サメと人魚
Call
期末テストの期間が終了すると、通常通り一日しっかりと授業が行われるようになった。
休止されていた部活動も再開された。
けれども、期末テストまえと比べると、学校内の雰囲気はどこかゆるんでいるように感じられる。
遙は板張りの廊下を歩いていた。
三階にある二年一組の教室を出て一階へと向かっている。
手には岩鳶高校指定のカバンを持ち、首にはマフラーを巻いている。
今日は水泳部の活動はないので家に帰るつもりだ。
「あー、ハルちゃん見つけたぁ!」
昇降口の下足場で靴を履き替えたあと少し進んだところで、うしろから明るい声が聞こえてきた。
遙はさすがにちょっと眼を大きくしたものの、たいして表情を変えずに足を止めた。
そこに、渚が走ってくる。怜も一緒だ。
渚が天真爛漫な笑顔を遙に向けた。
「一緒に帰ろ!」
「ああ」
遙はうなずいた。
そして、渚や怜とともに歩き始める。
屋内から出ると、風の冷たさに肌がざわめくのを感じた。
寒いのは嫌いというほどではないが好きではない。その一番の理由は外で泳げないからなのだが。
「さっき、マコちゃん見かけたよ」
「な、渚君、その話はちょっと」
渚が真琴の話をし始めたのに対し、なぜか怜はあせった様子になる。
「ああ、真琴はなにか用があると言ってたな」
放課後になってすぐ、真琴は用があるから先に帰ってほしいと遙に言ったのだった。
なんの用なのかは、真琴は言わなかったし、遙も聞かなかった。
よく一緒に登下校しているが家が近所だからであって、一緒に登下校することにこだわっているわけではない。
ただし、単に進む方向が同じだから一緒にいるというわけでもなかった。
真琴は一緒にいて楽なのだ。長い付き合いの幼なじみだからだろう。
「マコちゃん、一年の女の子に告白されてるっぽかったよ」
渚はクリクリした眼をいたずらっぽく輝かせた。
「ああ、もう、渚君、そんな話しなくてもいいのに……」
一方、怜はなぜだか気まずそうな顔をしている。
真琴の用とはそれだったのかと、遙は思った。
おそらく、渚たちが見かけた女子生徒に手紙かなにかで呼び出されたのだろう。
岩鳶高校の正門から遙たちは出た。
「マコちゃん人気あるからね。でも、あんなウワサがあるから、いつもなら、告白はあんまりされないみたいだけどね」
「あんなウワサ?」
「マコちゃんはだれにでも優しいから勘違いしたらダメっていうやつ」
「ああ、たしかにな」
「遙先輩、そんなにきっぱりと認めなくても……」
「だけど、今は、ほら、クリスマスが近いからね。クリスマスをマコちゃんと一緒にすごしたくて、イチかバチかって感じなんじゃないかな。駆け込み需要ってやつだね!」
「いや、渚君、それはちょっと違う気が」
「ええー、いいじゃない、そーゆー感じのノリってことで!」
「そんないい加減な」
「それで、ハルちゃん、ハルちゃんはどう思う? マコちゃんが告白されてること」
そう渚から聞かれて、遙は戸惑った。
「どうって、別に」
「もしマコちゃんがOKしたら、マコちゃんがハルちゃんと一緒にいる時間がかなり減ることになるんじゃないかな。それでもいいの?」
「別にかまわない」
「でもさ、ハルちゃん、さびしくない?」
その渚の問いかけに対し、遙は即答できなかった。
真琴に彼女ができれば、その彼女と過ごすことを優先するだろうし、そのぶん、遙と一緒にいる時間は大幅に減るだろう。
これまであたりまえのようによく一緒にいた相手だ。
だから、一緒にいる時間が減れば、やはりさびしく感じるだろう。
けれども。
「別にかまわない」
遙はさっきと同じ回答をした。
「ふーん」
なにか思うところがあるような表情で渚は微妙な相づちを打った。怜もなにかを考えている様子だ。
しかし、すぐに渚の表情は変わった。
「あっ、じゃあ、ここで!」
岩鳶高校のある岩鳶町に住んでいる遙と違って、渚と怜は電車通学しなければならないところに住んでいる。
岩鳶駅に向かう渚と怜とは道がわかれる地点まで来ていた。
「じゃあね、ハルちゃん」
「それでは失礼します、遙先輩」
明るく手を振る渚と生真面目に挨拶をする怜に、遙は軽くうなずいて見せた。
それから、別々の方向に歩きだした。
だが。
「ハルちゃん!」
すぐに渚が声をかけてきた。
遙はそちらのほうを向く。
すると、渚は忘れ物を思い出したように言う。
「さっき、マコちゃん、申し訳なさそうな顔してたから、たぶん、断ってたんだと思うよ」
一年生の女子生徒に真琴が告白されていたらしいことについてだろう。
「それとね、たしかにマコちゃんはみんなに優しいけど、ハルちゃんには特別優しいと思う」
渚はじっと遙の眼を見ている。
しかし、遙はなにも返事せずにいた。
渚はニコッと笑う。
そのあと、渚はふたたび岩鳶駅のほうへと身体の向きを変えて歩きだした。ほんの少し遅れて、同じように怜も歩きだす。
だから、遙は自宅のあるほうへと歩きだした。
神社へと続く石段を遙はのぼっていく。
数えきれないぐらい、のぼったりくだったりしてきた石段だ。
途中で白い猫が悠然と歩いているのを見かけた。真琴なら、すかさず猫のほうへと近づいていっただろう。
しばらくして、遙は左に曲がり、まだ続いている石段から離れた。
正面に自宅の玄関が見える。
石畳の道を進み、郵便受けの中を確認した。
ダイレクトメールのハガキとA四サイズの茶封筒が入っていた。
それらを遙は手に取った。
ダイレクトメールは興味がない物だった。
だが、茶封筒は気になった。
最初は郵便物かと思ったが、茶封筒には宛名もなにも書かれていない。
どうやら、送り主が直接この郵便物に入れた物であるようだ。
封もされていない。
遙は玄関の戸へと近づいていきつつ、茶封筒の中に入っている物を取りだす。
写真が何枚か入っていた。
そこに写っているものを見て、遙は眼を見張った。
写っているのは、遙だ。
しかし、撮られた覚えのないものばかりである。
写真の中の自分も、カメラをまったく意識していない様子だ。
隠し撮りされたものであるらしい。
なんだ、これは。
そう思った遙は、写真以外の物があるのに気づいた。
二つ折りにされた真っ白い紙。
それを開き、二つ折りにされていたときは内側になっていて見えなかった面に眼をやる。
PCで打たれたらしい字で書いてある。
遙ちゃん、君のそばにいるよ。
その文章を読んで、遙のいつもの無表情がわずかに揺らいだ。
自分の顔が強張るのを感じた。
遙は写真と白い紙を茶封筒の中にもどした。
玄関の戸の鍵を取りだして解錠し、戸を開けて家の中に入る。
中に入るとすぐに戸を閉めて鍵をかけた。
廊下を歩き、少しして、居間に入った。
障子をピシャリと閉める。
手から自然に岩鳶高校指定のカバンが畳へと落ちた。
ダイレクトメールと茶封筒を居間の中央にある机へと投げだした。
ふと、テレビのほうを見た。
テレビ台には、いつも存在を忘れがちな携帯電話が置いてあった。
遙はそちらへと近づく。
携帯電話を手に取った。
なにも考えないまま、手が動く。
電話をかける。
呼び出し音が聞こえてきて、やがてそれが途切れた。
しかし、つながったのは留守番電話サービスだった。