【腐】 愚問 【亜種】
その部屋は、柔らかな明かりに包まれていて、空調が一定の気温を保っている。アカイトが覚えている、薄暗く冷え冷えとした狭い小部屋とはまるで違う、おとぎ話の世界のようだった。
部屋の中央に設えられたベッドの、天蓋から垂れる薄い布の向こうに、一人の少女が目を丸くしてこっちを見ていた。
「マスター!」
アカイトは素早く近寄ると、彼女が声を上げるより先に、抑えた声で囁く。
「助けにきた。今、「時計」を外すから」
伸ばした手が、衝撃とともに弾かれた。
彼女の白い手が、自分の手を叩いたのだと理解した時、同じように抑えた、だが怒りを含んだ声がする。
「触らないで。今すぐ出ていって。人を呼ぶわよ」
「マスター・・・・・・?」
「私は、あなたのマスターではないの。書類に署名したんだもの。私とあなたはもう、赤の他人。そんなことも分からないの?」
侮蔑しきった、冷ややかな言葉。
「これだから、不良品は。やっぱり、あの時手放しておいて正解だった」
目の前が暗くなるほどの衝撃を受け、アカイトは一歩後ろに下がった。
「・・・・・・どうして」
「どうして? あなたこそ、どうして此処にいるの? 処分されたはずよ。何で今更、私の前に現れるの? 助けにきた? 何処から? 誰から? 私はやっと、望んだものを手に入れたのに」
目の前の少女が、まるで異国の言葉を話しているようで。アカイトはめまいを覚えながら、それでも何とか言葉を絞り出す。
「・・・・・・騙されてるんだ。あいつは」
「お父さんに借金を背負わせて、私を奴隷にした? そうね、間違ってはいない。あの人の目当ては私。そして、私の目当てはあの人のお金。ねえ、今の暮らしは、私が望んだものなの」
「えっ・・・・・・」
呆然と立ち尽くすアカイトに、少女は畳みかけるように言葉をぶつけた。
「やっと抜け出せたの。やっと手に入れたの。またあの暮らしに戻るなんて嫌。今の私は、王女様にも負けない暮らしを手に入れたの。この「時計」のおかげで」
目の前に突き出された腕に、青白い数字が浮かび上がる。そこに表示された時間をうっとりと眺め、
「ねえ、ほら、見て? 五年分もあるの。一時間買うのにも苦労した、あの頃とは違う。私が望めば、彼は百年だって買ってくれる。これは首輪かもしれないけれど、私に安全で豊かな暮らしを与えてくれた。今更外せない。野良犬の自由なんて、まっぴらだわ」
少女の目がキッとつり上がり、アカイトを睨みつけた。
「分かったら、さっさと出ていって。今なら見逃してあげるから。もう二度と、私にあの頃のことを思い出させないで」
「・・・・・・マスター・・・・・・」
「私は、あなたのマスターではないわ」
正面から見つめてくる瞳は冷酷で、アカイトが夢に見た面影は微塵もない。
「この疫病神。あなたなんか、拾わなければ良かった」
それは、死刑宣告に等しい言葉。
アカイトはよろよろと後ろに下がり、その場から逃げ出すように姿を消した。
作品名:【腐】 愚問 【亜種】 作家名:シャオ