僕は摂氏36度で君に溶ける
12
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エルヴィンは、リヴァイが巨人の口に放り込まれる瞬間を、その目で見てしまった。
その光景はエルヴィンに彼の妻と子供を思い出させる。エルヴィンは無我夢中でリヴァイの名前を叫んだ。
すんでのところで口内から脱出してきたリヴァイが、その高さから落下しようとしていた。
「エルヴィン団長!」
部下の制止の声がした気がした。しかし頭は何も考えていなかった。とにかくあの小さな体を受け止めなくてはいけないという本能だけがエルヴィンを突き動かす。
馬上からそのまま巨人の肩に狙いを定めてアンカーを撃つと、ガスを吹かして飛んだ。あの高さから落ちては、さすがのリヴァイだって危ない。それに今のリヴァイは大怪我を負っている。
間に合え、間に合え、間に合え!
落下し続けるリヴァイに手を伸ばす。
リヴァイは既に気を失っていた。
体は無防備に空中に投げ出されている。
口を裂かれた痛みに悶える巨人の絶叫が響き渡る。
体をぶつける形で、リヴァイの体を腕におさめることに成功した。
ずしりと重たい体重を感じて、安堵する。
よかった。
とりあえずここを離れなければ。本当は今にでもリヴァイを喰らおうとしたこの巨人のうなじを斬り落としてやりたいが、平地である以上無理をしてはいけない。それにリヴァイを早く手当てしなくては。うまく着地すると、エルヴィンはリヴァイを抱えたまま馬に乗り、全速力で駆けた。
医療班の迅速かつ適切な手当てのおかげで、リヴァイは命に別条はないと判断された。そのまま本部に置いてもいいが、エルヴィンはまたリヴァイがどこか遠くに行ってしまって、そして今度こそ手が届かないのではないかと、ひどい不安にかられた。結局馬車を呼び、意識の戻らないリヴァイを抱えて自宅で療養させることにした。
悩んだ結果、エルヴィンはより広い自分のベッドにリヴァイを寝かせる。顔色の戻った様子を見て、エルヴィンはほっとした。
あのときは肝が冷えた。あの光景は、過去の再現だと思った。
けれどもリヴァイはここで、こうして息をしている。自分を庇ったこの健気な生き物に、わずかに愛しさが湧いた。
初めは道具としてしかリヴァイのことを考えていなかった。巨人殺戮機として、リヴァイは優秀だった。
だが、エルヴィンは、褒めてやると喜びを隠そうとして俯くリヴァイも、自分の役に立とうと勉学に励むリヴァイも、いろいろな彼を知ってしまった。いつからか、リヴァイを道具として見ることなどできなくなっていた。
一方、リヴァイがエルヴィンに望むことは「存在意義」である。もしこのままリヴァイを愛してしまって、彼を道具として利用できなくなってしまったら。リヴァイが自分の側にいる理由がなくなってしまう。
エルヴィンはリヴァイが離れて行くことが恐ろしくてしかたない。リヴァイを繋ぎ止めておきたいのなら、この感情は隠さなくてはならない。できることならこれ以上加速しないように歯止めをかけなくてはならない。
エルヴィンは、リヴァイへ冷たい態度をとることで、それを実現させようとした。
それでも、リヴァイの意識が戻ったとき、思わず謝罪してしまった。もうリヴァイは、エルヴィンにしか必要とされていないわけではない。今や兵団のみんながリヴァイの存在を受け入れている。リヴァイが一度、外に目を向ければそれは明白だ。けれど、エルヴィンはそれがリヴァイにとって良いことだと分かっていても、彼に自分だけを見ていてほしかった。
手放せなくて、すまない。
リヴァイの澄んだ瞳に見つめられると、汚い自分の気持ちを見透かされてしまいそうで、エルヴィンはそれだけ告げて部屋を出た。
*
十日後だった。
夜は遅くなってしまったが、休みをとれた。朝になって二人分の朝食を手に寝室を訪れる。平素の様子と異なり、そわそわしているリヴァイに嫌な予感がした。案の定、今までの感謝と今回の件に関する謝罪を述べられ、エルヴィンは直感的に悟る。
リヴァイは、ここを、去ろうとしている。
次に出てくるのは別れの言葉だ。きっと、ここに昼食を持ってくるように言いつけた部下の誰かに、乗り換えるつもりだ。
自身でも何故そんな発想に至ったのか謎だが、スミスは唐突にそう思った。信頼のある部下を送り込んだつもりだったが。誑かしたのか。地下街の頃からその手のことには慣れているようなリヴァイだ。愛情を示さないエルヴィンなんかより、慕ってくれる兵士の方に存在意義を求めて縋ってもおかしくない。
怒りでエルヴィンは我を忘れた。
作品名:僕は摂氏36度で君に溶ける 作家名:かん



