名残の、(前編)
そう言いたかったものの、同僚の青い顔が演技じゃないことを見ると、何とも言えず、結局了承することとなってしまったのだった。
ちなみに今日やっているバイトはサンタの格好でのケーキ販売。
あとダンボール二箱ぶんで販売終了となることを考えれば遅くとも7時には上がれるはずだった。コンサートの終了時刻は8時。今の時間は5時。がんばって売れば早く切り抜けられるかもしれない、と思い俺はフェリちゃんにメールを送ってケーキ売りに専念するのだった。
後3個、というところでメールが来た。
差出人はフェリちゃんで、今は休憩なのだが、次の次のプログラムでローデリヒが演奏するとのことだった。
先ほどまで、フェリちゃんを悲しませたくないとかそんなことを考えていたくせに、そういうメールが来るものだから、なぜか心臓が急かされたかのように脈打ち、あいつの演奏を聞かなければいけない、そんな気分になるのだった。
くそ、と心の中で悪態をつき、声を張り上げて呼び込みをするものの、一向に人が集まる気配はない。それはそうだ。ケーキを買うような年齢層の人間はクリスマスのこの時間にはとっくに家に帰っていてもおかしくない。
たまたま通った爺さんやら婆さんに売りつけようとしても、苦笑するだけで取り合ってはくれなかった。
・・・・・・・・・・・。
頭の中で計算する。
幸いコンサートホールはここから車で10分の距離にある。走って駆けつけたら20分もすればつくだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・。
次に金の計算。
タクシー代と、それから・・・・・・・。
算出した値は、今日一日のバイト代そのものだった。
走って駆けつけたホールのロビーでは、幕間を知らせるブザー音が響いていた。着替える時間もなくサンタの服を着て入ってくる俺を怪訝な顔で見る受付嬢に愛想笑いをすると、チケットの半券を受け取り早足でホールの中へと入った。
静まり返ったホールの中では誘導灯以外の灯りは舞台を照らす強い証明だけだった。けれど、それで十分だった。
光に照らされた先ではローデリヒとエリザベータの姿。ローデリヒが黒いタキシード姿であるのに比べ、エリザベータはサンタも真っ青の真っ赤な生地に白いファーをつけ、胸元のリボンが印象的なドレスを着ていた。
お互いに目配せをして、ローデリヒはピアノに手をかけ、エリザベータは客のほうを向き、両手を腹に当てた。
まるで舞台の上の息遣いが、ホールの端にいる俺にまで聞こえるかのように、すぅ、とローデリヒが息を吸った気がした。
そして、ピアノの弦を鍵盤を通して震わせる。
圧巻だった。
音楽はありふれたクリスマスソングで、散々街中で聞いているような、そんな曲だったのに。
2人の呼吸がぴたりと会い、お互いの音が混ざり合ったその音色は、まさに聞くものを圧倒した。
心なしか紙袋に入れたそれが重い。自分のサンタの洋服を触ると、ザラリ、と安物の布特有の硬さがした。
あのスポットライトの下で音を奏でるローデリヒは、いつも家で見ている彼とは全くの別人で、ポスターからそのまま抜け出してきたようだった。
どうしてだろう、最初からそのはずだったのに、妙に胸がすぅ、とまるで風でも通ったかのように冷えたのは。
ぼぅっとしていると、気がつくと盛大な拍手があたりを包んでいた。
それに伴い挨拶をし、舞台袖に引っ込む二人。
俺は一度証明が明るくなった隙にフェリちゃんとルーイのいる席へと向かった。二人とも俺の姿を見て目を丸くしたものの、コンサート終了までは何も言わずに音楽を楽しんでいた。
結局その後、ローデリヒは合唱曲の伴奏もし、夜9時ごろにはコンサートは終了した。
楽屋に行こう、と言うフェリちゃんに連れられて向かったら、テンションの高い集団の中から少し外れたところでローデリヒとエリザベータが並んで座っていた。
2人とも、俺の姿を見て目を丸くする。
「どうしたの?とうとうサンタクロースに転職でもしちゃった?」
くすくす、と笑いながら言うエリザベータに、こいつらの演奏を聞くために走ってきたなんて言いたくなくて、そうだよ、とぶっきらぼうに答える。
ローデリヒに視線を移すと、大きく目を開けてこちらを見ていた。見下ろしていることもあって、その印象はどこか幼く思えた。先ほど感じた距離が急に霧散したような錯覚を覚え、にやりと笑う。
一瞬、憮然とした顔を返したものの、すぐにフェリちゃんが「ローデリヒさんかっこよかったよ〜!!」などと言って抱きつくものだから相好を崩し、くすくすと微笑んだ。
「エリザ姉ちゃんもすっごくステキだった!」
「ありがと」
「それでどうするの?この後。家に帰るんだったら何か作るよ!」
「いえ・・・・・・・・、私たちは打ち上げがあるので・・・・・」
言って遠くで盛り上がっている集団を目で示す。
そうか〜、と言うと、フェリちゃんの様子が目に見えてがっかりしたものに変わったのだった。
「気にするなって!ほら!フェリちゃんのために買ってきたんだぜ!」
俺は手に持っていた紙袋を示し、中を見せる。
売れないから自腹で買ってきたホールケーキが3箱、そこに入っていた。
「ヴぇ〜!!ギルすごい!!」
言って目をキラキラと輝かせるフェリちゃんに、男3人で3箱食べる気か・・・・・、と眉をしかめるルーイ。
俺はう、と言葉につまり、それから二箱ほど取り出した。
「おい」
「は?」
ローデリヒに向き合ってその箱を渡す。
ケーキの入っている箱はずしり、と重かった。
「やる」
「え?」
「いいか!別にお前のために買ってきたんじゃないんだからな!?仕方なくだからな!?」
「・・・・・・・・・・・・・はぁ?」
ますます不思議そうな顔をするローデリヒに踵を返し楽屋を後にしようとする。
後ろで、フェリちゃんがのんきな顔をして、ギルは優しいね、だの、皆で食べたらいいよ!などと言う声が聞こえた。
別にあいつにあげたくて買ってきたものじゃない、と自分を説得し、それでもフェリちゃんの中で株が上がったんだしよかったよな、と俺を納得させながら、赤い顔を隠すようにその場をあとにした。
途中で買ってきたチキンと家でふかしたジャガイモ、それからホールケーキを囲んで男三人でクリスマスを祝う。
これでフェリちゃんがいなかったら何の拷問だよ、と思ったところだった。
ビールにシャンパン、ウィスキーを水のように体に流し込み、テンションが上がった所でまた飲む。
最終的に、潰れてソファで寝転がるルーイとフェリちゃん、それから俺が出来上がったのだった。
深夜、物音がして目が覚める。
どうやらローデリヒが帰ってきたようだった。リビングの明かりをつけて目を丸くする。
目を瞑ったまま、早く二階に上がればいいのに、と思っているとふわりとした暖かい感触。どうやら毛布をかけてくれたのだろう。吃驚して目を開けると至近距離に綺麗に整ったローデリヒの顔。その顔が、俺と目をあわすなり薄く赤く染まった。
「・・・・・・・・・起きてたのなら寝室へ行ってください」
「・・・・・いいじゃねぇか」