君と過ごす何気ない日常
雨の中の君
※シンジ君ちょい病みぎみ
それは、久しぶりに降った、冷たい雨の日の事。
夕飯の準備をしていた僕の耳に、軋む音が届いた。
振り返り見てみれば、台所の入り口、玄関から延びる廊下の終わりに彼が立っていた。
ずぶ濡れで、髪が顔を覆い隠している。その為彼の表情が見えなかったのだけれど、辛うじて見えた唇が紫色になっているから驚いて、僕は慌てて彼の元へと駆け寄った。
どうしたの、何かあったの。
いろんな言葉を掛けながら、とりあえずお風呂に入ってきなよと風呂場へ向け彼を押す。でも彼の足はそこに根を張ったかのように動かない。
本当に、どうしたの。
このままじゃ、風邪ひいちゃうよ。
不安になって、震えだす声のままに呼びかけ続ければゆっくりと、彼の顔が上がり濡れた前髪の後ろに彼の、表情が覗いた。
見た瞬間、目を見開く。
何で今にも泣きそうな顔、してるの。
分からなくて、小さな声で彼の名を呼んでみた。そうすれば、視線を移ろわせた彼が消えそうな声で、服、と答える。服、って何。着替えたいって事?
考えながらもう一度彼の名を呼ぶ。と、やはりまた、服、と答える。
意味が分からないが服、と言われるそのままに彼の衣服を見下ろした。すると、不自然に膨らんでいる腹部部分に気が付き、眉を寄せる。
パーカーの内側。何かを抱えているらしく、彼の腕が袖を通ってない事に今、気が付いた。何かを抱えている。それだけで何となく、察してしまう。もしかして、という懸念を飛越し確定に。
何も言えなかった。
泣きそうな彼の、頭に手を伸ばし手前へと引いて、僕の肩へと押し付ける。ひっ、という息を吸う音が聞こえた。鳴き声だろう。溢れだした涙かそれとも濡れた髪から滴る雨水か。濡れ行く肩を気にもせぬまま僕は、彼を抱きしめた。
どうして彼は、なんでもかんでも手を伸ばすのだろう。
彼は僕に、「君は優しすぎる」と、いう。
でも違う。本当は、僕よりも彼の方が優しい。
僕は、その時目の前にあるモノの為にしか感情を動かせない。
一歩でも離れてしまえば、例えば暫くは後ろ髪惹かれる事もあるだろうけど忘れるのも早い。一番性質が悪いのは、その場で動かされた感情で行ってしまう施し。これは何度も彼に窘められた。言われてみれば確かに、すぐに忘れてしまう存在に一時の温もりを与えるのは酷なのかもしれない。
対して彼は、彼が引いた線の外側にあるものにはとても淡々としてるが一歩、内側へ入る事を許したものに対して心を砕く。
広く浅くの僕と、狭く深い彼。
どちらがいいのかなんて分からないけれど、喪失の痛みはきっと、彼の方が強く感じてしまうだろう。だから野良に目を向けるなと言っているのに。
彼の服の内側に居るのは、大きさからして子犬か子猫。可哀想だと思う。幼い命を孤独の中散らすそれらに憐れみを覚える。でも、それ以上に涙する彼が可哀想だと思った。
痛々しくも哀れでそして、――― 綺麗だと。
消えゆく命を憐れみ嘆く彼の、痛みを耐える姿はとても、綺麗だ。
透明な涙をこぼす彼。
そんな彼を腕に抱き、包み込む僕は酷いやつなのだろう。
だって今、僕は笑っている。
笑っているんだ。
嗚呼、美しい人。
世界中の誰より何より美しいと思う彼が、痛みを癒すために僕に縋り付く。
肉欲を抱かれるのも喜ばしい事実だが、それ以上に、心の平穏を取り戻す為に求められ縋られる。
これ程の喜びは無いのではないだろうか。
そうとすら思った。
1013/10
作品名:君と過ごす何気ない日常 作家名:とまる