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君と過ごす何気ない日常

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涙の訳を知らぬ僕は


※「雨の中の君と対」




 それは、ふらっと散歩に出た時の事だった。
 にゃぁ、と言う鳴き声につられ目を向ければ空地の草叢の中、猫が数匹。母親らしき親猫と子猫が数匹塊になって寝転がっていた。
 野良猫か。嫌なものを見たな、そんな思いで早々に視線を剥がすと台無しにされた気分のまま帰路に着いた。
 翌日、やはり散歩に出たら猫の鳴き声がして自然とそちらへ顔を向けた。反射に近い反応だったのだと思う。見たいと思ってはいなかった、寧ろ見たくないと思ったから。そうして意識外で見てしまった猫たちは、昨日と同じで母親猫と子猫たちがもっさり。
 にゃうにゃうと煩く騒いでいるのを見て、顔を顰める。
 多分、あの子が見たら真っ先に突っ込んでいき手にしている何かしらの食べ物を落としていくのだろう、そんな勝手な想像をして更に顔を顰めてしまう。あの子は情を振りまきすぎる。目の前に弱い生き物が現れると即座にそこへ突進していってしまう。何ができるわけでもないのに。僕が何度言って窘めても聞きやしない。
 まぁそこが良いと言ってもいいのかもしれないけれど、その分僕が蔑ろにされるのは不愉快だった。
 別に今、あの子がこの猫たちに構っているわけでもないのに一人、不快感に襲われやっぱり顰めた顔をそのままに帰路に着いた。
 二日後。
 同じ道を歩く。
 今日は買い物を頼まれた。僕が「ねぇ、これ食べたい」とテレビを指しながら強請った料理、それが中々に手間のかかるものだったらしくあからさまに『面倒くさい』と言った表情を貼り付けたあの子がそれでも「なら買い物宜しくね」と買い物リストを手渡して来たのだ。
 嫌な顔しながらも作ってくれるあの子の優しさが大好き。
 そんな訳で僕は足取りも軽くその道を歩いていた。
 そして、聞く。
 にゃぁ。
 途端、顔を顰めてみせた。
 でもふと、違和感を覚える。
 声が、少ない?
 いやいやだったけどそちらへと顔を向けてみればなるほど、母親が居ない。エサを取りに行っているのだろうか。分からないが、子猫の数も数匹、減っていた。
 何があったのか分からないけれど、嫌な気分を抱いた。だからという訳ではないが、逃げるようにそこから離れ、帰り道は別のルートを利用した。
 その日の夜、あの子が作ってくれたその料理はとてもおいしくて、僕は始終笑顔が絶えなかった。それはあの子も一緒で、おいしいおいしいと繰り返せばあの子は嬉しそうにふわりと笑ってくれるのだ。
 それが、嬉しい。
 嬉しさついでにその夜、あの子を両腕にぎゅうぎゅうと抱きしめて眠りに就いた。
 苦しいうざい邪魔眠れないとあれこれ言われたけれど、聞こえないふりで眠った。最後はあの子も諦めて、静かに眠りの中落ちて行った。
 翌日、目覚めた時からずっとご機嫌だった僕はその気分のまま散歩に出る。途中、近所のおじさんに声を掛けられ手を貸せと呼ばれた。なんだなんだと戸惑うままに庭に入り、その奥に広がる畑より芋掘りを手伝わされ予想もしていなかった重労働を強いられ半泣きになったけれどそれでも、お礼と言って手渡されたサツマイモが光って見えた僕は何度もお礼を告げ駆け足で家へと戻った。
 これを早く、あの子に見せたい。見せて、喜んでもらって、褒めてもらったうえで一緒に食べたい。食べたら、あの子に内緒で芽の部分を土に植えておこうそうしよう。
 やっぱり、一緒に食べた焼き芋は美味しくて、ちょっぴり涙が滲んだ。
 それから数日後、散歩に出た。
 しばらく歩いて、ふと、気になって足を止めた。そのまま振り返る。見つめたのは既に通り過ぎた空地。そこには、確か猫たちが居たはずなのに。静かなその場所に違和感を覚えた。もしかしたら優しい人や猫好きな人が飼うために連れて行ったのかもしれないのに、どうして僕は、足を。

 そして、戻って見遣った先には。


 別に、面倒を見たわけでもない。
 ただ、視界の隅にいれていただけの存在。
 それでも、何度も耳にし視界に収めたそれら。
 母猫はいなかった。
 子猫もいなかった。
 ただ、一匹。
 その一匹が、横たわっていた。
 どうして。
 なんで。
 やせ細り、くすんだ色の毛を纏うその子猫。
 ただの、子猫じゃないか。
 僕には関係ない、唯の、猫。

 空が陰り、細い涙を零し始めても僕は、そこから動けずぼうっと突っ立ったまま、空地の草叢を見下ろしていた。
 動く気になったのはどのタイミングだったのか。
 子猫が濡れて、毛がびっしょりと水分を含みそれが弾かれる事無く地面に滴り落ちてゆくのを眺めていた僕はふと、その存在に両手を伸ばし衣服の下に収めた。そんな事をしていったいどうすると言うのか。分からないけれどそうしたかった。そうしてあげたかった。もうこれ以上、冷たい雨に晒しておきたくなかった。
 濡れる髪をそのままに空を仰ぎ、ややしてから帰路に就く。
 ただいま、を言う気力もないままに廊下を進めば台所で料理中だったあの子が驚きに目を丸くさせた。顔を覆う前髪の隙間から見ていた先のあの子は顔を青くさせ駆け寄ってくる。
 ごめんね。心配させたいわけじゃないんだ。でもね、言葉が上手く紡げないんだ。
 どうしてかな。
 わからない。
 本当に、ごめん。
 ただ、泣きそうに顔を歪めるあの子が愛おしくて、心配されていると言う事が嬉しくて、どうにか、何かを伝えないと、と思ってやっと出た声が、

「…服…」

 それだけだった。
 服に、服の下に、ねぇ、この中に、小さな小さな亡骸が。
 すると、何かを察したらしいあの子が痛みを覚えたような表情を一瞬見せその後、僕の身体を引き寄せ緩く、抱いてくれた。暖かな首筋に僕の冷たい髪や顔が触れる。このままでは彼まで冷えてしまう。そう思うのに離れるなんて事は浮かばなかった。離れたくない。このまま触れていたい。この温もりをもっと強く深く確かめさせて。
 彼の優しい温度に触れ漸く、目頭が熱を持った。
 あ、と思った時には喉が引き攣り嗚咽が漏れる。
 何の繋がりもない命に涙する僕を、優しく包んでくれる彼。彼が今癒そうとしているのは服の中に在るのだろう魂なのかそれとも、僕自身なのか。
 分からないながらにただ泣き続けた。
 やがて服の下の、僕の腕に包まれた小さな存在が重さを増した。
 小さな小さな存在だった。でも、それは余りに重いものでもあった。

 それ、がなんであるか。
 きっと、何度繰り返しても僕には、分からないままなのだろう。
 ああでも分からなくていい。
 たとえこれから先何度こうして涙を流そうとも、分からないままでいい。
 ただ、僕を包むこの温もりさえあればもう、それだけで。


2013/10

作品名:君と過ごす何気ない日常 作家名:とまる