タイムドライバー
千葉がここまで考えていたとは思えなかったが、今はそれがありがたかった。
動かなくなった機体で脱出できるかはわからないが、後部座席にバサラを乗せると
ガムリンはエンジンを始動させた。
不思議なことに、何の異常もなく戦闘機は動き始めた。
遠くに、親指を差出し、腕を上げたギギルの姿を見たような気がした。
ブラックホールを抜けた世界は、自分たちの時代ではなかった。
目の前に見える艦隊の姿はラクスでの損傷を残したままだ。
「ギギルの奴、過去の方を案内しやがったな」
「どうゆうことだ?」
「こっちはたぶん、ラクスが消えちまったすぐ、あとぐらいだぜ」
しかし、ガムリンには好都合だった。
千葉から託された手紙をまだ、渡していなかったのだ。
二人はもう一度、船団に戻らなければならなかった。
これ以上、この時代の人間と関わるべきではないだろう。
ただ一人接触したバサラに手紙を託そうと決めた。
いや、ガムリンはもう一度会って、見届けてやりたいと思った。
ライブの日、ここならきっと会えるはずだと、野外ステージが見下ろせる丘の上で、
ガムリンはバサラを探した。
ステージ衣装のまま、草の上に寝転ぶバサラを見つけた。
「ライブが始まるんじゃないのか?いいのか、こんな所にいて」
その日、少し遅れてライブに飛び込むのを知っていながらガムリンは言った。
「お、お前……」
「頼みたいことがある。この手紙を軍医の千葉に渡して欲しい。大切な手紙だ」
起き上がったバサラは黙って頷くと、胸の合わせに手紙を仕舞い込んだ。
少しだけ尖らせた口元がまだ、何かに迷っているように見えた。
消えかかった未来のバサラを救う事は出来た。
だが、今、このバサラの心にある迷いは完全に消えてはいないのだろうか。
「なぁ、俺の歌って……何なんだろうな……
俺はギギルを救えなかった……あいつは歌を……、
余計な想いを持っちまったばっかりに、シビルのために……」
バサラは苦しそうに俯くと、堪えるように奥歯をかみしめていた。
「あいつは満足してたぜ!」
背後からもうひとつ、凛とした同じ声が聞こえた。
「バサラ!ややこしくなるからお前は姿を見せるなと言ったのに!」
木の陰から姿を現したのは、もう一人のバサラだった。
目の前の四十過ぎの自分を見てバサラは呆然としていた。
「しょうがねぇだろう。こいつが、っていうか、俺がか、
あんまりにもメソメソしてやがるから、見かねちまってさ」
そのまま若いバサラの前で話を続けた。
「お前は歌を歌った。それだけだ。
ギギルが歌ったのも、シビルを守って逝っちまったのも
お前のせいなんかじゃねぇ。自惚れるな!みんなあいつの意志だ。
負けたんだよ、俺たちは、あいつの想いに」
バサラが若いバサラに言って聞かせたのは、厳しいけれど優しい言葉だった。
それは、ずっと背負っていた罪悪感を溶かすようだった。
ガムリンは二人のバサラに向けて言った。
「お前の歌は、お前の物だ。だけど、それを聴いたときに、
歌は聴いた相手の物になる。お前の歌は人の心を震わすけれど
強いたりはしない。もっと優しい物だ」
バサラの歌は時にマインドコントロールを解き、スピリチアを回復させる力がある。
人はそれに頼るだろう。
だけど、お前は、お前の思うままに歌えばいい。
「俺は、お前の歌が好きだ」
ずっと心に思っていた事を、初めて口にした。
ガムリンの言葉に、二人のバサラが頬を染めた。
四十を過ぎてもまだ、可愛い反応を見せたバサラの顔をちらりと
盗み見ると、若いバサラよりも朱い顔をしていた。
何を見てやがるとガムリンを睨みつけてからバサラが言った。
「お前の……っていうか、俺の気持ちは、ギギルに伝わってたぜ」
ブラックホールの中で、ギギルと何かを語っていたのだろう。
「それから、シビルの事を頼むって……」
バサラは、若いバサラの背中をポンと叩いた。
「さて、んじゃぁ、俺たちは還るとするか、ガムリン!」
バサラに促されガムリンも大きく頷いた。
「待てよ」
若いバサラがガムリンの腕をしっかりと掴み引き留めた。
「俺の歌を、聴いてから行けよ。今の俺の歌を……お前に聴かせたい」
真剣な顔でまっすぐに見つめられ、メガネの奥の強い金色の輝きに
心を奪われそうになった。
後に立つバサラに踵を軽く蹴られ、我に返ったガムリンは黙って頷いた。
草の斜面を若いバサラは駆け下りながら振り向くと
「お前もだからな、俺の歌を聴けぇ!」と大きく叫んだ。
言われたバサラは唖然としている。
まさか自分に ”俺の歌を聴け”と言われるとは思っても見なかったのだろう。
なんだかおかしくて、クスクスと笑いがこみ上げてきた。
「面白がるなよ。それに若い俺に懐かれてんじゃねえよ、まったく」
不機嫌そうにバサラがこぼしたのが、焼き餅を焼いてるようで、
ガムリンの笑いは止まりそうになかった。
草の上に並んで座り、遠くからステージを見ていた。
突然バサラが立ち上がると、ガムリンの目の前に立ちふさがった。
ステージが見えなくて身体の位置をずらそうとするが、
バサラも移動してその前に立つ。
「バサラ、見えないから、退いてくれ」
「いいじゃねぇかよ。聞こえれば」
見せないつもりなのか?と訝しむと、ガムリンはふと、思い出した。
そうだ、このあと、歌うバサラの頬にきらり光る筋を見た記憶を。
今になって、あの涙が恥ずかしくなったのだろう。
それがわかってしまうと可愛くて仕方ない。
今は見えなくても、既にあの日にガムリンが見てしまったことに、
バサラは気が付いていないのだろうか。
「わかった、見ないから、隣に座れよ」
腕を掴んで座らせると更に引き寄せて、頬を包みながらゆっくりと口づけた。
バサラの身体から力が抜けていく。
そのまま草の上に押し倒しすと体重を掛けて強く抱きしめた。
「うわぁ、こんな所でなにすんだよ」
「少しだけ、このままでいさせてくれ、頼む……」
バサラの肩口に顔を埋めると吸い込むように大きく息をした。
草の香りに混ざる、懐かしくて愛おしい匂いで胸がいっぱいになる。
実体のあるバサラの身体、その暖かさを感じたかった。
ガムリンの気持ちを察したのかバサラは大人しく抱かれていた。
いつまでも上に居ては重いだろうと、ごろりと仰向けになると、
しっかりと手を繋いだまま寄り添うように並んで草の上に寝ころんだ。
遠くから、バサラの歌が聞こえてくる。
「なぁ……あの頃の俺には分からなかったんだ。
ギギルが命を捨てるほどシビルを想えるのか、分からなかった。
俺は誰かを、そんな風に思ったことはあっただろうか?
誰かにそこまで思われた事はあっただろうか?ってさ」
過去の事を言っているのだとガムリンに分かった。
「自分の命と引き替えてまで、誰かを想えるギギルが羨ましかったのかもな。
歌だけあればいいと思って生きてた。
けど、俺の歌は、何の為にあるのか?
誰の為に歌うのか、わからなくなっちまってた」
夜空を仰ぎながらバサラは続けた。
「あの時、お前、ミレーヌと一緒にいただろう?