プラネット・テラー
ロロノア・ゾロがこれまた趣味の悪い、男女もしくは男同士女同士が交わりあっている壁画を横目に階段を降りると、フロアの熱気は最高潮というところまで高まっていた。耳をつんざく、挑発的な音楽。脳みそを揺さぶる照明。そのど真ん中で踊っている影は、蝶よりも掴みどころがなく、猫よりも滑らかに動き回っている。
「もう終いだぜ。タイミングが悪かったな」
バーカウンターでバーボンを頼むと、厳ついバーテンがニヤニヤと笑いながら言った。眉を潜め、代金をカウンターに放り投げる。
「金はいらねえって」
「いいんだ。取っとけ」
「じゃあ……」
どう考えても金の行き先はバーテンのポケットだったが、それもいいだろう、とゾロは酒を煽った。
ステージでは、ゴーゴーダンサーが片手だけでポールに掴まり、長い足を片方だけピンと上げ、ゆっくりと上体を反らせている真っ最中だった。無論それは周りに群がっている客たちの情欲を煽るためのポーズなのだが、ゾロにとってそれはただ単に、"片手だけでポールに掴まり、長い足を片方だけピンと上げ、ゆっくりと上体を反らせている"ポーズでしかない。
ゴーゴーダンサーは、ぴったりとした革のズボン(とても蒸れそう)に、下の肌が完全に透けるショッキングピンクのシャツ(当然ボタンなど無い)、片手にはかなり大きめのアメリカンポリスの制帽(多分被ると顔の半分がすっぽり隠れるのだろう)、それに男なのに真っ赤なハイヒールを履いていた(足元だけ女物、というのが変態のツボなのかもしれない)。しかしそれもゾロにはどうでも良いことだった。
ゾロがかつて恋焦がれ、心の底からその身体も精神も全て欲しいと思ったのは、たった一人、そう、たった一人だけなのだ。
そしてそのたった一人は、ある日突然ゾロの目の前から姿を消してしまった。『Bye Bye Baby』の書置きと、冷めた朝食だけを残して。
エキセントリックなライトが、まるでサブリミナルように切れ切れにダンサーの姿を照らしている。小さな丸い頭が、ゆっくりとゾロの方に向けて傾いていく。そう、ゆっくり、ゆっくりと――。
忙しなく色を変えるライトは、ゾロに見ることを放棄させていた。瞼を閉じずとも機能を止めた目の代わりに、耳が働き始める。4次元の世界へ。耳殻からモゾモゾと入り込んだ小人が、外耳道をすり抜け鼓膜を突き破り、蝸牛の中をグルグルと滑り落ちてやがて脳みそへと至る。そして、喧しく発掘を始めるのだ。記憶の中の声を。
『なりたいものがたくさんあるんだ。つまり、俺は何にもなりたくなんてねえのさ』
『無駄な特技32。人生、無駄なことばっかりだぜ。俺も、お前も』
『楽に生きろよ。どうせ一度きりの人生だ。次に後悔する人生もねえ』
小人がザクザクとゾロの脳みそを掘り返している。
『もし俺がお前の前からいなくなったとして、お前は俺を探し出せると思うか?』
そのとき、パタ、と音楽が止んだ。いやその前に、照明が落ちたのだ。麻薬のようなチカチカが止み、店内は真っ暗闇へ。音楽の代わりに、客たちのざわめきが広がる。
「クソ! 死に晒せ!」
誰かがそう叫んだ途端、ぱ、と電気が点いた。ただし、学校だとか市役所だとかとそう代わりのない、白色灯が。
ファック、とそこら中で吐き捨てられる中で、ゾロはたった一人と見つめ合っていた。たった一人。そう、たった一人と。