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決意は揺れて 5

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「撮影は今日までだって言ってたんですけど、無理を言ってスケジュールを早めてもらいました。それで、昨日の夜に戻ってきてそのままセンパイの家に行ったんですけど、センパイいなくて」
「は? じゃあ、ずっとうちの前で待ってたのか!?」
「だって、センパイにすぐに会いたかったんです。あんな着信メッセージを聞いたら、いてもたってもいられなくて」
 目に見えるくらいにしょぼくれた様子で言った黄瀬。あんな着信メッセージとは、別れてくれの一言だろう。
 あの時は勢いだけで言ってしまった言葉。何の言い訳も逃げ道も考えずに、ただ直視することから逃げていただけの言葉。
「どうして別れたいと思ったんですか? せめて、理由を聞かないと納得できないんス」
 出来れば別れたくない、と。黄瀬の表情は相変わらずで、更に何かを我慢しているようにも見えた。
 そんな表情を見せるな。手放しがたくなるじゃないか。私だって、お前のことは好きなんだから。
「お前は芸能人で、人から注目される人間なんだ。私みたいなのに振り回されるべきじゃない」
「そんなこと!」
「あと――」
 黄瀬の言葉を無理矢理遮る。少しでも、自分に魅力的な言葉を聞いてしまえばゆれてしまいそうになるから。
「お前に振り回されるのも、疲れたんだ」
「……っ」
 嘘だ。嘘だからそんな顔しないでくれ。
「この間、週刊誌に撮られたのって電話くれたときだよな。移動って言ってたけど、その子に会いに行くためだったんじゃないのか、とか」
「違います!」
 がたん、と強く机を叩いて黄瀬は言った。
「違うんです。打ち上げの予定が入っていたんです、この間のドラマの。彼女もそこの共演者で、たまたまお店を出るタイミングが一緒で撮られてしまっただけなんです。他のスタッフもいて……」
 わかってる。黄瀬が他の女の子と二人きりで出かけることはしないってことは。黒子とすら、三人以上じゃないと会おうとしないことだって。それに、いつも取り上げられるのは下世話な週刊誌の話題づくりや、売名目的のスキャンダルがほとんどだって。
「俺が好きで大切にしたいのはセンパイだけなんです」
「……ごめん」
 もう黄瀬の表情を見る余裕などなかった。手元のオレンジジュースに目を向けて口を開く。
 突き放そうとする私を許してくれ。
「もう疲れたんだ」
 考えて、悩んで、不安になるのは。
「黄瀬は私と違って、ずっと脚光を浴びて過ごすと思う」
 お前に迷惑を掛けるかもしれないと考えると、どうして良いのかわからなくなったんだ。
「だから、一緒にいたいと思えない」
 これは嘘だけど。でも、こうするしかないんだ。
 罪悪感ばかりが募る。目の前の男に手を伸ばして、抱きしめたい衝動に駆られる。それでも、笠松は自分自身に諦めろと言い聞かせる。
「それは、どうやっても俺じゃ無理ってことですか」
「……ああ」
 黄瀬の、声色が普段よりも暗くて、笠松は耐えられなくなってきた。早く帰ってしまおうと、かばんの中から財布を取り出す。
「……あと、センパイ、話したいことがあるって言ってましたよね。今からでも」
「話はもう、いい」
 ダメ押しをする。
「黄瀬には関係のない話だったから」
 ほとんど口をつけていないオレンジジュースと千円札置いて立ち上がる。待ってというように掴んできた黄瀬の手を振りほどく。
「次は、良い人と付き合えよ」
 七年間はとても長くて、過ぎてしまえば短い時間だった。一緒にいて幸せだったよ。口には出来ず、胸のうちに、そっと閉じ込めて黄瀬の前を後にした。

 夕食を終えて、お邪魔している家主の森山に、黄瀬と会ったきたことを話した。夕食が遅くなってしまった理由にもなるために事細かに聞かれたが、黄瀬と一緒にいた時間も少なく話す内容もあまりなかった。
「ま、大体事情はわかったわ。それで、黄瀬は納得してたの?」
 ベッドに腰掛けながら言う森山。笠松はカーペットの敷いてある床から見上げていた。
「わからない。けど、あそこまで言ったらさすがに諦めるとは思うけど……」
 まだ、黄瀬は自分を好きでいてくれるのではないかという希望が、確信することを妨げる。自分から手放さなければならないはずなのに、まだ一緒にいたいと気持ちが矛盾する。
 早く、気持ちの整理をつけなければと思う反面、きちんと別れを切り出したなら、引越しをしなくても良いのではないかという考えも浮かんでくる。別れたのなら、逃げる必要もなくなる。
「あれ、電話鳴ってない?」
 今後のことを考えていた笠松に、森山が水を差す。
 仕事中からマナーモードにしていたスマフォが着信を示すように震え続けている。電話の着信で、いったい誰からと画面を見ると、予想もしていなかった人物からだった。
「誰?」
「……黒子だ」
「は?」
 嫌な予感はしていた。けれど、ここで電話を取らないともっとダメなことになる気がして、笠松は驚く森山を無視して画面をタップする。
「もしもし」
『笠松さん、お久しぶりですね』
 電話越しの黒子の声は、先日会ったときよりも少し低く聞こえる。
「……突然、何の用だ?」
 なんとなく話の内容について気づいてはいた。けれど、自分から切り出せるほど今の笠松は強くなかった。
『先ほど、黄瀬くんから話は聞きました。別れるそうですね』
「ああ」
『黄瀬くんに、あのことは話したんですか?』
 紛れもなく、妊娠のことだというのはわかる。どうしてですか、という質問をしないあたり、黒子の中で予想の範囲内らしい。
「別れるんだから、もう関係ないだろ」
 だから、言わなくて良い。黄瀬から逃げるには、この方法しか思いつかなかったのだ。
 黒子の言葉を大人しく待つ。
『笠松さん、僕の言っていた言葉を覚えていますか』
「……ああ」
『じゃあ、僕が今から黄瀬くんにその話をしても良いということですね』
「それはっ……」
 話されたくない。逃げるのだから。黄瀬には罪悪感も、執着も持ってもらいたくない。妊娠させた相手に対して何も思わないほど非常な人間じゃないことはわかっていた。だからこそ、言わずに消えようと思っていたのに。
『僕から言うか、笠松さんから言うか。選んでください』
 なぜ、ここまで上からものを言われなければならないのか。そう思っても、結局のところ黒子に見つかったときから自分が悪いことくらいは自覚していた。
 息を呑んで、意を決する。
「わかった。自分で言う」
 だから、これ以上介入しないでくれ。
 電話の向こう側から、ゆっくりと息の吐く音が聞こえた。安堵が含まれていたのかもしれない。
『わかりました。じゃあ、今週末、土曜日の十時に黄瀬くんのマンションで』
「はっ!?」
 突然の決定事項に声が裏返る。
『あ、鍵は開けさせておきますので』
「いや、てか、何で黒子が決めるんだよ」
『黄瀬くんから戻ってしばらくは休みを奪取したと聞いていたので』
「私の予定とか」
『土曜日は会社はお休みですよね?』
「しかも黄瀬ん家って」
『笠松さんが逃げられないようにするために決まってるじゃないですか』
「黒子ォっ!?」
作品名:決意は揺れて 5 作家名:すずしろ