが一斉に動き出す。それに合わせて、山本は獄寺達を置いて教室を出て行った。
「あれ? 山本は?」
山本が出て行ったドアを見ていると、ツナが不思議そうに訊ねてきた。
「さっさと出て行ったみたいっす。そのうち来るんじゃないですかね、屋上行ってましょうよ」
獄寺が立ち上がり、重苦しい気持ちを払おうと努めて明るく言う。ツナは「へー、珍しい」と首を傾げた。
屋上に出ると、空はどんよりと雲っていた。これで雨でも降れば、完璧に自分の気持ちとリンクしているなと思いながら、獄寺が空を見上げて嘆息する。ツナが獄寺の顔を怪訝そうな目で見る。
いつもの場所に陣取り、他愛もない雑談をしながらパンをかじっていると、階段を駆け上がる足音が聞こえた。ちらりと階段の方を見ると、見慣れた髪型が上がってくる所だった。
「あ、山本来た。おーいこっち」
ツナが階段に向かって手を振る。山本はきょろきょろと何度か周囲を見回した後、ツナに気が付いて笑顔を浮かべた。
だがその笑顔は、ツナの横にいる獄寺を見た瞬間、すっと消えた。
「山本?」
山本の表情の変化にツナがきょとんとする。山本は何も言わずにくるりと踵を返すと、足早に階段を下りていった。
遠ざかっていく山本の背中を見据えて、獄寺は唇を噛み締める。
本当に怒っているのだと思い知らされる、それがこんなにも苦しいとは思わなかった。胸をぎゅっと掴まれるような痛みに、息苦しさ。我慢しようとすればする程苦しさは増していき、涙が滲みそうになる。俯き胸に手を当てて、苦しさを紛らわそうと何度も息を吐く。
ほんの些細な一言だったのに、いつもの軽口のつもりだったのに、山本をあんなにも怒らせてしまった。その事にこんなにもショックを受けた自分に驚く。突き放すのも、突き放されるのも慣れていたと思っていた。
「獄寺君、大丈夫?」
ツナの心配そうな声。慌てて顔を上げて、ぎこちない笑みを浮かべる。
「あ、大丈夫っすよ。なんすかね、アイツ。あんな奴放っておいて、メシ食っちまいましょうよ」
自分でもわざとらしいと思いながら、獄寺はにこにこと笑ってパンを齧る。パンは妙にぱさぱさしていて、味がしなかった。
「獄寺君あのさ、ひょっとして、山本とケンカした?」
獄寺の目を真直ぐに見て、ツナがそう聞いてきた。獄寺はぴたりと動きを止めて、笑みを貼り付けたまま答える。
「いえ? 別にケンカなんて。んな、10代目が心配される事じゃないっすよ」
やっぱり分かってしまうらしい。獄寺は心の中で舌打ちをする。それもこれも、あんなに露骨な態度を取る山本が悪いのだ。ツナに心配を掛けてしまったではないかと、この場に居ない山本に毒づく。
「うん、でもさ何か山本の態度おかしいし、獄寺君も落ち込んでるみたいだし。何かあったのかなと思って」
「いやいや、あいつが勝手に怒ってるだけなんで。そのうちケロっとした顔で戻ってきますよ」
「でもさ、あの山本が怒るなんてよっぽどの事じゃないのかな。ケンカしたなら早く仲直りした方がいいんじゃないかな。獄寺君も見てて辛そうだよ」
核心を突いたツナの言葉。獄寺の顔から少しづつ笑みが剥がれ落ちていく。情けない顔をツナに見られないように俯く。
「あ、ゴメン。オレ言い過ぎたみたい、だね」
「いえ、こちらこそ、情けない所見せてしまって申し訳ありません……」
弱々しい声で答える。苛立ちと情けなさと、そして悲しさが入り混じった思いにぐるぐると頭の中を引っ掻き回されて、それ以上何も言えなかった。
どうしようもなく、泣きたくなった。