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サメと人魚

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用件があれば伝言を残せと言っている。
甲高い発信音がした。
遙の口が動く。
「学校から家に帰ったら、郵便受けに封筒が入っていた。封筒の中に入っていたのは、隠し撮りされたらしい写真と、君のそばにいるって書いてある紙だ。気持ちが悪い」
感情のこもらない声で事実を言った。
言い終わると、ほんの少しだけ気が楽になった。
遙は電話を切り、携帯電話をテレビ台の上に置いた。
それから、部屋の中が暗いことに気づき、机の真上にある灯りをつける。
寒さが寄ってきて身体を駆けあがっていくのを感じて、部屋の暖房をつけた。
そのあと机の近くに腰をおろした。



呼び鈴が鳴らされている。
それも、何度も、激しく鳴らされている。
遙はハッと眼をさます。
いつのまにか、机に腕を置き、そこに突っ伏して寝ていたのだ。
机の近くに腰をおろしたあと、なんだか疲れが一気に来たような感じになって、寝てしまったのだった。
「ハル!」
外から呼ぶ声も聞こえてきた。
あせっている声。
遙は立ちあがった。
「ハルッ!」
せっぱ詰まった声と戸を激しく叩く音が聞こえてくる。
遙は居間から廊下に出て、玄関へと進んだ。
土間へおり、玄関の鍵を解錠する。
引き戸を少し開けたところで、向こうから出てきた手がその引き戸をつかんで勢いよく開けた。
凛が立っている。
その姿を見て、どうして凛が電話に出なかったのかがわかった。
髪が乱れている。
濡れているのを乾かさないまま来たらしい。
服装は鮫柄学園の制服だ。
授業のあと水泳部に行き、鮫柄学園の屋内プールで練習をして、それが終わって、ロッカー室に置いていた携帯電話を見て、留守番電話を聞いて、大急ぎでやってきたのだろう。
凛は遙を見て少し息をついた。ほっとした様子だ。
けれども、すぐにその表情が厳しくなる。
「電話で言ってた写真とかは?」
「居間にある」
凛の質問に答えたあと、あの茶封筒の中身を思い出し、遙は凛に向けていた顔を少し違うほうへ向けた。
自分の表情が変わったのを感じたからだ。
凛はなにも言わずに家の中へ入ってきた。
そのまま、居間へと歩いていく。
遙は凛のあとをついていく形になる。
居間に入ると、凛は机に投げだされていた茶封筒をつかみあげ、中に入っている物を取りだした。
写真を見て、不愉快そうに眉根が寄せられた。
その表情はどんどん険しくなっていく。
特に、白い紙に書かれた文章に眼をやった直後はひときわ険しくなり、歯を強く噛みしめているようだった。
激怒しているらしいのが伝わってくる。
そんな凛の様子を遙が無言で眺めていると、凛は少し我に返った顔になり、遙のほうを見た。
まだ顔に鋭さを残したまま凛は言う。
「もしこんなのがオレのところに来たら、オレだって気分が悪くなる」
それを聞いた直後は、凛がなにを意図してそう言ったのか、遙はわからなかった。
だが、ほんの少しあとに、わかる。
留守番電話にああいう内容を残したことを気にするなと言いたいのだろう。
気遣ってくれたのだろう。
水泳留学を終えて帰国して再会した凛は留学まえとは雰囲気が変わっていて、その優しさがわかりづらくなった。
だけど、優しいのには変わりない。
凛は写真と白い紙を無造作に茶封筒へと入れた。
「警察に行くぞ」
そう凛は遙に告げると、身体の向きを変え、居間の出入り口のほうへ行こうとする。
しかし、遙は足を動かさずにいた。
口を開く。
「来てくれるだろうって思っていた」
広い背中に話しかける。
「おまえは絶対に来てくれるだろうって思っていた」
凛は歩く足を止めた。
けれども、ふり返らない。遙のほうを向かない。
「こういうのが来て心細くなるのはわかるが、誤解されるようなこと言うんじゃねぇよ」
ぶっきらぼうに凛は言った。
その強く張った背中に、遙はまた話しかける。
「おまえの言ったことの意味が、やっとわかった。なんで、祭の日の帰りに、送ってくれなくてもいいって言ったのに、家まで送ってくれたのか、わかった。スポーツショップの近くで道案内してくれって言ってきたふたりを、なんで、おまえが追い払ったのかも、わかった。なんで、おまえが怒っていたのかも、わかった」
留学まえとは様子が変わった凛は、いろいろとわかりづらくなった。
だから、わからなかった。
「このあいだの期末の英語のテスト、これまでぜんぜんわからなかったのが嘘みたいに解けた。長文問題も、なにが書いてあるのかだいたいわかった」
でも、本当は少しは伝わっていた。
「おまえ、護ろうとしてくれてたんだな」
寒い夜にも、疲れているだろうに、仕事でもないのに、それでも勉強を教えにやってきた姿を見て、はっきりとは気づかなかったが、心に伝わってはいた。
「大切にしてくれてたんだな」
告白されたとき、仲間以上には思えないと断った。
あの時点では本当にそう思っていた。
少し伝わってきてはいたのだが、それに気づいていなかった。
「おまえに電話したのは、だれに電話すればいいのかとか考えたからじゃない」
今になってみれば、鮫柄学園にいる凛よりも、岩鳶高校もしくはその周辺にいただろう真琴や、岩鳶駅で電車を待っていただろう渚や怜のほうが近くにいたのだから、彼らに電話すれば良かったのだろうと思う。
状況を話せば、きっと彼らも来てくれただろうと思う。
だけど。
「あのときは、気が動転していて、なにも考えられなかった」
あのときのことを思い出す。
「なにも考えずに、手が勝手に動いて、おまえに電話していた」
留守番電話につながって、今度は口が勝手に動いた。
なにが起きたのかを話した。
あれは。
あのとき、本当に言いたかったのは。
「会いたかった。今すぐ、おまえに会いたいと思った」
会いたい。今すぐ、会いたい。
そう思った。そう言いたかった。
けれども、さすがに、それを留守番電話に伝言として残せなかった。
「おまえに来てほしかった」
以前に凛から電話がかかってきたときに、煮物を作ってる途中だったのを忘れていて台所から焦げてるにおいがすると言うと、凛は駆けつけてこようとした。
自分の命を最優先しろとも凛は言った。
だから、駆けつけてきてくれると信じた。
でも、絶対に駆けつけてきてくれるだろうから電話をしたわけじゃない。
「おまえに来てほしかったから、電話した」
駆けつけてきてほしかった。
凛に。
だから、さっき玄関の戸を開けた向こうに凛が立っているのを見て、留守番電話を聞いてすぐに駆けつけてきてくれたのがわかって、胸を打たれて、同時に、胸がじんわりと温かくなった。
嬉しかった。
凛が動いた。
ようやく、身体ごとふり返った。
真剣な表情を遙に向ける。
探るような鋭い眼差し。
それを遙は受け止めて、見返す。
じっと凛を見る。
胸の中で心臓がいつもよりも強く打っている気がする。
凛の身体がまた動く。
足を踏みだした。
近づいてくる。
遙は無言で立ったままでいる。待っていた。
距離が詰まる。
もう、すぐそばまで来ていた。
凛が右手をあげた。
けれども、その手の動きが止まる。
「……あとで」
話し始めの声はかすれていた。
「あのときは気が動転していただけだったとか言うの、無しにしてくれよな」
作品名:サメと人魚 作家名:hujio