【腐】恋愛妄想疾患【亜種】
その夜、自宅に戻ったアンバーが居間で新聞を読んでいると、ふいに人の気配がする。
「こんばんは」
驚いて顔を上げると、青い髪の青年がこちらを見下ろしていた。
「えっ、き、君は? 何処から?」
「カイトです、アンバー様。ガーネット様から、僕のことを聞いているでしょう?」
囁くような声に、アンバーは、目の前にいる青年がお茶の時間に話題となった人形だと気づく。
「ああ、君がそうなのか。でも、何だって急に」
「お願いがあって来ました。僕のマスターになってくださいませんか?」
「え?」
唐突な申し出に、アンバーが戸惑っていると、カイトはにこやかに話し出した。
所有者に捨てられた為、このままでは処分されてしまうこと、アンバーが形だけでもマスターになってくれたら都合がいいこと。
「いや、でも、急にそんなことを言われても」
「町でアカイトを見かけたというの、嘘なんです。僕、その日は町に行ってません」
「はい?」
思いがけない告白に、アンバーは戸惑いの視線を向ける。彼が町に行ってないとしたら、何故偽りの申告をしたのか。
青い目が穏やかに微笑みながら、アンバーを見つめた。真っ直ぐに向けられた視線に、アンバーは落ち着きを無く目を逸らす。
「本当は、オパール伯爵の屋敷の近くにいました。夫人は魔道士だったから、僕を引き取ってくれるんじゃないかって。その時、一人の紳士が屋敷の様子を伺っているのを見ました。呼び鈴を押した後、中の様子を確かめるように、庭に回っていきました」
カイトは身を屈め、いっそう声を潜めた。
「その人も、魔道士でした。新聞で見たんです。綺麗な女性と婚約が決まったとかで。その女性には、あなたより先にお会いしました」
血の気の引いた顔で、カイトを見上げるアンバー。
カイトは駄目押しのように、「綺麗で、優しい方でした」と付け加えた。
「でも、その方のお父様は、気難しい方ですね?」
青い瞳は、まるで深い底なし沼のようで。アンバーは、自分が身動き取れないほど、追いつめられていることを悟る。
「アカイトが言ってました。警察に連れてかれたら、この屋敷を追い出されてたって。あなたの場合は、どうでしょうね?」
ガーネットの父は、魔道士を快く思っていない。以前にガーネットが婚約破棄される事態がなければ、自分との結婚を決して許したりはしなかっただろう。
アンバーは乾いた唇を舐め、それでも抵抗を試みた。
「・・・・・・でも、君は一度嘘をついている。警察が君の言い分を信じるかな?」
「信じないでしょうね」
アンバーの言い分を、カイトはあっさり認める。
「僕が何を言おうと、警察は動かないし、ガーネット様はあなたを疑わないし、お父様もあなたとの結婚を祝福されるでしょうね。僕は、ただの人形ですから」
「・・・・・・・・・・・・」
そう上手くいくはずがないと、アンバーは分かっていた。魔道士絡みの事件となれば、警察は動けないかもしれないが、他の魔道士達が調査に乗り出す。そうなれば、遠慮も配慮もなく、事実が明るみに出されるだろう。それは、アンバーが一番分かっていた。魔道士とは、そういう人種なのだ。ただ、真実のみを尊ぶ。
カイトは、すでにガーネットに取り入っている。彼女は自分を信じるだろうが、カイトの言い分を一蹴することも出来ないだろう。疑惑を抱えたまま、一生側にいてくれるだろうか。いや、父親がそれを許さない。疑惑が晴れる前に、手の届かない遠くへと彼女を連れていくだろう。
犯人が捕まり、自分の潔白が証明されたとしても、一度壊れた関係は、元に戻らない。
アンバーの沈黙を拒否と受け取ったのか、カイトは悲しげな顔で俯き、
「残念です。僕は、あなたなら引き取ってくださると信じてましたが」
そろりと居間から出ていこうとしたので、アンバーは慌てて引き留めた。
「一つだけ、聞かせてくれ。君は、何の為に嘘をついたんだ?」
カイトがアンバーを見つめ返してくる。決して底を見透かせない、深い青。
「アカイトを助ける為です。彼は僕と同じ、欠陥品ですから」
その声に滲む怒りが、アンバーの心に突き刺さった。
魔力で動く人形、その制作過程で、どうしても異質なものが出来上がってしまう。命を与えられた次の瞬間には無に帰される、哀れな存在。彼らにも、心があるのに。
彼をここまで追いつめたのは、自分と同じ魔道士だ。
「失礼します」
「待って! 君を引き取るよ。僕も、魔道士だから」
首を傾げるカイトに、アンバーはつっかえながら続けた。
「その、君も、アカイトも、欠陥品なんかじゃない、から」
その言葉に、カイトはふわりと笑顔を作る。
「ありがとうございます、マスター」
作品名:【腐】恋愛妄想疾患【亜種】 作家名:シャオ