断崖の幸福
組織では必ず、異を唱える人間がいるものだ。強い主義主張や前代未聞の新しい方針とくれば特に、反論反発は生まれやすい。
「アンタに信用できるヤツらだって言われても、相手は校内一謎な二人だぜ。一人はヤクザだかホストだかってウワサの色男で、もう一人は転入してきたばっか。この際、そこの色男が馬鹿強いってのはいいとして」
異を唱える演劇部員は、バッツを見据えて言った。
「見るからに脳天気でアホっ面のコイツが、アンタが言うような才能を持っているとは思えないね」
「うひゃー。敵意剥き出しだな」
面と向かって阿呆呼ばわりされても、怒りもしないどころか軽く怯えたような芝居をするバッツに、演劇部員が青筋を立てた。バッツに悪気はないのだろうが、完全に相手を煽っている。
才能があると評価された相手に対して、嫉妬せずにいられないのは人間の心理だ。それなりに自信を持っている演技に関してなら、尚更のこと。
「聞けば、高校中退して二年間放浪生活した自由人って話だろ。熊と死闘を繰り広げたとか奇妙奇天烈なウワサが立ってるけど、要するにただの家出男じゃねーか。親にもダチにも、何の連絡も寄越さないでいきなり失踪？ 親しい人との繋がりとか、世間のしがらみとか。そういうのをいとも簡単に捨てられるようなヤツ、才能以前に人間として信用できねーな」
さも承知のように語る彼は、きっと尾ひれのついたウワサでも信じているのだろう。実際に連絡をしたか、していないか。しがらみを簡単に捨てたか、捨てていないか。それはバッツ本人にしか分からない。
何か反論して返すのかと思ったが、スコールの予想に反して、バッツは口を引き結んでいた。少し伏せた瞼の下では、子どもっぽさの残る明るいブラウンの瞳が深い色合いに染まっている。
「……コイツが、人間として出来ているかはともかく」
考える間もなく、スコールは口を開いていた。自然と演劇部員の視線が集まる。
「誰だって、しがらみから解放されたいと思う経験はあるだろ。抗えない現実に振り回されたり、立ち止まったり……。周囲の人間に流されるヤツらが多いなかで、コイツは自分の頭で考えて自分の足で歩いたんだ。アンタに、それができるのか？」
些細な苛立ちと、やるせなさ。
真っ向から見据えた演劇部員だけでなく、周囲で動向を見守っていた人間まで居竦んでいる。その様子を見て、スコールはようやく自分の顔が険悪に歪んでいるのを自覚した。
バッツの悪評を全て否定するつもりはない。
だが、スコールには持ち得ない彼の強さを否定されるのは、酷く腹に据えかねた。
「……スコ？」
意外なものを見る目で、バッツは目を瞬かせる。
なんとなく居た堪れない気持ちに駆られ、スコールは視線を逸らした。バッツの生き方は羨ましくもあり、妬ましくもある。
幼い頃から警察官僚の息子として期待を背負う現実に、疑問を持ったことなどなかった。他にやりたいことも、興味を惹かれる仕事もない。だからといって、それが自分の意志と向き合わなかった理由にはならないのだ。
今だってそうだ。
口では放っておけと言っておいて、頻りに構ってくるバッツを突き放すようなことはせず、反対に好意を見せもしない。ただ相手のなすがままにさせて、自分からは何も行動を起こさない。
――振り回されてばかりなのは、俺の方だ。
そういえば、今朝だって。バッツがどういうつもりだったか、それだけを考えていた。
俺はあのとき、何を考えた？ 驚いて突き飛ばしはしたものの、同じ性別の男にキスされたのに、嫌悪感を抱いた記憶はない。それどころか……。
「なあ、スコ。もしかしてオレのために、庇ってくれてる？」
「……違う」
深く思案していたところを突然現実に引き戻され、スコールは正面からバッツの視線を受けとめることができなかった。目を逸らしたスコールに、バッツが驚いたような声を上げる。
「え、マジ？ ウソだろ？ 自分が何言われたって気にしないくせに」
「だから、違うと言ってるだろ！ 俺だって、腹の立つことくらいあ」
しまった、と思った。視線を逸らしてムキになっていれば、肯定しているも同然だ。
思わず頭を抱えながら視線を戻すと、バッツの頬に赤みが差していた。目が合った瞬間、殊更かああっと音がしそうなほど真っ赤に染まる。自分でも耳まで赤く染まっているのが分かったのか、バッツは突然両耳を押さえて、スコールに背を向けてしゃがみ込んだ。
ぶつぶつと、スコールの耳には認識できない音量で呟いている。
ジタンもバッツの隣にしゃがんで、お互いに声をひそめて話しているようだった。
「いやだからやべーんだってそういうのはさああああもうちくしょううあああ」
「なあバッツ、スコールってあれ素なのか？ 天性のクーデレ？」
なんとなく失礼なことを言われている気がして、スコールは不機嫌に眉を顰めた。
結局あのあと反論はうやむやになり、スコールとバッツが殺陣の演出を手伝うことで話がまとまってしまった。
家に帰ったスコールは、リビングのソファに座って寛ぎながら、演劇部から譲り受けた資料を読み進める。
ホッチキスで綴りになっている何枚かを捲ったところで、頭と肩にずしんと重みがかかった。ソファの背を間に挟んで、バッツがスコールの首に後ろから腕を回し、頭頂部に顎を乗せる。
「今日もらってた資料だな。ええっと、『殺陣とは格闘や殺人、捕り物などの格闘の演技のこと。あくまでも魅せるための戦い、演技であり、何より怪我をしない配慮が必要である』か」
「実際に死亡事故も起きてる。映画の撮影中に、俳優が振り回した真剣が殺陣師の首に刺さり死亡」
「……それ、不良とバットでバトルのとどっちが危険？」
「舐めてかかると痛い目を見るのは、どちらも同じだ」
バッツの顎が、頭頂部から肩へと移動した。伸ばした手でスコールの持つ資料の端を摘み、まだ途中までしか目を通していなかったそれをパラパラと捲る。
「バッツ、どけ」
「なんで」
「……くすぐったい」
バッツが手を伸ばして動くたびに、茶髪の猫っ毛がさわさわと耳をくすぐる。ぞわぞわと背筋が粟立つ感覚に、スコールは息を押し殺して耐えた。その様子を知ってか知らずか、至極のんきな調子でバッツが言う。
「ガンバレー。それよかスコちゃん、いやにやる気満々だな。実は断る気だったくせに」
「やる気というか、危ないだろ。生半可な気持ちでやるのは」
「危ないって……。オレが子どもみたいにはしゃぎすぎて、怪我するって言いたいんだろ」
拗ねたような口振りのバッツに、スコールは自然と心が和らいでいく。バッツ自身、年齢不相応の性格をしている自覚はあるらしい。
僅かに口角を上げて目を細めると、バッツが小さく息を呑むのが、触れる肌越しに伝わってきた。
「……おまえが誰かに刺し殺されると、寝覚めが悪いからな」
バッツの体温が離れていく。
だがそれは一瞬のことで、バッツの両手がスコールの両頬に触れた。
何事かと思う暇もなく、スコールの顔は強い力で後ろへと引っ張られる。ソファの背に後頭部を預けるような形で、天井を向く態勢にさせられた。
「バッツ、何する――」
作品名：断崖の幸福 作家名：シノ＠ようやく新入社員