名を呼んで
多軌の誕生日が五月十五日だと知ったのは偶然だった。
その日、俺は田沼と隣町まで服を買いに行く、という珍しい行動に出ていた。
数日前、二人で他愛も無い話をしていたときに突然田沼が『夏目は自分の服は自分で買っているのか?』と尋ねてきたのだ。
『いろいろだな。ものによっては自分で買う。一緒に行ってもらうこともある』と俺は答えた。普段着ているシャツやジャージは塔子さんが見繕って買って来てくれるのだが、ちょっと改まった席で要る物や冬のコートなどは一緒に行って買ったし、肌着はなんとくなく気恥ずかしいので自分で買うことにしていた。
「田沼は?」
尋ねると、それまで全てお父さんに買って来てもらっていた、と言った。それで不自由もなかったし、自分で特にあれが着たい、これが欲しいと思うこともなかったりだそうだ。
『だけど、どこかの檀家さんにそれじゃいけないって言われたとかで……確かにそろそろ何でも父さんに頼るのはやめて、少しずつ自立しないといけないんだけど、どこで買えば良いのか、いくらぐらいするのか、何もわからなくてさ』
もし一緒に行ってくれたらありがたいのだが、との言葉に快く頷いた。
電車とバスを乗り継いで一時間弱。たどりついた、このあたりではそこそこ充実したショッピングセンターは、買い物を楽しむ人でなかなか賑やかだ。俺は田沼がポロシャツとパーカーを選ぶのを手伝い、ついでに自分の靴下を買った。それから腹が空いたので何か食うか、と二階のフードコートへ向かっていたのだが、そのエスカレーターの途中で突然田沼が今後にしてきた一階のフロアを指差した。
「あれ? あそこにいるの、西村じゃないか?」
「本当だ。……けど、あれ」
「何をしているんだろう?」
田沼の疑問はもっともだった。
西村は頭に髪飾りを三つもつけ、首にはネックレスをぶら下げ、全ての指に指輪をはめたけったいな姿で姿見を覗き込んでいたのだ。
「仮装の練習かな」
「……違うと思うぞ」
エスカレーターを降りた俺たちはどちらからともなく下りのエスカレーターに足を向ける。
あんな奇妙な格好の西村を放っておくのはなんだか心配だった。
西村悟は俺と同じ二組の生徒で、俺と正反対の性格をしている。明るくて好奇心旺盛で活発で、細かいことは気にしない。でもいくら物事を気にしない西村とはいえ、あれはまずい。だってほら、通りすがりのお客さんたち、みんな西村を避けて……
「にしむら?」
「お、夏目に田沼か。なんだお前たちもプレゼント買いに来たのか? ははっ、もう遅いぞ。一番は俺がもう選んじまったからな」
田沼と顔を見合わせた。
「誰の?」
「あ? 誰のって、何が?」
「いや。ほら、プレゼントって言っただろ? 今」
「誰かの誕生日か?」
「なんだ。知らなかったのか」
言うんじゃなかった、とぶつぶつ悔やむ西村にもう一度問いただすと、やや得意げに胸を張って教えてくれた。
「五組の多軌さんだよ。五月十五日。今度の金曜日が十七歳のバースディ!」
「へえ、多軌が……」
「十七歳か……」
ちょっとびっくりした。
同じ学校の二年五組に在籍する多軌透は、田沼とともに、人にあらざるものが見える、という俺の秘密を知っている人物だ。ただし彼女は俺や田沼とは違い、普段は妖怪を見たり感じたりすることはできない。けれど特殊な陣を描くと、その中に入った妖怪だけはその間姿を見たり話をしたりできる。
それが原因で妖ものに祟られて辛い思い、怖い思いをたくさんしてきているのだが、それにもかかわらず多軌は俺を気味悪く思ったり疎んじたりしなかった。ニャンコ先生の正体を知ってもなおかわいい、かわいいと猫かわいがりを続けているし、ちょび髭や中級たちともこだわりなく無邪気に、素直に接してくれる良い理解者だった。
そんな多軌の誕生日なら、俺からも何か贈り物がしたいな、と咄嗟に思ったのを西村は気がついた。
「だめだぞ夏目」
ジャラジャラつけたアクセサリーや髪飾りをテキパキと外しながら牽制してくる。
