僕は摂氏36度で君に溶ける
11
リヴァイは早朝に目が覚めた。
エルヴィンはまだ寝ているだろう。そっとベッドを降りて立ち上がるとふらついたが、歩くには問題なさそうだ。これで、今日ここを去ることができる。部屋をぐるりと一周してまわり、安堵のため息をつく。もう一度ベッドまで戻り、そこへ腰掛けた。
エルヴィンに告げるべきことはたくさん見つかったのに、それを表す言葉をリヴァイは知らなかった。昨夜さんざん悩んだ挙句に頭にできあがった文はあまりに稚拙で、まるで子供の戯言のようだった。しかし、この想いが独りよがりなものであることはリヴァイが一番よくわかっていた。
伝えられるだけで、いい。自分が伝えたいことを、飾らずにストレートに口にする。それだけで、いい。エルヴィンに捨てられるとなった今、リヴァイに恐れることはもう、何もない。
これで見納めだと、寝室をゆっくり見回して、不自然なものに気づく。部屋の角に設置されたキャビネットの上。分かりにくい場所にあったので、今まで気づかなかったが、あれは伏せられた写真立てだ。ベタなことをする、とリヴァイは苦笑した。写っているのはおそらく。
あの写真のひとたちに、自分はとうてい敵わない。それでもリヴァイは、後悔したまま生きたくなかった。心臓は捧げてしまったが、せめて魂だけは取り返したい。いま屍となった自分の体に、エルヴィンのものになってしまった魂をいれてみても、それはチグハグなものかもしれない。それでも、リヴァイは少しずつ慣れていくしかない。
ぼんやりと考えごとをしていたリヴァイは、寝室をノックする音で現実に戻される。
「リヴァイ、おはよう。起きているか?」
「ああ、おはよう」
リヴァイの返事を確認してから、エルヴィンが朝食を持ってやってくる。ここ十日間のいつもと変わらないやりとり。
しかしこれも今日で最後だ。
そして、今、言う。
「エルヴィン」
「なんだ」
相変わらず温度のない声だ。
なんでこんなやつを好きになってしまったのか。リヴァイは自分の趣味の悪さに苦笑いする。
「話を、聞いてくれるか」
「手短にしろ」
手短。
自分の考えた台詞は長いだろうか。緊張のせいで、鼓動が、全力で走ったあとのような状態になっている。溜まった唾を飲み込むと、その音がやけに耳に響いた。
「あんたに、感謝してる。俺は、本当の意味で空を知らなかった。教えてくれたのはあんただ。空の青さ、世界の広さ、自由に飛ぶことの気持ちよさ!全部、全部あんたが!それなのに、俺はあんたの期待に応えられなかった。何故あんたが巨人を殲滅しようとしているのか知った。それでも油断した。それでこのザマだ。迷惑をかけた。本当に、すまなかった」
エルヴィンの顔を見ることは途中からできなくっていた。今、リヴァイの視線はベッドに座った自分の膝に固定されている。
「リ、ヴァイ、きみは、なにを」
狼狽えたようなエルヴィンの声が聞こえる。リヴァイが普段はこんなことを言わないから面食らっているのだろうか。でも、一番伝えたいのはここからだ。
「エルヴィン、怒らないで聞いてほしい」
人にものを頼むときは誠意を持ってきちんと相手の目を見ること。エルヴィンに教えられた通りに顔をあげて、美しい青の、瞳を。
「リヴァ、イ」
さきほどまで冷たく光っていた瞳が、今は動揺を物語っている。無表情は崩れ、失望したような、怒っているような、驚いているような、リヴァイにはその表情の意味も理由もわからなかった。
予想するなら、捨てるつもりだった相手にこんな風に感謝されて良心が苛まれている、というところだろう。
捨てられるなんて、わかっていたことだ。リヴァイは下唇をぎゅうと強く噛んで、言葉を紡ぐことを自身に促す。
「俺は」
「リヴァイ!」
遮ったのは今までに聞いたことのないほど激しいエルヴィンの恫喝の声だった。びくりと体を震わせてエルヴィンを再度見ると、その顔に浮かぶのは、今度は十割が怒りだった。怒鳴ったことで息を荒くしているエルヴィン。
リヴァイには彼の怒りの意味が分からず、狼狽える。また怒らせてしまった。というか、まだ告げてもいないのに怒られた。
「なにをしようとしている!」
「なにって、」
どうやら出て行こうとしたのがバレてしまったらしい。さすがに別れの言葉っぽすぎたか。下手なことをしゃべれないな、とリヴァイが黙秘すると、エルヴィンがまくしたてるように言う。
「相手は誰だ!くそっ、信頼できるやつを用意したつもりだったがだめか。お前から誘ったのか、それとも誘わせたのか?俺がいない間に」
「は?」
訳の分からないことを喚き散らすエルヴィンに、リヴァイは呆然とする。
誘う?何にだ?
誤解が起こっているようだが、エルヴィンはまったく話を聞こうという様子がない。
何を指摘したらいいのか分からず、とりあえずリヴァイは、一人称が「俺」になっている珍しいエルヴィンに驚くことにした。
作品名:僕は摂氏36度で君に溶ける 作家名:かん



