魔王と妃と天界と・1
すぐにラハールへと駆け寄るフロンと、溜息を零しながらブルカノを諌めるラミントン。
二対二に分かれた図ではあるが、明らかにブルカノは孤立状態である。
だが、ブルカノは懲りない。
「大天使様!!こやつらの申す事などに耳を貸してはなりませんぞ!!こやつらは──」
ぎゃんぎゃん喚き散らすブルカノから逃れる様に、ラミントンがラハール達に向き直る。
「それではラハール君。フロンを宜しく頼むよ」
「改めて言われるまでもない。では帰るぞ、フロン」
「あ、はいっ!!大天使様、それではまた」
「ああ、今度は私が魔界に訪問しに行くよ」
「大天使様っ!!?」
ブルカノの悲鳴などに構わず、勝手に話を終わらせて。
帰ろうとしたラハールとフロンに、感情のまま、言葉が投げられた。
「私は認めんぞっ!!お前等の様な悪しき者共など!!汚らわしい悪魔めっ!!」
ラハールは相変わらずだな、と軽く溜息を吐き。ふと目をやった先、隣を歩くフロンが唇を噛み締めているのに気付く。
また溜息を一つ零して、悔しさにか怒りにか、震えているフロンの手を取り、握った。
驚いた様にラハールに目を向けたフロンの表情が和らぐのを目の端に、ラハールもまた口許を緩め。
それらの動きに気付く事無く、未だぎゃあぎゃあ叫んでいるブルカノの横。
仲睦まじい二人の姿を微笑ましく見送りながらも。
(……わあ、本当に殴りたくなりますねぇ、これ)
柔和な笑みはそのままに。横で騒ぎ続ける天使長の存在に若干苛つきながら、内心でそう呟く大天使に気付いた者はいなかった。
──魔王城。
「エトナ様~、陛下達、帰ってきたと思ったらすぐに寝室に引っ込んじゃったっスけど、いいんスか?」
「ん~、あの様子じゃあ、今日は仕事になんないからね~。まぁ、何かあったんだろうけど」
頭の後ろで手を組んで、ふう、と息を吐き。
「ほっときゃいーわよ。どーせ明日には元に戻ってんだから」
「そんなもんっスか?」
「そんなもんよ。あ、でもあんたらはしっかり仕事しなさいよー?」
「ひどいっス……」
「横暴っス……」
「物凄くいつものエトナ様っスけどね……」
「いーから働きやがれ!!」
プリニー達の尻を叩きつつ、物理的に蹴り飛ばしたりもしつつ。
(……どーせあのヒゲ面野郎関係なんだろーなー……これ以上フロンちゃん苛める様ならグサッとやってやろーかしらねー)
それなりに状況を把握している魔王の腹心は、心の中で物騒な事を呟いていたりした。
そして、寝室では。
ベッドに並んで座りながら、夫婦が言葉を交わす。
何やらしょんぼりしているフロンに、ラハールが苦笑しながら声を掛ける形ではあったが。
「…お前がそんなに気にする必要はあるまい」
「……だって、」
「オレ様の味方が、情けない顔をするな」
「……ラハールさん……」
フロンは、自分が悪しき者だとか言われた事を問題にはしていない。正直、自分がどう言われた所で気にはならない。
ただ、ラハールが悪く言われる事が嫌なだけだ。
(仕方のない奴だな……)
ラハールはラハールで、己に向けられた敵意などをいちいち気にする訳も無く。
ただフロンが元気を無くしてしまうのが気に入らないだけである。
ブルカノが牢から出て対面する様になってからというもの、あの様な遣り取りが続き、フロンがこういう状態になる事は多い。
この百年で天界と魔界の行き来をする者はまだいないが、交換留学の話なども出ていたりする。
それも含め、大部分の悪魔達も天使達も双方の存在と交流を受け入れてきているというのに、ここまでハッキリと反対する者がいるのは流石にヘコむのだろう。それが天使長だというのだから、余計に。
「……だって、わたし……悔しいんです」
「……フロン?」
「だって、ラハールさんは、ラハールさんはっ!!いっぱい頑張ってて、それで、それなのにっ……!!」
ぎゅううっ、と拳を握りながら叫ぶ様に声を上げるが、ブルカノの言動を思い出し、感情が昂り過ぎたのか言葉が途切れた。
唇を噛み締めて震えている姿が自分への想いの表れの様で、何やらむず痒くなってくる。
だがそれが随分と心地いいと思ってしまう己に随分と毒されたものだ、と内心で苦笑して。
フロンの噛み締められた唇を解く為に、顎を軽く持ち上げて。
何事か反応を返す前に、ちゅ、と音を立てて唇を合わせた。
思わず固まるフロンに悪戯っぽく笑い掛け、舌で唇をなぞり。
「っ……ん、ぁ、ラハールさっ……」
「……お前がそれを解っているならそれでよい」
「ん、ぅ……」
暫く、熱を分け合った。
──この天使が、オレ様の絶対的な味方だという事実が。
オレ様を支える何より強い力だという事を、きっとフロン本人は理解していないのだろうが。
「何、心配するな。あいつもその内オレ様の偉大さを知る事になるだろう」
根拠も確証も無いが、ラハールは自信満々に言い切る。
言葉と共に頬を撫でられ、フロンの顔が緩んだ。
「……はい」
綻ぶ様に微笑みながら、ラハールの手にそっと己の手を添える。
──ああ、好きだ。
己の行為に、そして言葉に素直に応えてくれるこの天使が、ラハールは心底好きだと思う。
以前であれば、決して認めなかっただろう感情。
否定して、誤魔化して、摩り替えて、追いやって。
きっと目を逸らし続けていただろうそれ。
今でも、口にするのは容易では無いが。
それでも、心の中だけでもそう思える様になったのは。
(……お前の所為だ。…高くつくぞ)
自分をこうしたのはフロンなのだから、一生傍にいてもらわなければ、割に合わない。
(……いや、違うか)
全力で自分を想い、心配し、感情をぶつけてくるこの天使に。
自分も応え、返すべきなのだろうと思う。
……自分がそうしたいから、だ。
(……しかし……)
このまま押し倒してもいいものだろうか。
……悪魔は己の欲求に素直だとは言うものの。
この場面でそう考える魔王様はやはり、色々と台無しだった。
翌日。
少々遅めではあったが、まだ朝と言える時間に起床してきたラハールはきっちり朝食を摂った後、執務室に篭って溜まった仕事をこなしていた。
たまに首を回したり伸びをしながら、書類を片付けていく。
「次は……む、こっち関係か」
好き勝手言ってくれるな、と思いつつ、書類に目を通していく。
その内容は、住民からの要望陳情苦情等だ。
城から少し離れた場所に広がる街の住民達からのものである。
その街は決して大きいものではいが、それでもかなりの数の悪魔達が住んでいた。
建物の形も様々で取り留めの無い感じではあるが、多種多様な悪魔達がそれぞれに自分に合う住処を求めた結果だ。当然と言える。
そして、数が増えればこの手の問題も書類も増える。もうそれは仕方ないので、明らかに無茶で論外な要望と重要そうなものを分けていった。
「……またきたか」
と、住民登録や居住許可申請の書類を手に取り、ラハールが溜息を吐く。
作品名:魔王と妃と天界と・1 作家名:柳野 雫