チビエド事件簿
アルフォンスとエドワードは司令部を出て、先ほど通りがかった公園へと向かっていた。
「ねえ兄さん、本当に行くつもり?」
「きっと行っても入れてくれないと思うよ?」
「それに、ボクたちが行っても何もできないと思うし」
「逆に大佐たちの迷惑になっちゃうよ」
そんなアルフォンスの静止が、エドワードの小さな背中に幾度となく降り注がれる。
それでもエドワードはアルフォンスの言葉には耳を貸さず、黙々と前に進んでいた。
はあ、とアルフォンスはため息をついた。なんでどうしてこの兄はこうまで頑固なんだろう。本人だって自分たちが無力であることくらい分かっているはずだから、これはきっと単なる意固地だ。それとも天邪鬼と言ったほうがいいのか。又は妙な愛称をつけられてしまった意趣返しか。とにかく、他人からしてみれば迷惑なことこの上ないだろうに。
「ねえ兄さん」
アルフォンスは無駄だと思いつつもう一度小さな兄の背に呼びかけた。
「せめてこのぬいぐるみは兄さんが持ってよ」
半ば哀願するようにアルフォンスが差し出したのは、鋼の腕にちょこんと収まるクマのぬいぐるみ。エドワードが持つことを嫌がったせいで、アルフォンスが仕方なく持っていたのだが、さすがに鎧姿にクマのぬいぐるみというのはいつも以上に視線を集めて、いつも以上に居心地が悪い。
だからせめてと兄に向けてぬいぐるみを差し出すアルフォンスだったが。
エドワードはぬいぐるみという言葉に急に足を止め、アルフォンスを振り返った。もしかしてやっと持ってくれるのだろうかと一瞬アルフォンスは安堵した。それから、こんなちっさなエドワードがクマのぬいぐるみを抱きしめる姿は可愛いだろうなぁと、ありえない妄想にふけってアルフォンスはでれっとない鼻の下を伸ばす。
そう。小さな兄さんが、人見知りをしてクマのぬいぐるみをぎゅって抱きしめたら…。
アルフォンスがそんな妄想にふけっている隙に、エドワードはつかつかとアルフォンスに近寄った。エドワードの歩幅はいつもより小さく、普段より1歩歩数が多い。しかし、その行動は呆けているアルフォンスには反応し切れなかった。突然エドワードはぬいぐるみをひっつかんで振りかぶったのだ。
「兄さん!?」
慌てて我に返ってももう遅い。勢いつけて空中に放り出されたクマのぬいぐるみは、人ごみの向こうに消えていく。しかも、その向こうで犬が飛び跳ね、みごとにクマのぬいぐるみをキャッチしていた。
アルフォンスはその見事なまでの偶然に呆然とした。エドワードは逆に清々したというように腰に手を当てて犬の後姿を見送っている。
「なんてことするんだよ、兄さんの馬鹿! こらまて犬―――!」
いくらそんなに嫌だからって放り出すことないじゃないか。ボクのひと時の夢を返せ!!
アルフォンス、そこは怒るところが間違っているぞ。そう突っ込むものはなかったが、アルフォンスはとにかく犬を追いかけ始めた。次こそはエドワードにふりふりのドレスを着せてぎゅっとクマを抱きしめてもらうんだと、一層ありえない夢想を現実とすべく固い決意を心に秘めて。
エドワードは駆けてゆくアルフォンスを見送って、踵を返した。それは公園への道とはまったく逆の方向だった。自分よりもずっと背の高い人の群れを縫って、ひたすら公園からも司令部からも離れていく。
エドワードにだって、今の自分が無力であることくらい分かっていた。むしろ分かりすぎるほどだった。昨日は自慢の錬金術もほとんど使えなくなっていたし、そうでなくても公園に行ったとして何ができただろう。ただ大佐たちの傍らで突っ立ってるしかできなかっただろう。アルフォンスの言っていたとおり、迷惑になるだけだ。
「どうすっかなー」
空を仰ぎ見る。青空が広がるその端に、暗雲が近づいてきているのが見えた。もうすぐ雨になるのだろうか。宿屋に戻った方がいいかもしれない。けれど、気がつくと宿屋からもだいぶ離れてしまっている。今の足では、走っても雨が振り出すのには間に合わないかもしれない。むしろ体力を消耗して疲れるだけかも。それに。
首のない男の子の姿が思考をよぎる。それから、キメラにされてしまった少女の姿が。何もできないことはわかりきっていても、何もせずにはいられない。もう、こんな犠牲は出したくない。
それは、過去に何もできなかった自分の罪を今行動することで贖いたいと思うだけのことだったのかもしれない。それでも、今自分が行動することでなにかを変えることができるなら。
エドワードは決めた。自分で犯人を探してやろう。
ちょうど、今の姿は被害者の男の子と同じ年頃のはずだ。不本意ではあるが運がよければ自分が次の標的になって、犯人を逆に捕まえられるかもしれない。
そうと決まれば、まずは現場検証だ。なにか手がかりとなる痕跡が残っているかもしれない。エドワードは勢い込んで振り返った。
が。
「ぶはっ!」
振り返ったとたんに何かに顔面をぶつけ、その反動でエドワードは道路に転がった。
ああ、もう昨日からオレ何かにぶつかってばっかりじゃねぇ?
心の内でエドワードはぼやいた。
「だ、大丈夫かい?」
頭上から、おろおろと焦る若い男の声がした。鼻の頭を押さえて顔を上げると、眼鏡をかけたおとなしそうな青年がそこに立っていた。背は高いがかなりの痩せ型で印象的にはひょろ長い。
どこか見たことがあるような気がしたのはなぜだろうか。
そんな男が、エドワードに手を差し伸べる。
「ごめんよ。立てるかい?」
青年の手を借りて立ち上がったエドワードは、青年に丁寧に体を調べられた。
「怪我はないね。よかった。僕がよそ見をしてたから。本当にごめんね。ところで君、ご両親は?」
子供がこんなところで一人でいるわけがないと思ったのだろうか。腰をかがめ、人のよさそうな笑みを浮かべて、青年は尋ねた。
エドワードはどう答えようかと悩んだ。いないと言ってしまえば迷子と間違われるような気がする。そうなるわけには断じていかない。ここで面倒なことに巻き込まれるのはごめんだ。
だからエドワードはとっさに嘘をついた。
「あ、あっちに」
人ごみのどことも知れない場所を指差した。そう言えばきっと青年はエドワードのことを放してくれるだろうと。
だが、エドワードの思惑は外れた。
「じゃあ、送っていってあげるよ。ご両親にもお詫びしないといけないしね」
「いや、いい!」
エドワードは慌てて否定した。なんて礼儀正しすぎるやつなんだ。逆に迷惑だ!
そう素直に言えるわけはない。
「本当に、大丈夫だから!」
「いいからいいから。さあ、どっち?」
エドワードが止めるものの、青年は強引にエドワードの手を引く。
それが思いのほか強くて、エドワードは途方にくれながら青年に引きずられていくしかなかった。
エドワードは途方にくれた。どうすればこの見ず知らずの青年から離れることができるだろう。自分にはこんなことに時間を費やす余裕はなく、こうしているうちに新たな犠牲者が出てしまうかもしれないのに。
「ところで、君の名前は?」
思案に暮れている中、唐突に尋ねられてエドワードは現状に思考を戻された。