「どんなに訊かれても教えてやらん。何を選んだかは絶対秘密だ。今度は俺が勝つ! 絶対にだ!」
「わかったわかった」
苦笑して、じゃあな、俺たち飯食いにいくから、と別れたが、十歩と離れないうちに田沼がふふ、と笑った。
「どうしたんだ」
「いやあ、西村って本当に多軌が好きなんだな」
「ああ。でも多軌は全然そんなの興味ないらしいんだ。なんだか気の毒でさ」
「……ふうん」
俺の言葉にはなぜか曖昧に相槌を打つ。なんなんだ?と思ったけどフードコートは良い匂いでいっぱいであっと言う間にそっちに興味が行った俺は、それ以上そのことを考えることはなかった。
「ええ。そうよ。今度の金曜日」
一足お先に十七歳よ、と多軌は屈託なく教えてくれた。
だが次の質問、『何か欲しいものないか?』と尋ねると、急に様子が変わった。
「欲しいもの……」
シン、と静かになり目を伏せて考えている。
「それって……夏目君がくれるってことで考えて良いのかしら」
「ああ。なんでもいいぞ……って言いたいところだけど、あまり高いものは困るな」
多軌が宝石やブランドものを欲しがるようには思えなかったが、女の子だしかわいいもの好きだし、そんなに期待されても困るから一応冗談めかして予防線は張った。
ところが多軌は真剣な目で一心に何か考えている。
「多軌?」
「ああ、ごめんなさい。そうね……欲しいもの、あるって言えば、そう、ないこともないんだけど」
言っていいのかな、と迷っている。
「……いくらくらいの物なんだ」
恐る恐る尋ねた。すると。
「もの、じゃないの。こと」
「こと?」
「やって欲しいことが、あるの」
決心を付けたらしい。
顔を上げて俺をひた、と見た多軌の眼差しはとても綺麗できらきらしていた。
「どんなことなんだ?」
俺に頼むということは妖怪がらみかな、あまり大変なことじゃないと良いんだけど、と心配したのを見抜いたのか、多軌は最後にこう言った。
「大丈夫。妖怪とは全然関係ないことだから。でも今言ってしまうのは少し恥ずかしいからその日に、誕生日になったら言うわね」
その日、俺は田沼と隣町まで服を買いに行く、という珍しい行動に出ていた。
数日前、二人で他愛も無い話をしていたときに突然田沼が『夏目は自分の服は自分で買っているのか?』と尋ねてきたのだ。
『いろいろだな。ものによっては自分で買う。一緒に行ってもらうこともある』と俺は答えた。普段着ているシャツやジャージは塔子さんが見繕って買って来てくれるのだが、ちょっと改まった席で要る物や冬のコートなどは一緒に行って買ったし、肌着はなんとくなく気恥ずかしいので自分で買うことにしていた。
「田沼は?」
尋ねると、それまで全てお父さんに買って来てもらっていた、と言った。それで不自由もなかったし、自分で特にあれが着たい、これが欲しいと思うこともなかったりだそうだ。
『だけど、どこかの檀家さんにそれじゃいけないって言われたとかで……確かにそろそろ何でも父さんに頼るのはやめて、少しずつ自立しないといけないんだけど、どこで買えば良いのか、いくらぐらいするのか、何もわからなくてさ』
もし一緒に行ってくれたらありがたいのだが、との言葉に快く頷いた。
電車とバスを乗り継いで一時間弱。たどりついた、このあたりではそこそこ充実したショッピングセンターは、買い物を楽しむ人でなかなか賑やかだ。俺は田沼がポロシャツとパーカーを選ぶのを手伝い、ついでに自分の靴下を買った。それから腹が空いたので何か食うか、と二階のフードコートへ向かっていたのだが、そのエスカレーターの途中で突然田沼が今後にしてきた一階のフロアを指差した。
「あれ? あそこにいるの、西村じゃないか?」
「本当だ。……けど、あれ」
「何をしているんだろう?」
田沼の疑問はもっともだった。
西村は頭に髪飾りを三つもつけ、首にはネックレスをぶら下げ、全ての指に指輪をはめたけったいな姿で姿見を覗き込んでいたのだ。
「仮装の練習かな」
「……違うと思うぞ」
エスカレーターを降りた俺たちはどちらからともなく下りのエスカレーターに足を向ける。
