たとえばこんな
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自分の国よりマシとはいえ、冬のハンガリーは、凍えるほどの気温だった。しかし、身のうちに渦巻く怒りとも焦りともつかぬ奇妙な熱が、プロイセンから寒さの感覚を奪っていた。
公務で立ち寄るはずもないような郊外、美しいドナウの流れが見下ろせる公園でベンチに腰掛けるのは、紛れもない、ハンガリーだ。
粗末な身なりにやつしてはいるが、いきいきとした緑の目、しなやかに風に遊び輝く金茶の髪は他に見間違えようがない。かくしきれぬ高揚に頬を染め、そわそわと遠くをみつめる姿は、プロイセンの胸を絶望に染めた。
いったい誰を、それほどにまで、待ち望んでいるというのか。
なにかの間違いであれという秘かな願い、切なる祈りは、打ち砕かれた。
無意識に噛み切ったのか、口の中で生臭い鉄の味がする。心臓のあたりが嫌な痛みでねじれ目の奥でどくどくと騒ぐ血の音がうるさい。
直ぐにでも彼女に駆け寄って問い詰めたい気持ちをこらえ、物陰にかくれたままプロイセンは周囲に目をこらす。相手の男の姿を確認し、その素性を突き止めるまでは、ここから動くわけにはいかない。
気を落ち着かせようとあたらしい煙草をとりだした手は、動揺か怒りにか、かすかに震えていた。プロイセンは舌打ちをして、火もつけないままの煙草を地面に投げ捨て踏みにじる。
相手の男は、彼女の国民だろうか。どんな人間であれ少なくとも自分よりは、よほど彼女を愛するにふさわしい立場なのは確かだった。敵対する国の身で、彼女を助けることはおろか思うように逢うことすら儘ならないプロイセンに、口出しする権利などないのはわかっている。だが、黙って引き下がることはどうしてもできなかった。
ハンガリーがこぼれるような微笑みを浮かべて立ち上がった。プロイセンは身を乗り出し、駆け寄ってきた男の姿を凝視する。
若い。
いくらなんでもちょっと若すぎる。
それは男というよりはむしろ少年だった。発育途上と見える身長は、ハンガリーより若干高い程度。そしてその、――顔。
瞬間、プロイセンは飛び出していた。
「エリザ!」
ハンガリーは彼の姿を見た途端、目を見開き顔色をなくした。その腕を、プロイセンは逃げられぬよう強く掴む。
「プロ――…ぎ、ギル、どうして、なんで、」
「どういうことだ、おまえ!こいつは…まさか」
そのとき、
「そのひとから、手を離せ!」
少年が身体ごとぶつかるように二人の間に突っ込んできた。子どもとはいえ思いのほか勢いのある体当たりに、一瞬プロイセンの手が緩む。その隙に少年は、ハンガリーをひきよせ自分の背にかばった。
プロイセンはいまだ信じられない思いで、まじまじと少年を見詰める。短く刈られた髪は、稀有な輝きの銀。鋭い目は、怒りと警戒に燃えて、赤い。そしてなにより、その、見覚えのあり過ぎる顔立ち。
毎朝、鏡で見る自分の顔を、そっくりそのまま幼くしたような少年は、まっすぐにプロイセンを睨み付け、言った。
「誰だあんた…俺の母さんに、なんの用だ!?」
眩暈がした。