Melty poison@Valentine(ディスジェ)
扉の前で深呼吸。自分の鼓動も、先程のサフィールと張れそうなくらい息苦しくなっている。そっち方面に関しての知識がまず足りないのだが、ノリと勢いで、何とかするしかないだろう。
(勢い。勢いか……どこまでやるのか分からないが、途中で我に返ったら、確実に死ぬ)
ジェイドは、サフィールに渡したチョコレートの残りを全て口に入れた。サフィールもこのくらい食べてああなっていたのだ、これでおあいこだ。
「っ……サフィール!」
ジェイドは男らしく扉を蹴り開けた。そしてまずは、男らしく告白するのだ。
後は手を握るところから始まってそっと抱擁、本当はデートとか両親への挨拶とか色々あるのだけどそこは仕方がないから後回しにするとして、見つめ合って、指を絡めて、口付けを交わして、それから……
その先を想像すると、まだ何もしていないのに身体が熱く火照ってしまう。口から心臓が飛び出そうで、怖いのか期待しているのか、そんな自分が恥ずかしくて堪らない。
しかし、今日こそ先に進まなければ。普段言えない想いを伝える、特別な日の筈だ。
ジェイドはベッドに丸まる背中を睨み付けた。
そして、びしっと一息に、精一杯の想いを告白した。
「お前のことは今はそこまで嫌いではないですし、どうしてもというなら少しだけ遊んでやっても構いませんが。但し時間を煩わせないで下さいね、一時間三万ガルド、延長三十分は二万ガルドです」
「……………………」
(さあ返答は!?)
ジェイドはサフィールに更に鋭い視線を送る。
暫しの沈黙の後。
「…………………………くかー」
「…………」
サフィールは、ベッドの上で既にいびきをかいて眠りこけていた。
「っ…………」
ジェイドは、もしもの時にと持ってきたローションをサフィールの眼鏡に塗りたくった。
(馬鹿が! この私が! 馬鹿で鼻垂れでゴキブリ●●のお前の相手をしてやろうと言ってるのに!)
サフィールの枕を奪ってべしべしと殴ってみるが、やはりサフィールは起きはしない。無駄にいびきが大きくなるだけである。
「ぐぅー……」
(…………)
サフィールはこちらの気も知らず、すやすやと穏やかな顔で眠っていた。
(さっきまでは、危険人物だったくせに……)
ジェイドは長い息を吐いた。とりあえず、彼が落ち着いたのならよかったじゃないか。その上、自分の貞操も守られたのだから、一番穏便な解決だ。
やはり未知への恐れもあったのだろう。ジェイドの手は震えていて、気が抜けた瞬間にまた力も抜けていた。
ふと目線をずらすと、ベッドの脇に睡眠薬が置かれていた。そして理解する。自ら、無理やりに眠りに着いたのだろう……ジェイドに、これ以上妙なことをしでかさない為に。
「……起きたら、覚えていなさい」
呑気な頬を指先でつつく。寝顔は子供みたいで、在りし日を思い出させた。何も急ぐことはない。自分達は、どうせ、断ち切れぬ腐れ縁で結ばれていたのだった。
そしてジェイドは現れた薬の効果にのたうち回り、自棄になってサフィールの睡眠薬を酒で流し込んでふにゃふにゃと彼の寝るベッドに崩れ落ちた。そこから先の記憶はないので、大人しく寝たと思いたい。
翌朝。サフィールは目を覚まし、真横でジェイドの寝顔を見て飛び起きた。
まさか、本当に何かしてしまったのだろうか。何も覚えてないのだけど勿体ない、いやそんな酷いことを。頭が混乱して、起きたばかりなのに軽い眩暈に襲われる。
とりあえず、互いの身体を確認する。ジェイドは服を脱いではいないし、こちらも乱れていない。特に何の痕跡もなければ、周りに妙な汚れもない。
(……寝ただけか?)
額を抑えて、息を吐いた。大丈夫だ、寝ただけだ、そういう事にしておこう。眼鏡がべたべたになっているのが不思議だが。
昨日はどうかしていたのだ。ジェイドから憧れのプレゼントを貰い、頭が沸騰していたのかもしれない。恐ろしいことだった。大切な親友に対し、あんなやましい目を向けるなんて。
彼には軽蔑されただろう。何の抵抗もしなかったのは、怯えていたのだ、きっと。表情が硬直しきっていたし、怖くて身体も動かなかったのだ。なんて可哀想なことをしたんだろう。ジェィドのことはずっと好きではあったが、昨日のような欲望は抱いたことはなかったつもりだ。神聖で尊敬すべき親友だった。それが何だ。昨日のあれは、最低じゃないか。
見た目は前から綺麗だと思っていたが、あの時は目線が違っていた。肩を抱かれ、ふわりと香った髪の甘い香りに、頭が炎に包まれた。彼へ向ける神経に、全てが支配されたようで、服越しに伝わる柔らかな肌も、中性的な美貌も、蟲惑的な紅の瞳も、昔と変わらぬ白い肌も、何もかもが自分を刺激して、身体の血が滾って、疼いて仕方なかったのだ。
赤い唇が無性に気になって、どうにかしてしまいたかった。あの時、その後の恐ろしい報復が頭に浮かばなければ、どうにかなっていたに違いない。「どうぞ」と言われたのは「後で覚えておけ、地獄の苦しみをフルコースで味あわせてやる」という暗喩なのだろう。危なかった、今度こそ殺されるところだった。
サフィールは、改めてほっと胸を撫で下ろす。
……いや、あれで充分殺されるに値する狼藉を働いてしまったのではないか。何故ここにいるのかは分からないが、寝ている今のうちに逃げようか。土下座して許してくれるジェイドなら死霊使いなどと呼ばれていない。
サフィールは、そっと音を立てないようにベッドから降りた。しかし何故かつんのめり、頭から転びそうになった。
何とか堪え、恐る恐る振り向く。見ると、サフィールのシャツの端を、ジェイドがきつく握っていた。
(…………!? ちょ、ちょっと!!)
慌てふためくが、シャツを引っ張っても離して貰えない。どれだけ強く握っているのか、指を解こうとしても石のように固く、サフィールは結局解放されなかった。
まさか起きているのかと疑って、顔を近づけてみた。
見つめること三分。静かな寝息がずっと続いている。
(…………寝顔は可愛いのに)
仕方がないので、普段見れない寝顔を、まじまじと観察してみる。黙っていれば優しそうな、可愛い顔をしているのに。ずっと黙っているジェイドはそれはそれで嫌な予感がするけれども。
昨日のあれは、なんだったのか。思い出すだけで、胸が熱くなる。また、あんな風に自分が壊れてしまうことがあったら。
(もしかして、私はジェイドのことを本当に……)
「本命だったら」という彼の言葉が頭を過ぎった。今までは考えたこともなかったし、恋愛対象は女なのだろうと思ってきたが……もしもそうなったら、世界の見方が変わると思った。多分、きっと嬉しい。自分もそうなるように努力しよう。そして一生彼を守ってやりたい、と。ジェイドが機嫌を損ねた意味、チョコレートをくれた意味を、ちゃんと考えてみるべきかもしれない。
そういえば幼い頃、結婚すれば一生一緒に居られるのだと思って、何も考えずにプロポーズしたことがあったような。
(ジェイドなら……特別だなぁ)
作品名:Melty poison@Valentine(ディスジェ) 作家名:糸こん