あんな奇妙な格好の西村を放っておくのはなんだか心配だった。
西村悟は俺と同じ二組の生徒で、俺と正反対の性格をしている。明るくて好奇心旺盛で活発で、細かいことは気にしない。でもいくら物事を気にしない西村とはいえ、あれはまずい。だってほら、通りすがりのお客さんたち、みんな西村を避けて……
「にしむら?」
「お、夏目に田沼か。なんだお前たちもプレゼント買いに来たのか? ははっ、もう遅いぞ。一番は俺がもう選んじまったからな」
田沼と顔を見合わせた。
「誰の?」
「あ? 誰のって、何が?」
「いや。ほら、プレゼントって言っただろ? 今」
「誰かの誕生日か?」
「なんだ。知らなかったのか」
言うんじゃなかった、とぶつぶつ悔やむ西村にもう一度問いただすと、やや得意げに胸を張って教えてくれた。
「五組の多軌さんだよ。五月十五日。今度の金曜日が十七歳のバースディ!」
「へえ、多軌が……」
「十七歳か……」
ちょっとびっくりした。
同じ学校の二年五組に在籍する多軌透は、田沼とともに、人にあらざるものが見える、という俺の秘密を知っている人物だ。ただし彼女は俺や田沼とは違い、普段は妖怪を見たり感じたりすることはできない。けれど特殊な陣を描くと、その中に入った妖怪だけはその間姿を見たり話をしたりできる。
それが原因で妖ものに祟られて辛い思い、怖い思いをたくさんしてきているのだが、それにもかかわらず多軌は俺を気味悪く思ったり疎んじたりしなかった。ニャンコ先生の正体を知ってもなおかわいい、かわいいと猫かわいがりを続けているし、ちょび髭や中級たちともこだわりなく無邪気に、素直に接してくれる良い理解者だった。
そんな多軌の誕生日なら、俺からも何か贈り物がしたいな、と咄嗟に思ったのを西村は気がついた。
「だめだぞ夏目」
ジャラジャラつけたアクセサリーや髪飾りをテキパキと外しながら牽制してくる。
「どんなに訊かれても教えてやらん。何を選んだかは絶対秘密だ。今度は俺が勝つ! 絶対にだ!」
「わかったわかった」
苦笑して、じゃあな、俺たち飯食いにいくから、と別れたが、十歩と離れないうちに田沼がふふ、と笑った。
「どうしたんだ」
「いやあ、西村って本当に多軌が好きなんだな」
「ああ。でも多軌は全然そんなの興味ないらしいんだ。なんだか気の毒でさ」
「……ふうん」
俺の言葉にはなぜか曖昧に相槌を打つ。なんなんだ?と思ったけどフードコートは良い匂いでいっぱいであっと言う間にそっちに興味が行った俺は、それ以上そのことを考えることはなかった。
「ええ。そうよ。今度の金曜日」
一足お先に十七歳よ、と多軌は屈託なく教えてくれた。
だが次の質問、『何か欲しいものないか?』と尋ねると、急に様子が変わった。
「欲しいもの……」
シン、と静かになり目を伏せて考えている。
「それって……夏目君がくれるってことで考えて良いのかしら」
「ああ。なんでもいいぞ……って言いたいところだけど、あまり高いものは困るな」
多軌が宝石やブランドものを欲しがるようには思えなかったが、女の子だしかわいいもの好きだし、そんなに期待されても困るから一応冗談めかして予防線は張った。
ところが多軌は真剣な目で一心に何か考えている。
「多軌?」
「ああ、ごめんなさい。そうね……欲しいもの、あるって言えば、そう、ないこともないんだけど」
言っていいのかな、と迷っている。
「……いくらくらいの物なんだ」
恐る恐る尋ねた。すると。
「もの、じゃないの。こと」
「こと?」
「やって欲しいことが、あるの」
決心を付けたらしい。
顔を上げて俺をひた、と見た多軌の眼差しはとても綺麗できらきらしていた。
「どんなことなんだ?」
俺に頼むということは妖怪がらみかな、あまり大変なことじゃないと良いんだけど、と心配したのを見抜いたのか、多軌は最後にこう言った。
「大丈夫。妖怪とは全然関係ないことだから。でも今言ってしまうのは少し恥ずかしいからその日に、誕生日になったら言うわね」